イスラエルは建国当初、合法非合法問わずM4「シャーマン」戦車をかき集め、ひたすら改造して使いました。その結果、同国の改造型は「究極のシャーマン」と呼ばれるほどだとか。しかも戦車で使えなくなっても第2形態に変身させたそうです。

「建国の戦車」「救国の戦車」と呼ばれる名車

2024年現在、中東屈指の軍事大国となったイスラエル。しかし、1948年5月の建国当初はあらゆる兵器が満足にない状況で、世界中から合法非合法を問わず、使える兵器をかき集めていました。

それは戦車も同様です。今でこそイスラエルは、過去の戦訓を踏まえて「メルカバ」という優秀なオリジナル戦車を開発し、大量運用しています。しかし、建国当初はスクラップ同然だった戦車を整備し、大切に使いながら、今日のように技術力を高めてきたのです。

イスラエルが最初にまとまった数を手にすることができた戦車は、アメリカ製のM4「シャーマン」です。同車は、第2次世界大戦後に余剰品として世界の兵器市場に出回っていました。それを、中古だけでなくスクラップや屑鉄の名目でも買い集めて再生し、機甲部隊の主戦力に据えたのです。結果、イスラエルにとってまさしく「建国の戦車」「救国の戦車」ともいえる存在となりました。

なぜイスラエルはM4「シャーマン」をここまでそろえたのか。その理由は、第2次世界大戦において、それまでアメリカやイギリスにいたユダヤ系やユダヤ人たちが、各国の軍人として従軍し、同車の運用や整備に関して相応の経験を積んでいたからです。

こうしたことから、新生イスラエルの戦車関係者たちにとってM4「シャーマン」は扱い慣れた存在であり、中古のみならずスクラップ扱いまでされていた同車の再生作業は、他の戦車よりもやりやすかった模様です。

また、大戦中にアメリカで大量生産されたM4「シャーマン」は、高い工作精度で造られていたことから、戦車の構造を知るという意味で、イスラエルの軍部のみならず同国の産業界にとっても偉大なる「参考書」になったのも、有意義なことでした。

まさにイスラエルは、「スクラップを生き返らせる作業」を何度も行うことで、戦車の開発と設計に通じる技術を習得した結果、やがてオリジナル戦車の「メルカバ」を生み出すまでの技術力とノウハウを醸成させたのです。

戦えないなら強力な武器と組み合わせよう!

イスラエル軍が本格的に装備した「シャーマン」戦車は、長く使われ続けたので段階的にバージョンアップが図られています。最初のうちは第2次世界大戦時に造られた75mm砲搭載型、105mm榴弾砲搭載型、76mm砲搭載型の3種類でした。

なお、イスラエル軍では搭載されている砲の型番を末尾に付け、前者を75mm戦車砲M3にちなんで「シャーマンM3」、中者を105mm戦車用榴弾砲M4にちなんで「シャーマンM4」、後者を76mm戦車砲M1にちなんで「シャーマンM1」と称しています。

特に、敵対する当時のアラブ側の主力戦車であったT34/85戦車に対し、優位に戦える「シャーマンM1」は、他のモデルと区別するため「スーパー・シャーマン」とも呼ばれました。

また、これらイスラエル初期の各「シャーマン」戦車は、オリジナルでは型式によって異なっていたエンジンを、コンチネンタル社製のガソリンエンジンに統一しています。

しかし、第2次世界大戦後に勃発した東西冷戦の中で、戦車の発展は著しく、大戦中の砲を搭載した「スーパー・シャーマンM1」が、いずれ威力不足となることは明白でした。
そこでイスラエルは、「スーパー・シャーマンM1」の火力向上を計画します。

具体的には、フランス製の長砲身75mm砲CN-75-50を搭載することを企図しました。ただ、この砲はそのままではM4「シャーマン」の砲塔に搭載できないため、砲塔にも手を加え、前後に延長することで容積を拡充し、搭載にこぎつけました。こうして生まれたのが、「M50スーパー・シャーマン」です。

かくして「M50スーパー・シャーマン」は、戦後生まれの戦車にも負けない攻撃力を獲得します。しかし1960年代に入ると、アラブ側にT-55などのさらに強力な旧ソ連戦車が供給されるようになり、「M50スーパー・シャーマン」はまたしても威力不足が懸念されるようになりました。

ウワモノ変えれば、まだ使えるよね

そこで今度は、さらに大口径の105mm戦車砲CN-105-F1を、砲身を短縮するなどして「シャーマン」に搭載することを計画。こうして生まれたのが、「M51スーパー・シャーマン」でした。

陸上自衛隊で例えるなら、61式戦車よりも古い、創成期に供与されたM4「シャーマン」戦車に、74式戦車と同等に近い砲を組み合わせたような「M51スーパー・シャーマン」は、研究者によっては「究極のシャーマン」と呼ぶほどです。

1962年に完成した「M51スーパー・シャーマン」は、主砲だけでなくエンジンもアメリカ製のディーゼルに換装されており、逐次改修を重ねる形で1980年代中頃までイスラエル軍で運用され続けました。

なお、「M51スーパー・シャーマン」は、イスラエル戦車兵の練度の高さもあって、実戦では、前出のT-55はもとより、より新しく強力なT-62戦車などを相手にしても互角以上の戦いをしています。

しかし、さすがにイスラエルのオリジナル・シャーマンの各型も、主砲の威力は上がっても防御力や機動力は大幅な向上を図るのが難しかったため、国産戦車「メルカバ」の導入と入れ替わるかのように、1980年代に入ると退役が始まり、一部はチリへ売却されました。

とはいえ、イスラエルが入手したM4「シャーマン」の生涯は、これで終わりを遂げたわけではありませんでした。

戦車として通用しなくなると、砲塔を取り払い、車体については 155mm自走榴弾砲M50、155mm自走榴弾砲「ソルタム」L33、160mm自走迫撃砲「マクマト」、シャーマンMRL系多連装ロケット発射器、さらには装甲救急車などに転用されたのです。「二度目のご奉公」といえば聞こえは良いでしょうが、まさにイスラエルの「骨の髄まで使い倒す」精神を垣間見るかのような「魔改造」ぶりでした。

このように、イスラエルのために半世紀近くにわたって使われ続けたM4「シャーマン」戦車は、まさしく同国にとっては「建国の戦車」であり「救国の戦車」でもあったと言っても過言ではないでしょう。

1966年の独立記念式典で行進するイスラエル軍のM51「スーパー・シャーマン」。搭載するのは105mm戦車砲(画像:イスラエル国防軍)。