吉原と聞いて思い浮かべるものは何でしょうか? 現在では、ソープランドなどのいわゆる性風俗店が並ぶ街ですが、江戸時代にはここに新吉原という幕府公認の遊郭がありました。遊郭とは、遊女屋を集めたエリアのこと。そして遊女屋は、遊女たちが男性に性的サービスを提供する施設でした。



大吉原展のポスター(吉原のメインストリートである仲乃町通りにて)



 そんな江戸吉原を題材にした展覧会「大吉原展 江戸アメイヂング」(以下、大吉原展)が、2024年3月26日から東京藝術大学大学美術館で開催されます。しかし、開催に先駆けて公開された公式サイトとプレスリリースに売買春についての記載がなかったために、ネット上で物議を醸しています。


 大吉原展の発信の問題点はいったいどこにあるのか、遊廓専門の「カストリ出版」と「カストリ書房」を経営する渡辺豪さんに聞きました。また、記事後半では東京藝術大学および本展広報にメール質問を行っています。


◆遊女がおかれていた状況とは



遊廓専門の「カストリ出版」と「カストリ書房」を経営する渡辺豪さん



――まず前提として、遊郭や遊女について教えてもらえますか。そもそもなぜ遊女たちは性的サービスを提供する場で働いたのでしょう。


渡辺豪さん(以下、渡辺):私は、貧困を救う福祉制度がなかった時代であったことが背景にあると考えています。重い年貢(当時の税)や借金を払うために売られた女性がたくさんいたのです。さらに私が問題だと感じているのは、遊女となる女性と遊女屋の経営者が契約するのではなく、女性のお父さんと遊女屋もしくは仲介業者が契約していた点です。遊女たちの多くは、貧困のためや家族を生かすために前借金という形で売られていました。


――まだ若い娘さんが借金を背負って働くのは想像するだけでもハードです。


渡辺:遊女たちは表向きには「奉公」というかたちで勤めたので、働く期間である「年季」を勤め上げる必要がありました。当時は梅毒を防ぐ方法や知識がなかったため、多くの女性が性病を患ったと考えられます。たとえ身請け(遊女の借金などを代わって払い、勤めから身を引かせること)されたとしても、ハッピーエンドは決して多くなかったと思うんですよね。


◆「大吉原展」がここまで炎上したのはなぜ?



大吉原展公式サイト「みどころ」ページの一部(現在は閲覧できない状態になっている)



――そういった遊女の実態を踏まえた上で、今回の大吉原展の問題点はどこにあると考えていますか?


渡辺:吉原の文化的側面だけにフォーカスされ、それを支えて犠牲になっていた遊女たちのことが、公式サイト情報から抜け落ちている点です。ただし、これまでにも負の側面を削ぎ落とした“きらびやかな江戸吉原”という文脈は商業出版やメディアの中で繰り返し作られてきました。


その上で、今回の展示が炎上したのは、従来的な江戸吉原像をわざわざ“日本唯一の国立総合芸術大学である東京藝術大学(以下、藝大)が”再生産することに多くの人が疑問を抱いたからでしょう。


――内容が藝大に期待するものではなかったと。


渡辺:とはいえ、私は10年前だったら開催前にここまで炎上しなかったのではとも思うんですよね。昨今、芸能界での性搾取・性暴力が問題視される中で、意識的に吉原の負の部分を見せようとしない姿勢が時流に合っていないのでしょう。


ですが、私はこの展示を中止すべきではないと思っています。もし、現在の社会の意識をキャッチアップした、吉原の功罪両面を見せた展示が見られたら喜ばしいですから。ただその場合でも、なぜあのような広報をしたのかという問題は浮き彫りになるかとは思います。


◆展示に対するポリシーのなさが透けて見えた対応



2024年2月8日に展示公式サイトで公開された声明文「『大吉原展』につきまして」



――公式サイトでは2024年2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という声明文が発表されました。また、同日より展示の「みどころ」を紹介するページが閲覧できない状態になっています。


渡辺:そうですね。本来なら、吉原が文化の発信地であったという主張への指摘があったら、「いや、私たちはこういう理由で主張したいんです」って立ち位置や意図の説明をすべきなのに、内容を引っ込めてしまった。そこに、展示に対するポリシーのなさが透けて見えているように思います。


――公式サイトでは、「約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心地でもあった」とありますが、渡辺さんは吉原に文化が集まった理由をどう考えていますか?


渡辺:私は近世史への興味はそこまで強くないので、先行研究の受け売りにはなってしまいますが、やはりお金が集まったからということに尽きるのではないでしょうか。当時“江戸で1日1000両落ちるのは、河岸と吉原と歌舞伎”と謳われたように、吉原に経済的な賑わいがあったのは事実だと思うんです。


お金の集まるところに文化的なものが芽生えてくるのは、現代でも同じですよね。それで例えば、遊女が浮世絵で描かれたりとか、落語や浄瑠璃歌舞伎の演目になったりとかして。遊郭や遊女のモチーフが日本の芸術や文化に大きな影響を与えてきたのは事実ではあると思います。


また、吉原の中の業者たちが自分たちの格式にこだわったことは間違いないと思います。ただそれは宣伝広告的な意味合いで、彼ら自身が文化の担い手という意識をどこまで持っていたかには、私は懐疑的です。


というのも、江戸時代の吉原も時期によっては8割以上は低級なお店だったから。“高級店だけが並び、政財界の人たちだけが集まって文化サロンを形成した”というイメージは実際とは違うと思います。しかも、江戸末期の吉原は客離れが起きていて、遊女の大安売りのチラシを配っていました。なので、江戸末期には格式とは全く別の方向に振っていたわけです。


◆「過去の良い面だけ見て何が悪いの?」との意見について



大吉原展公式サイト「みどころ」ページの一部(現在は閲覧できない状態になっている)



――一般的には、遊郭=江戸時代というイメージが強いように思いますが、明治時代以降も続いてはいたのですよね?


渡辺はい。看板を掛け替えながら、女性が性を切り売りする場所としてはずっと残ってきました。吉原遊郭自体は戦後、1958年に罰則規定を含む売春防止法が施行されて無くなりましたが、現在もソープランドなどが並んでいます。


――吉原があった歴史は、現在もその地域に影響を与えているわけですよね。


渡辺:大吉原展擁護派の意見には「過去は過去、今は今じゃないか。過去の良い面だけ見て何が悪いの?」といった内容があります。しかし、吉原をはじめとした江戸時代の遊郭や性産業の流れが現代にも影響を与えているからこそ、地続きとして考えられるような見せ方をすべきだと思うんですよね。


また、今回の展示は藝大が主催することで、なんというか……内容に“お墨付き”を与えたような見え方になる危うさがあると思っています。だからこそ、発信する側は見せ方に責任を持って欲しい。そして、もう一方で、見る側も権威性に流されすぎずに見て欲しいと思います。


――何事も内容を鵜呑みにし過ぎず、自分でも確認しようとすることが大切ですね。


◆遊女たちの痛みを“ひとりの人間のもの”として理解するために



――本展への批判として「買う側視点だ」との指摘も多く挙がっています。これについて渡辺さんは「買う側」ではなく「加害側」という視点が必要ではないかと発信していました。その点を最後に詳しく教えてもらえますか。


渡辺:これまでは、「売られた側」である遊女の視点と「買う側」である男性の視点に焦点が当てられることがほとんどでした。ですが、遊郭と遊女を取り巻く周辺情報はもっと複雑でした。遊郭相手に商売をしていた寝具店や雑貨屋さんなどがあって、ある種の加担・依存状態にありましたし、また、明治以降は遊女の稼ぎから納めた税によって街に病院などが建設されました。


つまり、遊女たちの“犠牲と貢献”による恩恵を受けていた人、間接的にも加害の立場にいた人はたくさんいたのです。ただし、ここで誤解されたくないのが、「みんなが加担していたのだから買っていた男だけの責任じゃない」という意味ではないということです。


――当時近隣で暮らしていた人々だって、必ずしも加害に加わっていると認識していたわけではないはずですもんね。きっと、無自覚に医療などの恩恵を受けていた人もいたでしょう。


渡辺:なので私は、“犠牲と貢献”という表現を使ってみました。貢献というのは、遊女として生きた女性たちの主体性を認めてあげたいという気持ちがあるからです。売られた身だとしても、ただ受身的に流されていただけではなくて、なんとか抗おうとして生きた人もいたでしょうから。私がもっとも伝えたいのは、遊女たちの痛みを自分と同じひとりの人間のものとして理解するためには、より広い視点で見ることが必要ではないか、ということなのです。


東京藝術大学・大吉原展広報にメール取材を試みた
 渡辺さんへの取材後、編集部は東京藝術大学の見解を聞くべく、大学広報宛にメールにて下記の質問を送りましたが、「本展は本学、東京新聞テレビ朝日の3者が主催となっておりますので、主催者側からの回答となりますこと、ご了承ください」との返答でした。


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・本展示は東京藝術大学としてはどのような公共益を持つと考えていますか?


・プレスリリースを拝見すると、本展構成の中で吉原の歴史や生活を紹介する旨が書かれていますが、その中で遊女が吉原で働かざるを得なかった社会背景や、仕事内容、年季が明けた後に彼女らがどんな人生を送ることになったのか、といった負の側面は説明されるのでしょうか? また、現状挙がっているさまざまな意見を受け、展示内容を変更する検討はしていますか?


・大吉原展の公式サイトには「約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心地でもあった」とあり、2月8日に公開された声明<「大吉原展」の開催につきまして>でも「この空間はそもそも芸能の空間でしたが、売買春が行われていたことは事実です」と記載されていますが、そもそもが売買春の場であり、因果関係が逆ではないかとの意見も多く挙がっています。歴史学者の中には、吉原は幕府公認の売買春の場であり、岡場所(私娼地)と差別化するために、戦略的に文化的側面を押し出して格式を強調したと見ている人もいます。その点は東京藝術大学としてどのように事実認識していますか?


・「お大尽ナイト」は実施される予定ですか?
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 その後、大吉原展広報事務局より2月8日に発表された声明文と同じ文面が届いたため、上記と同様の質問(「東京藝術大学として」の部分を「主催者として」に変更)への回答を求めましたが、期日までに回答はありませんでした。


<取材・文・撮影/岸澤美希>



大吉原展のポスター(吉原のメインストリートである仲乃町通りにて)