「子どもの頃に『007』シリーズを観ていると、まるで自分も冒険をしているように感じていました。行ったことのない場所へ行き、会ったことのない人たちに会う。それはとても刺激的な体験で、1980年代の映画はどれもすばらしいストーリーと非現実さがうまく融合していた。コロナ収束後のいまの世界にも、みんなを笑顔にできて、冒険心をくすぐられるような映画が必要だと思ったのです」。

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「キック・アス」シリーズや「キングスマン」シリーズを手掛けてきたマシューヴォーン監督は、最新作『ARGYLLE/アーガイル』(公開中)に込めた娯楽映画への強い憧憬を語る。本作はベストセラースパイ小説シリーズを書く作家エリー・コンウェイ(ブライス・ダラス・ハワード)が、偶然にも小説の内容と現実のスパイ組織の隠密作戦が一致したことから追われる身となり、世界中を駆け回ることになる世にも奇妙なスパイアクション映画だ。

■「スパイ映画のイメージを壊すには、いまが絶好のタイミング」

ヴォーン監督は本作が生まれた経緯として、2020年のロックダウン中の家族との出来事を振り返る。ロンドン郊外の自宅で妻のクラウディア・シファーと2人の娘たちと一緒に様々な映画を観たとのことで、なかでも娘たちの心を掴んだのは、ロバート・ゼメキス監督の『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(84)と、アルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』(59)だった。「夢中になって観ている様子を見て、私も娘たちのためにこんな映画を作りたい。そう感じました」。

そんなタイミングで、エリー・コンウェイという無名の著者が書いたという未出版のスパイ小説「アーガイル」の原稿を手にしたヴォーン監督は、「いままでに読んだなかで最高のスパイ小説だった」と振り返るように、たちまちその虜になり映画化へ動き出す。ただ脚色するのではなく、独自のアプローチを選ぶのがヴォーン監督の美学。「スパイ映画に対する世間のイメージは定番化している。それを壊すには、いまが絶好のタイミングではないか」と考え、ジェイソンフュークスと共に新たな物語として再構築していくことに。

「説得力のある物語にすることを一番の目標に掲げていました。新しいジャンルを確立することは目的とせず、新たなものの見方や視点を提案すること」。そうして実在するエリーという小説家を主人公に配し、彼女がスパイに狙われて逃げ回る現実世界と、彼女自身が創造したエージェントのアーガイルが存在する本のなかの世界が融合し、両者の境界線が徐々に曖昧になっていくという巧妙かつスリリングなストーリーにたどり着いた。

「新しい作品をつくるときは、もし自分が観客ならばなにが観たいだろうか?いままでに観たことがない、予想もできない物語とはどんなものだろうか?そういうことを考えていくのです」と、ユニークでイマジネーション豊かな物語にたしかな手応えをにじませる。

■「スパイ映画に結びつかない俳優をキャスティングすることで新鮮に感じる」

ヴォーン監督といえば、「キングスマン」シリーズが世界的な大ヒットを記録したことで、卓越したスパイ映画の作り手として多くの映画ファンから熱烈な支持を集めている。しかし本作では、そうした従来のスパイ映画とは異なるアプローチに挑むこととなった。

「長年にわたって私が描いてきたのは、スパイに関する“空想の世界”といえるでしょう。でも本作の舞台は現実の世界。エリーと、彼女の前に現れるスパイのエイダンは、観る者がどこか親近感を覚えてしまうような“普通の人たち”でなくてはならなかった」。そう語るヴォーン監督にとって、特に重要だったのはやはりキャスティングだ。「スパイ映画に結びつかない俳優をキャスティングする。そうすることで、既視感のあるものでもとても新鮮に感じると考えました」。

そこでエリー役として白羽の矢が立ったのは、「ジュラシック・ワールド」シリーズでおなじみのブライス・ダラス・ハワード。ヴォーン監督がプロデュースを務めた『ロケットマン』(19)ではタロン・エガートン演じるエルトン・ジョンの母親シーラ役を演じていたハワードだが、ヴォーン監督との接点は15年以上前の『スターダスト』(07)まで遡ることになる。

ブライスは『スターダスト』のオーディションを一番乗りで受けにきました。その時はすばらしい結果を出してくれたけれど、彼女はその時点で『スパイダーマン3』のキャストに決まっていて起用することが叶いませんでした」と振り返るヴォーン監督。「でもその時から、優しさと魅力が伝わる演技を彼女ができることを知っていました。なにより彼女の母親は本物の作家。作家を演じる手本となる人物が身近にいるとなれば、まさしく彼女はエリー・コンウェイなのです」。

一方、エリーの前に現れる現実世界のスパイであるエイダンは、エリーが小説として創造したアーガイルとは対照的に、ちっとも洗練されていないスパイだ。この役柄こそ、人々がスパイに対して持っているイメージを根底から覆すカギとなると考えたヴォーン監督は、それに相応しい俳優として『スリー・ビルボード(17)アカデミー賞助演男優賞に輝いたサム・ロックウェルを起用することに。

「観客は、サムがスパイだとは直ちに認識しないだろう。でもそれこそが、スパイの本質なんだ」と自信たっぷりに語る。「『キングスマン』シリーズや『007』シリーズでは、スパイたちはビシッとした一分の隙もない服装をしているものです。だが本作でサムが演じるエイダンは、意図的に常識の逆をいっている。目立つことなく社会に溶け込むタイプのスパイといえるでしょう。イアン・フレミングスパイ役に彼を起用することはないだろうが、きっとジョン・ル・カレなら起用していたでしょう」。

■ネコとビートルズが『ARGYLLE/アーガイル』の世界をさらに充実させる!

実は劇中には、重要なキャラクターとしてヴォーン監督の“家族”が出演している。それはエリーの一番の友であり、彼女と一緒に冒険に繰り出すことになるネコのアルフィーを演じたチップだ。

「以前、娘たちがテイラー・スウィフトのドキュメンタリーを観ていた時に、彼女がネコ用のバックパックを背負っていたことが印象に残っていました。当初はエリーはアルフィーを残して冒険に出る予定でしたが、物語をよりドラマティックにするためにはアルフィーが必要だった。それでもタレントネコはお金がかかるしあまり協力的ではないことが撮影初日になって判明しました。そこで私は娘の部屋に行きチップを抱え、これから3ヶ月一緒に仕事をすると宣言したのです」。

元々あまりネコ好きではなかったというヴォーン監督だが、撮影期間中にチップと同じ楽屋で生活していくうちに絆を深めていき、チップもその期待に応えるようにすばらしい演技を見せてくれたと賛辞を送る。「最高の役割を果たしてくれたし、注目をさらうくらいチャーミングでおもしろいことに驚かされました」。

そしてヴォーン監督は、自身の作品において最も重要な要素である音楽についてのこだわりにも言及する。それは劇中でのエリーとエイダンの関係の変化をあらわす楽曲であり、ヴォーン監督は両者の関係について「深い部分ではラブストーリーなんだ」と説明する。「ラブソングを探していたのだけれど、映画のなかで3回流した時に毎回意味が変わるような曲を探していました」。

いくつもの曲を試した結果、たどり着いたのは2023年11月にリリースされ世界中で大きな話題を集めたビートルズの“最後の新曲”「ナウ・アンド・ゼン」。ヴォーン監督は熱心なビートルズファンとして知られており、ビートルズの有名プロデューサーのジョージマーティンの息子ジャイルズ・マーティンから劇中でビートルズの曲を使わないかと提案されたという。「思わず笑って、ジャイルズに『そんな高額は払えない』と何度も言いました。そうしたらジャイルズは、『実はうまくいくかもしれないビートルズの新曲があるんだ』と言ったのです」。

そこで聴かされたのが、当時まだリリース前だった「ナウ・アンド・ゼン」。ヴォーン監督はすぐさま度肝を抜かれたという。「試験的に映画に乗せてみると、編集を一つも加えることなく完全にピッタリとハマりました。まるでジョン・レノンがこの映画を観て、私たちのために曲を作ってくれたかのような、この映画の中心にある人間関係を包含する歌詞でした」と感激したことを告白。

さらにこの楽曲のメロディーをスコアに取り入れるため、ポール・マッカートニーとも対面したという。「史上最高のソングライターの曲を編集しているなんて、なんて光栄なことだ。本作で『ナウ・アンド・ゼン』は10分間も流れます。ビートルズ最後の曲で、ビートルズと仕事をすることになるなんて。人生における突拍子もない夢だと思っていたけれど、監督としての道のりのなかでいまそれが現実のものとなりました」と喜びに満ちた表情で語った。

構成・文/久保田 和馬

マシュー・ヴォーン監督が、最新作『ARGYLLE/アーガイル』の秘密を語り尽くす!/[c] Universal Pictures