この記事をまとめると
■1964年、ジョット・ビッザリーニが自身の名を冠したブランドを興した
■ビッザリーニ社は一度は倒産したが、2018年に復活を果たした
■ビッザリーニが日本へ正規輸入されることが発表された
イタリアを代表する名門ブランドが復活
1926年6月6日、イタリアのリヴォルノで生まれたジョット・ビッザリーニは、1953年にピサ大学を卒業すると、短期間ではあるが教鞭をとったあと、アルファロメオ、フェラーリ、ランボルギーニ、イソなどで高性能なエンジンなどの開発に取り組んだ。
フェラーリでは250GTO、ランボルギーニではそのファーストプロトタイプである350GTVのためにV型12気筒エンジンなどを設計するなど、その数えられないほどの偉業はイタリアンスポーツの歴史においては欠かすことのできないものだ。
その後、1964年にビッザリーニ自身によって設立されたプロトティーピ・ビッザリーニ社、のちのビッザリーニ社は1965年には5300GTを投じたル・マン24時間レースでクラス優勝を果たすなどの活躍を見せるものの、1969年には残念ながら倒産。この間に生産された5300GTや5300GTスパイダーなどは、この時代のビッザリーニによる代表的な、そして貴重なモデルといってもよいだろう。
ビッザリーニのブランドはそれから長い眠りにつくが、ジョット・ビッザリーニ自身のエンジニアとしての活動は絶えることはなかった。1993年にはフェラーリ・テスタロッサのコンポーネントをベースに、ワンオフのスーパーカーであり、また5300GTをオマージュしたBZ-2001のプロジェクトをスタート。結果、フェラーリのF40を超えるパフォーマンスを叩き出すことに成功しているし、それ以前にも1989年にはBMWのエンジンを搭載するビッキオ・バルケッタを完成。こちらはイタリアのヒルクライム選手権などで大きな成功を収めている。
1998年製のクジャラは、2.5リッターのランチア製ターボディーゼルエンジンとエレクトリックモーターを搭載するパラレルハイブリッドのスポーツバルケッタだった。2005年のジュネーブショーでは4.1リッターのV8エンジンを558馬力の最高出力で搭載した、GTストラーダ4.1コンセプトを発表。それもやはり360km/hの最高速を主張するスーパースポーツにほかならなかった。
そのビッザリーニ・ブランドが復活を遂げたのは2018年のこと。実業家のレザム・アル・ロウミによってビッザリーニ・ブランドは再びイタリアのスポーツカーメーカーの表舞台に復活するべく、本格的な活動を開始したのだ。
生産するモデルは高級でしかも高性能なスポーツカー、そう、かつての5300GTを現代に復活させたモデルで、その第1弾モデルとしてビッザリーニ5300GTリバイバルコルサが発表された。
日本にも代理店の進出が決定
さらに2023年にはさらに高性能でスポーティなボディの新型車、ジョットが発表され、それは長年ビッザリーニブランドの本格復活を待ち望んでいたファンに大いに歓迎された。
ちなみにデザインを担当したのはジョルジョット・ジウジアーロとその息子であるファブリツィオ。三角形のBピラーや美しい曲面を持つリヤウインドウなどは、5300GTからインスピレーションを得たものであるのはたしかだ。
搭載されるエンジンはコスワースとの共同開発となる、そしてもちろんビッザリーニが手がけた6626ccのV12自然吸気。6626ccという排気量は、最初に触れたビッザリーニの誕生日にちなむもので、もちろん世界中の排出ガス規制に適合する。ボディは5300GTの雰囲気を残しつつも、そこはやはり現代に誕生したスーパースポーツのそれ。素材は軽量なカーボンファイバー製で、エアロダイナミクスに関しても最適なフィニッシュが施されている。
そのビッザリーニが日本へ上陸を果たすことが決定した。モータージャーナリストの山岸大氏が代表を務めるコルセ・オートモーティブが、ビッザリーニの日本における正規輸入代理店となり、2024年後半には東京都港区に専用ショールームが完成することが発表されたのだ。
ビッザリーニの最新コーポレーテッドアイデンティティを反映したショールームは、伝統的なファン、そして新たな潜在的なカスタマーにとって、ビッザリーニのパフォーマンスとデザインを体験できる拠点になるとのこと。
その完成まであと少し、待ち遠しい気持ちは日々強くなっていく。
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