街の至るところで再開発が行われている。まるで傷を覆い隠すかのように白い囲いができている。そんな再開発で今、急速に失われつつある古き良き“せんべろ街”。賛成派と反対派の声が錯綜する街を訪ね当事者たちに話を聞いてみた。

◆立石「呑んべ横丁」が消滅。進む再開発に住民は

 ’23年9月、京成立石駅北口の路地裏で70年も愛された「呑んべ横丁」が消滅した。東京都葛飾区の立石では、駅の高架化に伴う再開発が本格化している。

 1997年に発足した計画は、「利便性や防災性の向上」を目的に京成立石駅の北口、南口の東地区・西地区を順次整備するもの。’22年12月に再開発ビルへの葛飾区役所の移転が議決された北口周辺から、先んじて解体が始まったのだ。

「北口の工事が始まって以降、立石に来る人が減り、活気がなくなった気がします」

 そう話すのは地元の米屋で働く塔嶌麦太氏。10年前から立石で暮らし始めたが、当初は再開発への関心は薄かった。

「立石に住んで2年目、新聞で再開発予定の記事を読んだら、すでに決まったような内容で。実際には反対の声もあるのに、違和感がありました。住民のための再開発で、立石に住み続けられない人たちがいるのはおかしいじゃないですか。住民を無視した誤情報が飛び交う中で、正しいことを発信したいと思ったんです」

◆再開発の反対運動に加わった塔嶌氏

 そこから再開発の反対運動に加わり、市民団体「立石をまもる会(旧のんべえの聖地を守る会)」を立ち上げた。

 取材は彼が行きつけだという立石の大衆酒場「ときわ」で行った。

「ネットで署名を集めたり、SNSで発信を続けたりする中で疑問も出てきて。『立石らしさを生かした再開発』と宣伝する賛成派。『立石らしさを守れ』という反対派。どちらの主張にも、“らしさとは何か”まで議論していないことにもどかしさがありました」

 立石に何を残すべきか。それを知るために塔嶌氏が発足させたのが、立石の店や住民らを取材する「みんなの立石物語プロジェクト」だ。

 立石物語プロジェクトの冊子『みんなの立石物語』は、立石で知り合った編集者や漫画家などで制作したという。

「街並みを残すことばかりに視点がいきがちですが、ひとりひとりの記憶や思いを記録したい気持ちで始めました。北口のお店の人たちも当事者意識を持って考えているし、関心の高さにも驚きましたね」

 冊子は、初版1000部が完売するほどの反響があった。

◆「立石が再開発で生まれ変わるチャンス」

 その一方で、再開発事業に前向きな考えの人もいる。立石商店連合会の副会長・細谷政男氏は、理由をこう話す。

「立石はせんべろの街とか、昭和レトロな下町と言われるけど、住んでる側からすれば街がきれいで安全になるのはいいこと。旧態依然として取り残された立石が再開発で生まれ変わるチャンスなんです」

 細谷氏は北口の解体前にも、「北口に捧げるフォーエバー2023」というイベントを開催。多くの人で賑わった。

「これまでの感謝と、立石の魅力を幅広い世代に忘れられないようにしたかったんです。イベント主催のメンバーたちは、立石が好きという思いで動いている。継承しないといけない部分もあるけど『立石らしさを残すこと』にこだわりすぎるのは違うかなと思う」

◆守りたい“立石らしさ”とは

 ’28年には、北口に葛飾区役所や商業施設が入るビルが完成予定だ。それでも、塔嶌氏は諦めたくないという。

「世間では“せんべろの聖地”としてのイメージが強いですが、立石に住む人間にとっては、それ以外にも守りたい“立石らしさ”がある。その軸もないまま手当たり次第に街が変わっていくのは怖い。そうなる前に、立ち止まって考えるひとつのきっかけになるような活動を続けていきたいです」

 細谷氏にも「立石らしさとは何か?」と尋ねてみた。

「立石に愛着を持って住んでいること。呑んべ横丁がなくなって騒いでるのは外の人ですよ。再開発に賛成でも反対でも、それぞれが立石に対する思いや愛を考えながらつくっていくものだと思います」

 せんべろ街が消えたとしても、そこに住む人たちの生活は変わらずに続いていくのだ。

取材・文/週刊SPA!編集部 撮影/杉原洋平 図版/松崎芳則(ミューズグラフィック)

―[[せんべろ街が消える]の大問題]―


’23年9月5日、呑んべ横丁のシンボルとして愛された看板も撤去。現在は区の関係施設で保管されている(写真提供/塔嶌麦太)