フリーのWebディレクター、翻訳ライターとして活躍し、「ひろゆきの嫁」としてメディアにも出演する西村ゆかさん。2024年2月に「キング・オブ・クズ」の父と、ギャンブル依存で宗教信者の母に振り回された半生を綴ったエッセイ転んで起きて 毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え徳間書店)を上梓。

“毒親”からのストレスもあり、10〜20代には「摂食障害」を発症。さらに40歳で難病の「シェーグレン症候群」が発覚してもなお、笑顔で今を生きている。45歳の西村ゆかさんが伝えたい、人生訓とはーー。

◆人生に「一歩踏み出す勇気」を

――著者で、執筆中に「何度も立ち止まってしまった」と振り返っていた理由は?

西村ゆか(以下、西村):自分の体験は人に語るほどのものなのか、有名人でもないのにおこがましいのではないかと。ひろゆき君ならまだしも、私は妻ですし……(笑)。

――(笑)。4歳で両親が離婚し、著書で「キング・オブ・クズ」と称した父と離れ離れに。ギャンブル依存で宗教信者の母と共に暮らし、親族に支えられながらの過去を赤裸々に明かしていました。

西村:インタビューによる“聞き書き”だったのですが、しゃべったことで気持ちが楽になりました。当初、本のテーマは決まっていなくて、話した内容をどれほど使うのかも決まっておらず。フランスでの暮らしに焦点を当てる予定もありました。でも、生い立ちから話していたら「もう少し詳しく」と聞かれる箇所が多くて。いつのまにか人生が主軸になり、かつてインタビューを受けたYouTube「街録ch〜あなたの人生、教えて下さい」出演回の内容を、より濃くした1冊になりました。

――タイトルにあるテーマは「毒親 夫婦 お金 仕事 夢 の答え」とさまざま。特に、訴えたい内容は?

西村:大枠としては、「一歩踏み出す勇気」です。「仕事」「夢」は「多くの人が共通して抱える悩み」として、担当編集者さんにインタビュー内容をふまえて選んでいただいたんです。「毒親」「夫婦」についても語っていますけど、人生でいつからか「仕事」への「夢」が生まれて、親との「お金」のトラブルも抱えながら生きて、前に進んできた過去を、すべて話しました。

◆日仏で感じる文化の違いは

――現在は、フリーの「Webディレクター、翻訳ライター」として活躍されています。

西村:翻訳ライターはここ最近ほぼやっていなくて、フリーのWebディレクターがメインの仕事です。取引先は日本の企業で、新規のサイトを制作する際のディレクションはもちろん、Webデザイナーとしての経歴も生かした担当サイトの修正や運用、企業SNSの“中の人”として、つぶやきも代行しています。

――フランス在住で、日本との違いは感じますか?

西村:日本はあらゆるものが便利ですよね。電車が遅延せず、店員さんの接客も丁寧ですけど、周囲から「ちゃんとしなければ」とせきたてられるような、息の詰まる感覚はあります。反面、フランスはみんな自由に生きているし、不便であっても気が楽です。

ただ、仕事では日本の企業を相手にしていますし、フランス人との関わりが少ないから、そう思うのかもしれません。現地で仕事をしたら価値観が変わる気もしますし、いい面だけを享受して生きています。

――著書では、10代半ば〜20代にかけて苦しんだ「摂食障害」の過去も明かしていましたが、現在は?

西村:12年ほど付き合い続けて、20代の終わり頃からは症状が出なくなったんです。今は、苦手なお酒を飲み、たまに吐くぐらい……(笑)。症状がひどかった当時を振り返ると「よく生きていたな」と思います。普通ではないと理解しながらも、病気と向き合っていなかったんです。

ストレスで追い詰められたときの憂さ晴らしであり、自分の逃げ場所でしたし、症状がなくなったら「どうしていいか分からない」と思っていました。まるで「相棒」のようでしたけど、20代半ばから治療をはじめて。ひろゆき君の支えもあり、今に至るまで、無事生きています。

◆200万円の借金で反面教師の「両親と一緒じゃん」

――いわば「毒親」のお母さんからは、繰り返し「あなたがママを選んだのよ」と言われていたそうですね。

西村:おそらく母は、自分に言い聞かせていたと思います。私は、幼い頃から母が大好きでしたし、ずっと一緒にいたくて、色々な問題があっても嫌いにはなりたくなかったんです。でも、ギャンブルや借金で埋められない心の溝が生まれて。母は亡くなってしまったので確かめられないんですけど、私が選んで生まれてきたと言い聞かせることで、自分を保っていた気がします。

――“子は親の鏡”とも言いいますし、人生で“母のようになってしまう”とよぎる瞬間はなかったのでしょうか?

西村:たくさんあります。目立ったのは、著書でも書いた200万円ほどの借金でした。お金は、父も含めた両親を反面教師として「この人たちのように狂った金銭感覚を持たない」と決めていたし、未成年のころから定期預金口座を作り、社会人になってからも勤務先の持株会へ入り、投資信託もはじめて、コツコツ貯めていたんです。

でも、摂食障害がひどくなり、5000〜6000円分の食料を買うためにコンビニへ1日数回通う生活を続け、月の食費が15〜20万円浪費していた時期があって。食べる以外で、ストレス発散のためにと買い物で散財もしていましたし、借金が200万円までふくらんだときに「なりたくないと思っていた両親と一緒じゃん」と、我に帰りました。

――著書では、当時「伯父」と「祖母」が借金を肩代わりしてくれたと明かしていました。

西村:2人がいなかったら、踏みとどまれなかったもしれません。実は当時、200万円も借金しながら、200万円の貯金もあったんです。ワケが分からないですよね(苦笑)。会社員時代だったので給料から月々、延滞もなく返済していたんですけど、利子もあるので「いつになったらちゃんと返せるんだろう」と思い、相談したのが伯父だったんです。いっそ貯金で完済しようかと相談したら「貯金してあるお金は、大事なお金だから使ってはいけない」と言ってくれて、祖母と共に肩代わりしてくれたお金は、2年ほどで2人に完済しました。

◆両親の最期を目の当たりして

――その後、亡くなったお母さんとの対面も。以降、心のどこかでは許せたのでしょうか?

西村:早朝に亡くなって、息を引き取る瞬間には立ち会えなかったんです。病院から「呼吸が止まっている」と連絡が来て、駆け付けたときには亡くなっていました。親としておかしいと思う自分の感情は間違いではないですけど、許すとは違って、母の人生を受け入れられるようにはなりました。

――かたや「ステージ4のがん」を患っていたお父さんとは、最後の対面ができなかったそうですね。

西村:フランス移住後で、自宅のネット環境が不調のときに「余命いくばくもない」と病院からメールをもらっていたので、確認できなかったんです。ようやくネットが復旧したときは、すでに火葬後だったと思います。父への気持ちは冷めていたし、関係修復は無理だとあきらめていたので、訃報を聞いての後悔はなかったです。

ただ、動揺はありました。生きていれば、相手を理解できる可能性があるじゃないですか。でも、亡くなってしまうと終わりですし、父が変わってくれるとは期待していなかったんですけど、「終わっちゃったな」と思いました。

ガーシーに脅迫されたときは驚いた

――著書では、夫のひろゆきさんにも言及。日頃「ひろゆきの嫁」として見る人、見ない人がいると述べていました。

西村:友だちは、「ゆか」として接してくれます。ひろゆき君の「嫁」もしくは「妻」として見るのは、主に仕事相手です。元々、WebデザイナーやWebディレクターとして働いていた時代に出会った方は、「西村ゆか」として見てくれますし、私が表に出るきっかけとなった漫画『だんな様はひろゆき』(2021年10月/朝日新聞出版)以降で知ってくださった方は「ひろゆきの嫁」な印象です。

――その影響から、SNSで「クソリプ」を飛ばしてくる人もいるそうですが、なかでも、過去イチのクソリプは?

西村:大きかったのは、ガーシーさん。国会議員も「脅迫するんだ」と驚きました(笑)。私が悪態をついたのなら分かりますけど、脅迫されるおぼえがなく、奥さんを攻めるといった一言(※)に「えっ!?」となりました。一般ユーザーの方からも、ひろゆき君が物議をかもすと飛んできます。沖縄の辺野古で決めポーズをしていたときは、日常のつぶやきに「お前の旦那は……」といったリプが飛んできて「なんで?」と思いました。(※ガーシー氏が動画で、ひろゆき氏に対して「俺と違って奥さんいる」「そこ攻められたらあいつは終わる」と言及)

◆自宅の近所に“謎の日本人”が

――注目されて、リアルな怖さを味わった経験もありそうです。

西村:モニター越しであれば問題ないですけど、堀江(貴文)さんもガーシーさんも、リアルに会ったら怖いかもしれません。見ての通り、私は生命媒体として最弱ですし(笑)。ケンカしてもすぐ負けるのは分かっているので。

実際、最近も怖い経験があったんです。自宅の近所で明らかに「現地在住の日本人でも、日本人観光客でもない」とおぼしき方がいて、目を合わせたとたん、体をビクッと震わせていました。後日、Xでその方から「先日はすみません」と謝罪のDMが来たんです。いったい、何が目的だったんだろうと……。

――わざわざフランスまで行くとは、怖すぎますね……。

◆「ウエディングドレスが着たくて」ひろゆきを説得

――ところで、著書ではひろゆきさんとのなれそめにも言及。「街録ch」出演回で明かしていたんですが、海外移住の手続きをきっかけに入籍されたと。

西村:ひろゆき君は結婚の制度にこだわりがなかったんですけど、若い頃の私は「ずっと付き合っていれば、結婚するもの」と思っていたんです。20代でひろゆき君と付き合いはじめて、同棲中に「子どもがいるなら別だけど、たがいに好きで一緒にいるならよくない?」と言われたときに、納得はしました。

でも当時は、どうしてもウエディングドレスが着たくて、何とか結婚しようとしていた時期にふと「私は結婚したいのではなく、結婚式がしたいんだ」と気が付き、ひろゆき君にそれを伝えたんです。ドレスのイメージ写真と共に「私が好きで、一緒にいたいと言ったよね。好きな彼女が『ウエディングドレスを着たい』と言っているのに、その夢を叶えないわけ?」と問い詰めたら「じゃあ、結婚式しよう」とうなずいてくれて。

私が全部準備して、当時「2ちゃんねる」の管理人だったひろゆき君が「変な人が来るかもしれないから、国内じゃない方が」と言ったので、2009年にロサンゼルスで結婚式をしました。

◆難病発覚で楽に「思いどおりに行かなくても」

――40歳で、難病「シェーグレン症候群」が発覚。45歳の現在、持病についてどう思いますか?

西村:発覚まで、2年ほどかかりました。原因不明の不調が続き内科、神経内科と色々な病院を巡り、耳鼻咽喉科で偶然見つかったんです。のどに違和感がありエコー検査をしたら「大きな病院で診てもらった方がいい」とすすめられて、紹介された病院の血液検査で「シェーグレン症候群」と疑われる症状が見つかり、当初あったのどの違和感は無関係でしたけど、難病だと明らかになりました。

ずっと不調が続いていたので、ハッキリ分かってからはホッとしたんです。「現状では完治しない難病」と知っての不安もあったんですけど、日常生活で何があっても、病気だから「思いどおりに行かなくても仕方ない」と気楽に考えられるようになりました。

――著書では、ポジティブなマインドの源は「幸せ」と述べていました。ただ、幸せを見つけられない人もいて。難病とも向き合い続ける今、そうした人びとへのメッセージをいただければ。

西村:自分が幸せかではなく、他人から見て幸せと「思われるか」の軸で見てしまうと、感じづらいんじゃないかと思うんです。何をもって幸せかは人それぞれですし、私は難病が発覚してから「今日は体がしびれてない」「夜にちゃんと寝られた」と、ささやかなできごとも幸せを感じられるようになりました。だから、自分にとっての幸せを大事にするのが一番かなと。私は、健康で楽しく生きられれば満足です。

<取材・文/カネコシュウヘイ 撮影/林紘輝>