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10月15日石川県芸術家伝統芸能後継者とお話しされた両陛下(写真:時事通信

苦悩の末、開催を決めたお誕生日の一般参賀で、被災地へのメッセージを送られた天皇陛下。そのとき思い起こされていたのは昨秋に大歓迎を受けたばかりの石川県の人々の笑顔だったのか。今回取材したのは、「いしかわ百万石文化祭」で、両陛下が懇談された芸術家伝統芸能を担う若者など。天皇陛下と雅子さまのお言葉は、石川県の復興を目指す彼らにとって、心のよりどころともなっていたーー。

2月23日、雨が降る寒い朝だったが、大勢の人々が皇居・長和殿前の広場に集まっていた。天皇陛下の64歳のお誕生日をお祝いするための一般参賀。長和殿のベランダに立たれた陛下のお顔は柔和でありながらも、強い決意を秘められているようだった。

「冷たい雨が降る厳しい寒さの中、誕生日にこのように来ていただき、皆さんから祝っていただくことを誠にありがたく思います。先月発生した能登半島地震によって亡くなられた方々に、改めて哀悼の意を表するとともに、御遺族と被災された方々に心からお見舞いをお伝えいたします……」

お隣で雅子さまが見守られるなか、陛下がお言葉を読み上げられると、広場は深い感動に包まれた。

1月1日に発生した能登半島地震石川県では240人以上が犠牲となった。天皇陛下と雅子さまは昨秋に石川県を訪問し、大歓迎を受けられたばかり。それだけに強い衝撃を受けられたという。

陛下はお誕生日に際しての記者会見でもこう述べられている。

「今回の地震に見舞われた能登地域は、雅子も私も、それぞれ学生時代に訪れて、思い出深く思ってきた地域であるとともに、昨年10月に、二人で揃って金沢市を訪問し、県民の皆さんに温かく迎えていただいたことが特に心に残っており、その石川県において、多くの方が犠牲となられ、今なお安否が不明の方がいらっしゃることや、避難を余儀なくされている方が多いことに深く心を痛めております」

1月2日に予定されていた新年一般参賀は地震発生当日に中止が決定された。また両陛下はお誕生日の一般参賀についても、ずっと開催を悩まれていた。宮内庁長官は2月8日の会見で次のように語ったが、陛下と雅子さまのお気持ちを代弁したものだという。

「(一般参賀開催については)本当に悩んだ。(能登半島地震からの)復旧、復興に向けて前向きに生きていこうとする姿に接し、現地にエールを送るために、われわれが今やるべきことに全力を注ぐという考えにいたった」

この長官の発言どおり、被災地へ祈りを込めたエールを送り続けておられる天皇陛下と雅子さま。今回の「シリーズ人間」は、石川県で両陛下とふれあいのあった人物たちのいまを取材した。

■「いしかわ百万石文化祭」で天皇皇后両陛下がご懇談を

「屋根の瓦が落ちたり、家の後ろで土砂崩れが起きたりしました。家の中でもタンスが倒れたり、食器類も床に落ちてしまったりで、地震が発生してから3日間は車で寝泊まりしなければなりませんでした」

大宮正晴さん(19)の自宅は、震度7に見舞われた輪島市の高台にある。津波警報により高台に避難してきた人々もいたが、室内の惨状のために、彼らを自宅へ受け入れることができる状況ではなかった。

大宮さんの生まれ育った輪島市名舟町で継承されてきたのが「御陣乗太鼓」だ。奥能登平定のために村を襲った上杉謙信の軍勢を、仮面をかぶった村人たちが太鼓を打ち鳴らし奇襲をかけて撃退したのが、その起源だという。

大宮さんが初めて太鼓をたたいたのは小学1年生

「名舟の子供たちは小学校の6年間、公民館に集まって太鼓の練習をするのです。祖父も父も御陣乗太鼓をたたいていました。名舟の子供にしかできないことですから、自分もやるのは当たり前のように感じていましたし、誇りに思っていました」

町の人口約200人のうち、十数人が御陣乗太鼓の保存会に所属している。小学校卒業後は学校の運動部の活動に励んでいた大宮さんが、再び太鼓をたたくようになったのは高校3年生のときだった。

「伝統を守り続けてきた大人たちの御陣乗太鼓は、やっぱり迫力が違うのです。後輩が練習に参加するようになったのを機に、私も練習に加えてもらうことにしました。御陣乗太鼓は、たたくだけではなく、見えを切ったりもするのですが、それがすごく難しくて。

保存会のメンバーでもある父にも相談しましたが、言葉で説明できないこともあり、時間をかけて体得していくしかないという面もあります」

大宮さん、そして保存会の晴れ舞台となったのが昨年10月15日天皇陛下と雅子さまが臨席された「いしかわ百万石文化祭2023(第38回国民文化祭及び第23回全国障害者芸術・文化祭)開会式」。

オープニングステージは「文化絢爛 石川をながれる物語」と題し、石川の多彩な歴史や文化の歩みを表現したものだった。6章で構成されていたが、その3章目では鬼の面をかぶった保存会のメンバーたちが、両陛下の前で勇壮な演技を披露したのだ。

ステージ後に、両陛下は出演者たちと懇談され、そのうちの1人が大宮さんだった。

「私の技術は未熟なのですが、天皇皇后両陛下や大勢の方がご覧になっているステージで、御陣乗太鼓のよさを伝えたいという願いを込めてたたきました。

天皇陛下からは『太鼓を始めたきっかけはなんですか』『前にも一度輪島に来たことがありますが、とてもいい街ですね』などとお声がけいただきました」

天皇陛下学習院高等科のゼミ旅行で金沢市輪島市に宿泊されている。当時、輪島市で御陣乗太鼓の迫力に感動されたという。

「そして皇后陛下からは、『太鼓は(体力的に)大変ではないですか』と……。御陣乗太鼓はたたく以外の所作も力強いので、ご心配いただいたのだと思います」

震災後、大宮さんは金沢市内で避難生活を送っている。御陣乗太鼓保存会事務局によれば、2月上旬には石川県白山市和太鼓店のスタジオで、今年初めての練習があった。しかし避難先がバラバラのため、5人ほどのメンバーしか参加できなかったという。

「私もまだ練習に参加できていませんが、御陣乗太鼓は続けていくつもりです。輪島の見慣れた街並みはもう戻ってこないかもしれませんし、土地の隆起などもあり、元どおりにはならないかもしれません。

でもいま輪島市を離れて避難している人たちが『やっぱり、能登はいい、早く帰りたい』と思ってくれるような太鼓の音を響かせたいです」

名舟町の伝統と誇りを受け継いだ大宮さん、今春から輪島市役所での勤務が始まるという。

【後編】「いつか立ち直った石川県を両陛下に」親族が犠牲になった“左手のピアニスト”が語る復興への闘いへ続く