今年1月23日に放送された、日本でいちばん明るい朝番組『ラヴィット!』(TBS系)にて、彗星(すいせい)のごとく現れ、とてつもないインパクトを残した人がいます。
その名は、みょんふぁさん。
この日は連続ドラマ「Eye Love You」(TBS系)主演の二階堂ふみさんと韓国人俳優のチェ・ジョンヒョプさんがゲストとして出演。そしてチェさんの通訳を務めていたのが、みょんふぁさん。
オープニングコーナーでチェさんがお笑い芸人のワラバランス・盛田シンプルイズベストさんの特技である「イメージダイブ」を体験した際、ネタを完全翻訳し、スタジオを大いに沸かせたのです。
盛田さんのキメ台詞である「ここでダ~イブ!」の後、「ヨギソダ~イブ!」と韓国語で絶叫したみょんふぁさんに、出演者も視聴者も大爆笑。
X(旧ツイッター)では「通訳さん」「ヨギソダイブ」などの関連ワードがトレンド入りし、TVerの再生回数も『水曜日のダウンタウン』とコラボしたあのちゃん大喜利回の2倍以上と、番組記録を塗り替える快挙を成し遂げました。
でも、このみょんふぁさんって一体何者なの?『女子SPA!』は謎多きみょんふぁさんにインタビュー。生い立ちやこれまでの経歴を聞いていくと、みょんふぁさんの驚きの実像が判明していきました!
◆大反響の通訳さん、実はすごい人だった!
――「通訳さん」として、ラヴィット史上に大きな爪痕を残したみょんふぁさん。放送後、かなり反響があったのではないですか?
みょんふぁさん(以下・みょんふぁ):本当にびっくりしました。でも、普段の私を知っている人たちはみんな「いつものみょんふぁじゃん」って言ってました(笑)
――あれが素のみょんふぁさんなんですか(笑)。そもそも、どういう経緯でチェさんの通訳をすることに?
みょんふぁ:実は『Eye Love You』のドラマにも出演してるんですよ。もともと私は通訳だけでなく女優としても活動していて「なんでもやります!」というスタンスなんです。
その流れの中でドラマのプロデューサーさんから「番宣の通訳と女優の両方で」と声を掛けてもらったというわけです。
――通訳を専門にされているわけではなく、女優さんでもあるんですか?!
みょんふぁ:そうですね。他に、司会・ナレーター・プロデューサー・演技講師もやっています。また、去年9月からは俳優事務所・SORIFAを立ち上げて代表を務めています。
◆子どもの頃は韓国語がぜんぜん話せなかった
――めちゃくちゃマルチじゃないですか!みょんふぁさんがどういう人なのか、さらに謎が深まってしまいそう……。ここは一つ、みょんふぁさんの生い立ちからひもとかせてもらっていいですか?
みょんふぁ:えっと、じゃあ、子どもの頃のことから順番にお話すればいいですか?私は大阪市生野(いくの)区の出身で、在日韓国籍三世です。
小学生の時は民族学校の金剛小学校に通っていたのですが、入学した年に担任の先生が韓国舞踏団を創立するとのことで、母親と一緒に立ち上げメンバーとして参加したんです。そこで「舞台が楽しい」という感覚を知ったことが、演技に関わる最初のきっかけになりました。
――なるほど。それで韓国語が話せるわけですか。
みょんふぁ:いえ、その時点ではぜんぜん韓国語は話せなかったんですよ。学校でも韓国語を使わなかったんで読み書きがちょっとできる程度。中学からは日本の学校に通い始めたので、韓国語ができるようになるのはもっと先のことです。
――早とちりでした(笑)。中学校ではどんな学生生活をしていたんですか?
みょんふぁ:演劇部に入って舞台に立つことは続けていました。その頃に将来的には大阪芸術大学の演劇学科に進学したいと考えるようになったんです。
でも、親からは絶対反対されるだろうなと思ってました。うちの父親は「演劇なんて男と女の雑魚寝(ざこね)やろ!」なんて豪語しちゃうような人だったので(笑)
◆韓国語を身に着けたのは大人になってから
――名言っぽくも聞こえる不思議(笑)。親御さんのことはどうやって説得したのでしょう。
みょんふぁ:高校一年生からピアノを始めて、演劇ではなく音楽学科に進学しました。演劇より音楽の方が心証が良かったみたいで(笑)。
とにかく入学して、後は阪芸(大阪芸大の略称)の中で演劇の人に出会ってそっちの道に進もうと目論(もくろ)んだんです。
なぜか劇団☆新感線(旗揚げメンバーは大阪芸大生が中心)ではなくて、劇団そとばこまちのオーディションを受けて入団したのですが、大学の卒業が危うくなったので一年半で辞めることになってしまいました。
――そこからしばらくは演劇から遠ざかってしまったのでしょうか。
みょんふぁ:そうですね。そのまま演劇界には戻らずに24歳の時に結婚して兵庫県に引っ越したのですが、そのタイミングで『FMわぃわぃ』という多文化・多言語コミュニティ放送局の立ち上げに携わることになったのです。
そこで在日の方のための生活情報番組のパーソナリティを担当することになり、韓国語を少しずつ勉強し始めました。
――仕事を通じて韓国語を身に着けたんですね。それ以降は主にどういった仕事を?
みょんふぁ:主婦をやりながら司会業を中心に活動していました。でも、その三年後には離婚して、ニュージーランドに一年ほど渡ることになったんです。
◆いきなりニュージーランドに飛んだワケ
ヨギソダイブ! https://t.co/189xKT38ei
— TBS『ラヴィット!』 (@tbs_loveit) January 23, 2024
――いきなりニュージーランド?!いったいどういう流れでそうなったのですか?
みょんふぁ:現地でフリースクールに通う日本人の子どもたちと舞台をつくるから手伝わないか?と声を掛けられたんです。
50人くらいの学生たちと共同生活をしながら、一年かけて『男はつらいよ』のミュージカルを創作しました。もちろん非営利です。
初めて舞台のまとめ役として演出や広報活動まで担ったのですが、オークランドで一番大きな劇場を満員にすることができたんです。
――す、すごい……!お客さんは知り合いやキャストの家族だけではなく?
みょんふぁ:はい。実は公演日の三ヶ月くらい前から『WHO IS TORA?』と書かれたハイエースを映画の音楽をかけながら走らせて、私がさらしに法被(はっぴ)姿で和太鼓を叩いて逃げるというゲリラ宣伝をしていました(笑)
――宣伝方法が破天荒すぎる!
みょんふぁ:でも一ケ月半くらい経つと、地元でだんだん話題になってきて、見事に動員につながりました。私にとって、この舞台の成功は大きな転機になったと思います。
――『ラヴィット!』で見たみょんふぁさんの片鱗を感じさせるエピソードでした(笑)。その後はニュージーランドには留まらずに帰国されたのですか?
みょんふぁ:はい。向こうで『日本の女優・みょんふぁ』としてやっていくこともできたんですけど、やっぱり日本で演劇をやりたい気持ちが強くなりまして。
あれだけ反対していた家族も『何をやっても誰かを傷つけることにはなるんだから、やっちゃえよ』と背中を押してくれました。
そしてついに、上京になります。折しも『冬ソナ』で韓流ブームの時期ですね。
◆「マルチな人間、万歳」と思えるようになったキッカケ
――まさに日本と韓国の距離感が一気に縮まった時代ですね。
みょんふぁ:そこから私自身も日韓交流が盛んになりました。韓流イベントの司会、日韓それぞれの戯曲の翻訳や、映画や演劇の通訳などで活動の幅がさらに広がったんです。
演劇の方では2014年に文化庁の在外研修に選ばれて、韓国国立劇団で俳優修業をし、翌年には韓国国立劇場で韓国女優デビューしました。
2016年には『代代孫孫2016』と『トンマッコルへようこそ』の二つの作品で小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞しています。
2021年には子供の頃からの夢だった、舞姫・崔承喜のひとり芝居『母MyMother』を『血と骨』や『焼肉ドラゴン』の鄭義信さんに書き下ろしてもらって公演を行いました。
――活躍ぶりが想像をはるかに超えていました。どれだけマルチなんですか。みょんふぁさん、凄い人だ……。
みょんふぁ:でも、長いこと女優という肩書きにこだわっている自分もいたんですよ。何をしていても、私の根本は女優だっていう感覚でいました。
それがある時、たまたま傍(かたわら)に居合わせた知らない韓国人のおばちゃんに「色んなことができるって最高じゃない」って言ってもらえんですよね。
その言葉をきっかけに自分の中の景色が広がっていったんです。今となっては「マルチな人間、万歳」って思ってるくらいです(笑)
――今回『ラヴィット!』に出演したことで、マルチな才能をさらに証明した結果になりましたね。
◆韓国でも話題になった『ラヴィット!』
みょんふぁ:あの放送は韓国でも大きな話題になったらしく、『在日三世のみょんふぁという女優が日本にいる』と知ってもらえたようです。
実をいうと在日と韓国人って意外なほど遠い存在なんですよ。私はずっと通名を使わず本名でやってきたのですが、韓国に行くとよく『なんで日本に帰化しないの?』と聞かれるくらい、在日の人間の生き方って知られていないんです。
でも、私を通じて少しでもそれが伝わるのなら、こんなに嬉しいことはないですね。
――では、みょんふぁさんの今後の目標は?
みょんふぁ:韓国と日本を繋げられる存在として、これからも活動し続けていければと思います。
――もしかして、今後はバラエティ的な活動も視野に入れてますか?
みょんふぁ:もしかしたら、今が頑張る時なのかもしれないのですが、何をしたらいいのか私自身が今イチわかっていなくて。だから今はとりあえず謙虚に通常運転です(笑)
――ありがとうございました!
【みょんふぁ】
女優、司会、ナレーター、韓国語通訳・翻訳、プロデューサー、演技講師 大阪府大阪市出身
<取材・文/もちづき千代子 写真/林紘輝>
【もちづき千代子】フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。度を超したぽっちゃり体型がチャームポイント。Twitter:@kyan__tama
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