忙しい現代人にとって、ゆっくりと休みを取ることはなかなか難しいかもしれません。目まぐるしく日々を過ごしているなか、ふと「自分の人生って何だろう...」と考えこんでしまったことがある人も多いのではないでしょうか。哲学者セネカが提唱した「自分を生きる」方法について、著書『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房)より、白取春彦氏が解説します。

忙しい毎日のなか、自分を生きるためにセネカが勧めたこと

多難な時代に公人としてどうしようもない状況に生きていたセネカが書いていたものが、今では『道徳論集』として編纂されていて、そのうち49年作の一篇が『人生の短さについて』と題されています。これはローマの食料長官に宛てた手紙の内容の1つで、忙しい実務だけで自分の人生をだめにすることを避け、自分を生きるために「徳の愛好」をするように勧めているものです。

この場合の「徳の愛好」とは、アパテイア(心の平穏、あるいは不動心)の状態で生きることであり、善とはそのことだとされています。もし自分の心のなかにアパテイアを持たないのならば、競争と忙しさと欲望に満ちた人生はまたたくまに過ぎ、ついには自分を生きることがなかった結果になってしまうというわけです。

「彼らがどんなに僅かの間しか生きていないかを知りたくはないか」(茂手木訳以下同)

過去の偉人と「家族」になる

ふつうの人たちの人生はあまりにもめまぐるしいものにすぎず、一方すぐれた者たちの人生は悠然としたものだとセネカはいいます。

しかし、そのすぐれた人たちとは能力や手腕に秀でた人たちという意味ではなく、英知の探求と獲得に専念している人のことです。自分の仕事をしていながらも英知に専念する者だけが自分の時間をたっぷり持っているのであり、こういう人たちこそ本当に生きているのだというのです。

では、どうすればそういう人間になれるのか。過去のもっともすぐれた人たちの家族や友人になることです。彼らの時代に入って彼らと生き、とことん話しあえばいいのです。そうすれば、毎日助言を求めることができ、どんな質問をしても軽蔑されることがなく、さらに自分については正しい評価がもらえ、いずれ彼らのように自分自身を自由に表現することができるようになるというのです。

要するにセネカは、古典として残されている賢人たちの書物を読み、彼らがまさにここに生きて語っているように感じるほどに没頭すべきだと述べているわけです。

「彼らは君に永遠への道を教えてくれ、誰もそこから引き下ろされない場所に君を持ち上げてくれるであろう。これは死滅すべき人生を引き延ばす、いな、それを不滅に転ずる唯一の方法である」

そうなるためには、世間の人々のように生きてはならないのです。

「君は自分を衆人から切り離すがよい。年齢不相応に今まであちこちと追い回されていた君は、結局のところ、静かな港に帰るがよい」 賢人のつぶやき 人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ

白取 春彦

作家/翻訳家 

(※写真はイメージです/PIXTA)