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 犬が人間は大昔から関係性を作り上げていた。犬の祖先であるオオカミが人類と行動を共にするようになってから、3万3000年が経過しているといわれている。

 さらに1万1000年前にはオオカミから分岐した複数の犬種が存在し人と共に世界を旅していたともいわれている。

 現代も犬はペットのみならず、人間のために様々な役職についてサポートしてくれているが、中世の時代ではどうだったのだろう?

 ここでは中世の犬たちの種類や、人間の関わりについてみていこう。

【画像】 中世の犬は犬種に応じて階層と役割があった

 16世紀の英国の医師で学者のジョン・カイウスは、著作『De Canibus』の中で、犬の階層について書いていて、なにはともあれ、人間社会における彼らの役割に応じて分類を行った。

 その頂点に立つのは、驚異的な動きの素早さで知られるグレイハウンドや、強力な嗅覚で獲物を追って、長い道や曲がりくねった道、うんざりするような悪路を駆け抜けることができるブラッドハウンドなどの特殊な猟犬だった。

 当時犬社会の最下層にいる雑種ですら、その労働力や地位の観点から特徴づけられていた。

 例えば、大道で芸をしたり、キッチンで踏み車を踏んで炙り肉の串を回すターンスピット犬の例がある。

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500年頃の写本『ヘルミンガム植物標本&動物寓話集』スパイクつきの首輪をした犬や長いリードをつけたグレイハウンドが描かれている。 / image credit:Yale Centre for British Art, Paul Mellon Collection

犬はエリートの社会的地位を表すものになった

 狩猟が必要性からというより貴族の娯楽になったとき、社会における犬の立場は変わった。同時に、高貴な家では特に女性から歓迎されるようになった。

 いずれにしても、犬はエリートの社会的地位を表すものになったのだ。

 実際、カイウスはランキングの中で、「優雅で、こぎれいで、かわいらしい室内犬を、狩猟犬よりは下だが、雑種犬よりは上だと位置づけている。その理由は貴族階級との関係性だった。子犬に関しては「小さければ小さいほど、喜びを与えてくれる」としている。

 教会は正式にはペットを認めていなかったが、聖職者自身が犬を飼うことはよくあった。その多くもやはり室内向けの愛玩犬だった。

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愛玩犬を抱く修道女 / image credit:in Stowe MS 17, f. 100r. British Library

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犬は敬遠されつつ賞賛された。犬の忠誠心や献身を綴った書物も

 とはいえ、誰もが犬が大好きだったわけではない。

 潜在的な攻撃性を心配した英国の都市の権威当局は、番犬の飼育や、イノシシ、クマ、ブルベイティング(鎖でつないだ雄牛に犬をけしかけて、どの犬が最初に雄牛に噛みつくかを賭ける見世物)などの暴力的な大衆娯楽を規制した。

 聖書では、犬は不潔なゴミ漁りとして描写されることが多い。箴言26章11節では、彼らが自身の吐瀉物に戻るという有名なくだりがある。

 一方、聖人たちの生活を描いた13世紀の人気コレクション『黄金伝説』の中の聖ロクスの物語では、犬が飢えた聖人にパンを運び、彼の傷を舐めて治す。

 ロクスの聖人属性のひとつ、ひと目で彼だと認識できるモチーフのひとつは献身的な犬だ。

 犬が飼い主を守る、または飼い主の死を悼むことの比喩は、古くは大プリニウス(23年 - 79年)の『博物誌』までさかのぼることができる。

 このテーマは、現実の動物と神話上の動物に関する知識を道徳的にまとめた中世の動物寓話の伝統の中で繰り返されている。

 よくあるのは、敵に捕らえられた伝説の王ガラマンテスが、忠実な犬たちに追跡され救われるというものだ。別の話には、飼い主を殺した犯人を公にし、その犯人を攻撃する犬の話もある。

 ギヌフォールというグレイハウンドの話は、非公式とはいえ犬の聖人崇拝までもたらした。

 13世紀、ドミニコ会の異端審問官で説教者でもあったブルボンのステファンは、ある貴族が犬が彼らの幼子を殺したと誤解し、報復としてギヌフォールを殺したと書いている。

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ロチェスター動物寓話集より(1230年頃)、犬に救出されるガラマンテス王の細密画 / image credit:British Library

 実は子どもは無事だったことがわかると(実際には犬が毒ヘビから子どもを救ったのだ)、貴族は殉教した犬を称え、丁寧に埋葬した。

 これが殉教犬への崇拝と治癒の奇跡へとつながったという。

 ステファンの物語は、迷信の罪と愚かさを明らかにするのを意図していたが、にもかかわらず中世の人々が犬をほかの動物と区別する特別な存在として認識していたことが強調されている。

 1200年頃のアバディーン動物寓話集によると次のように書かれている。

犬ほど知的な生き物はほかにはいない。犬はほかの生き物よりも遥かに理解力があり、彼らだけが自分の名前をちゃんとわかっていて、主人を愛している

 犬と忠誠心との関連性は、結婚に関係する当時のアートにも表わされている。霊廟に描かれた犬は、傍らに横たわる夫に対する妻の貞節を表している。

 しかし、聖職者の墓の場合、犬は故人の信仰を示す場合がある。

 カンタベリー大聖堂トリニティチャペルにあるウィリアム・コートニー大司教1396年没)の例がそうだ。

 コートニー大司教アラバスター像はチャペルの南側にある墓櫃の上にあり、聖職者のローブをまとい、ミトラ(聖職者がかぶる公式の冠)をかぶっていて、ふたりの天使大司教の頭が乗せられた枕を支えている。

 そして、鈴のついた首輪をした耳の長い犬が、大司教の足元に従うように寝そべっている。

The Tomb of William Courtenay - Archbishop of Canterbury (1381-1396)この犬の像は、カンタベリー大聖堂トリニティチャペルにあるウィリアム・コートニー大司教の墓の一部である

 墓に寄りそうこの犬はかつて大司教が実際に飼っていた犬なのだろうか?

 と思いたくなるが、鈴のついた首輪は当時の図像的な象徴、とくに愛玩犬を表すのに一般的に使われたアイテムだった。

中世でも一部の犬は甘やかされていた

 現代と同様、財力のある中世の犬の飼い主は、上質な素材で作られたリードやコート、クッションなどさまざまなアクセサリーをペットに装備していた。

 このような物的投資は、高級品を意図的に消費することで自分の地位を世間に示す、vivre noblement(気高く生きる術)という貴族文化の中心だった。

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小さな犬を抱いた貴婦人と会話するランスロット卿の細密画(1315~1325年頃) / image credit:British Library

 犬を飼うことや飾りたてることの一般的な認識も、ジェンダー的ステレオタイプを助長した。

 男性は、自分の生活や財産を守るために活発な犬を飼いたがり、女性は抱きかかえて甘やかすことのできる愛玩犬を好んだ。

 ハンス・メムリンクの絵「虚栄心の寓話」に見られるように、愛玩犬は女性の怠惰や悪徳と関連づけられることもある。

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ハンス・メムリンクによる「虚栄心の寓話」(1490年頃) / image credit:Museum of Fine Arts of Strasbourg

 しかし、たとえ使役犬でも最高のパフォーマンスをしてもらうためなら、細やかなケアや愛情は必要だ。15世紀のガストン・フェビュスの豪華本『Livre de la Chasse』(狩猟の書)には、犬小屋係が犬の歯、目、耳を調べたり、犬の足を洗っている様子が描かれている。

References:Dogs in the middle ages: what medieval writing tells us about our ancestors’ pets / written by konohazuku / edited by / parumo

 
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中世の書物から読み取る、中世の人々と犬の関わり