ヴィム・ヴェンダース監督が日本を代表する俳優、役所広司を主演に迎え、東京・渋谷を舞台にトイレの清掃員、平山が送る日々を描いた人間ドラマ『PERFECT DAYS』(公開中) 。第76回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞に輝き、第96回アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされるなど、多くの国際映画祭で注目されている。日本では興行収入10億円を突破し、80か国以上の国で公開され、世界中の映画ファンからも高く評価されている。そんな『PERFECT DAYS』を手掛けたヴィム・ヴェンダース監督の過去作がAmazon Prime Video チャンネル「スターチャンネルEX」にて配信中だ。ヴェンダース監督の足跡を辿る8作を、映画ライターの月永理絵がピックアップして紹介する。

【写真を見る】1980年代の東京はどんな様子?ヴィム・ヴェンダースが敬愛する小津安二郎の描いた東京を歩く(『東京画』)

『PERFECT DAYS』は、ヴェンダースの過去作を象徴するいくつもの要素であふれている。幻想ともいえる東京の景色のなかで、都内のアパートに住む平山は、ほぼ毎朝、愛車に乗って様々な公衆トイレへと向かう。仕事場への移動とはいえ、カセットで好きな音楽を流し、車窓からの風景を楽しみながら運転する平山の姿に、かつてのヴェンダース映画、とりわけ1970年代から80年代までのロードムービーを思い出した人は大勢いたはず。

ではヴェンダースがかつて手掛けたロードムービーとはどのようなものだったのか。いま改めて、彼の映画における「旅」を振り返ってみたい。行き先を失った者たちのあてどのない旅。幻想を追い求める人々の姿。そして物語への果てなき探究心。初期の代表作を辿るうち、ヴィム・ヴェンダースという人が、いかに同じ主題を追求してきた人かが、きっと見えてくる。

ヴィム・ヴェンダースの原点となる1作『都会のアリス

初期のヴェンダース映画を代表する1作とも言えるのが『都会のアリス』(74)。ドイツ人の作家フィリップ(リュディガー・フォーグラー)は、予定していた旅行記を執筆できず、アメリカからドイツへ帰国する途中、偶然出会ったドイツ人の女性から9歳の娘アリス(イエラ・ロットレンダー)を託される。突然の事態に戸惑いながらも、フィリップアリスを連れ、ニューヨークからアムステルダムへ、そしてドイツのルール地方へと向かう旅に出る。

母親を見失った少女と、突然彼女の保護者となった男の奇妙な旅。かりそめの親子となった2人は、友達のようにふざけ合い、互いを慰め合う。本作の脚本を執筆中、ヴェンダースは当時公開されたピーター・ボグダノヴィッチの『ペーパー・ムーン』(73)を観て、自分の考えていた物語との酷似に大きなショックを受けたという。だが、敬愛するサミュエル・フラーから励まされ再び脚本にとりかかった結果、深い喪失を抱えた2人が出会い別れていくまでを描いた、傑作ロードムービーが誕生した。

16mmのモノクロフィルムで撮られた『都会のアリス』は、多くの映画作家たちに愛された映画で、青山真治監督『EUREKA』(00)や、マイク・ミルズ監督『カモン カモン』(21)からは、その強い影響が感じ取れる。

■即興演出で綴る映画の旅『さすらい』

『都会のアリス』、『まわりみち』(75)に続いて発表された『さすらい』(76)は、ロードムービー三部作の最終章。大型ワゴンにフィルムを積み各地の映画館をまわる映写技師のブルーノ(リュディガー・フォーグラー)と、妻と離婚したばかりのロベルト(ハンス・ツィッシュラー)。偶然の出会いから意気投合した2人は、ワゴンに乗り込み、東西ドイツ国境付近をさすらう。

猛スピードで走るロベルトの車がそのまま川へと飛び込むさまをワンショットで捉えた場面から、列車とワゴンが並走し分かれていくまでを車窓の切り返しで見せるラストまで、本作にはいまも語り継がれる名シーンが数々登場する。あらかじめ脚本を用意せず、その場その場で物語をつくり撮影が行われたのは有名な話だ。

ブルーノロベルトの気ままな旅には不思議な可笑しみがあふれる一方で、流れものの映写技師の姿を通して、映画そのものが「死」に瀕している現実が浮かび上がる。この映画が撮られた1970年代後半、映画館という場所は徐々に衰退し、映画文化のありかたが大きく変容しつつあった。『さすらい』は、そうした時代の空気の鮮明な記録であり、ヴェンダースが、映画が死を迎えた後、自分はどのように映画をつくれるのか、という主題に取り組んだ作品でもある。

■同名小説を映画化したクライムサスペンス『アメリカの友人』

脚本がないままに撮影を進めた『さすらい』から一転、ヴェンダースは、大好きな作家パトリシア・ハイスミスの同名小説「アメリカの友人」の映画化に挑戦する。絵画の贋作を売り捌くアメリカ人のリプリー(デニス・ホッパー)は、オークション会場で額縁職人のヨナタン(ブルーノ・ガンツ)と出会い、多額の報酬を餌にある殺人を依頼。奇妙な縁で結ばれた2人の男の運命は、予期せぬ事態へと発展していく。

主演は、当時ハリウッドから遠ざかりつつあったデニス・ホッパー。『太陽がいっぱい』(60)でアラン・ドロンが作り上げたトム・リプリー像とはまったく違う、テンガロンハット姿のトム・リプリーを演じ、人々を驚かせた。自分が余命わずかだと信じ込み、家族のために殺人を引き受けるヨナタン役は、のちに『ベルリン天使の詩』(87)に主演するブルーノ・ガンツニコラス・レイ、ダニエル・シュミットジャン・ユスターシュら、ヴェンダースが敬愛する映画監督たちが俳優として多数出演しているのも本作の見どころ。

ヨナタンとリプリーは、殺人を遂行するため、ハンブルクからパリへと移動し、列車内で格闘したかと思えば、猛スピードで車を走らせる。サスペンスに満ちたこの物語もまた、孤独な者たちのロードムービーなのだ。

■自身の苦い映画づくりの体験を反映した『ことの次第』

映画作家の多くは、しばしば自己言及的な映画をつくる。フェデリコ・フェリーニは『8 1/2』(63)で映画監督の苦悩と夢想を描き、フランソワトリュフォーは『映画に愛をこめて アメリカの夜』(73)で映画撮影の現場で起こる騒動を描いた。そして『ことの次第』(82)は、ヴェンダースが監督としての自身の姿を映しだした映画だ。

『アメリカの友人』で評価を得たヴェンダースは、フランシスフォード・コッポラにハリウッドへ招かれ、『ハメット』(82)の監督を引き受ける。だが製作資金の問題などで撮影はたびたび中断。そのごたごたの合間にポルトガルへ向かい、低予算で撮影を始めたのがこの『ことの次第』。物語は、ポルトガルでSF映画のリメイクに挑む映画クルーが、資金難のために撮影中止を余儀なくされ、異国の地で無為な時間を過ごすというもの。

『ことの次第』には、『ハメット』で体験したヴェンダースの苦難がはっきり反映されている。自身の体験をもとに、映画製作の壁にぶち当たる人々の物語を描くなかで、映画とはなにか、映画を撮るとはどういうことか、という問いが浮かび上がる。その問いは、ヴェンダース映画に一貫したテーマでもあるはずだ。

■映像美にも注目!傑作ロードムービー『パリ、テキサス』

ドイツで映画をつくりながら、ヴェンダースは常にアメリカの風景に憧れ、自分なりのアメリカ映画をつくろうとしてきた人だ。だからこそ、アメリカを舞台に、一人の男のテキサスからロサンゼルス、ヒューストンまでの旅を描いた『パリ、テキサス』(84)は、彼の長年の願望を叶えた映画だった。ヴェンダース自身、この映画をつくったことで自分はアメリカ映画への執着からようやく解放されたとインタビューで語っている。

原作・共同脚本を手掛けたのは、劇作家で俳優のサム・シェパード。テキサスの砂漠を彷徨っているのを発見された一人の男(ハリーディーンスタントン)。実は彼は、4年前に妻子を捨て行方不明になっていた男だった。妻子へと会いにいく彼の旅を通して、狂おしいほどの愛の物語が奏でられる。

ハリーディーンスタントンの赤いキャップナスターシャ・キンスキーのショッキングピンクのニット。荒涼とした砂漠に広がる真っ青な空。長年ヴェンダースとの協働を続けてきた撮影監督のロビー・ミュラーが手掛けた映像は、赤と青のイメージによって形成され、その鮮烈な美しさによって人々を魅了した。

■敬愛する小津安二郎へのオマージュを込めた『東京画』

1983年4月、ヴェンダースカメラマンのエド・ラッハマンと共に東京へと向かい、敬愛する小津安二郎の足跡を辿る旅日記を製作しはじめる。だが、80年代の東京の街は、小津映画に映る景色とは似ても似つかず、自ら録音係を務めたヴェンダースは、自分が求めていたものは「幻想の東京」だったと痛感する。撮影から2年後に編集に着手した時には、撮影素材を前に途方にくれるばかりだったと、監督自身のモノローグによって語られる。結果的に、『東京画』(85)は当初の構想から離れ、語るべき物語を失い混乱する一人の男の、極めて内省的なエッセイ映画となった。

混乱しながらも、蝋細工による食品サンプルの制作風景、騒々しい光と音に満ちたパチンコ店、男たちが集うゴルフ練習場など、外部の視点から眺めた東京の風景は見ていて楽しい。なにより、小津映画を支えた俳優の笠智衆と撮影監督の厚田雄春への貴重なインタビューは、映画ファンならずとも必見。

■天使と人間の恋を描く『ベルリン天使の詩

東京への旅と『パリ、テキサス』の成功の後、ヴェンダースベルリンへ戻り、世界各地を舞台にした超大作SF映画『夢の涯てまでも』(91)に取りかかる。だがその準備には想像以上の時間がかかり、それならまずは自分がよく知るベルリンでもう1作撮ろうと思い立つ。

ベルリンの街を見下ろし、人間たちの日常を観察する黒のロングコートを着た天使たち。彼らの耳には、いつも人間たちの心の声が聞こえてくる。そんなある日、天使のダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、移動サーカス空中ブランコ乗りをしている女性マリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)にひと目惚れする。

フランス出身の撮影監督アンリアルカンのカメラが、モノクロの世界の中に繊細な光と影を作りだす。ブルーノ・ガンツ演じるダミエルの恋の行方と、相棒カシエル(オットー・ザンダー)との友情を描いたこの物語は、壁崩壊直前のベルリンの風景をとらえたポートレイトであり、天界から人間界へと旅するロードムービーでもある。名探偵コロンボ役で知られるアメリカ俳優ピーター・フォークが本人役で登場するのがまた楽しい。

世紀末の世界を巡る『夢の涯てまでも』

ヴェンダースの渾身の企画であり、過去作で繰り返し扱ってきたテーマすべてが注ぎ込まれた集大成と言える『夢の涯てまでも』。これほど巨大な映画とは、映画史を見渡してもそうそう出会えない。『パリ、テキサス』の成功で名声を得た結果、作家映画としては異例ともいえる巨額の製作費がかけられた本作は、日本、アメリカ、ドイツフランスオーストラリアの合作体制、撮影は9か国20都市で行われた。U2やトーキング・ヘッズ、ルー・リードなど名だたるミュージシャンたちが楽曲で参加したことでも話題となった。

物語は、いわゆる世界の終末を扱ったSFもの。製作当時としては近未来となる1999年冬、滅亡の危機に陥った世界で、あてのない旅を続けるクレア(ソルヴェイグ・ドマルタン)とお尋ね者のトレヴァー(ウィリアム・ハート)が出会い、リスボンモスクワ、北京、オーストラリアと奇妙な追跡劇を繰り広げる。

盲目の母のため、世界中をまわり現実の風景を記録し続けるトレヴァーは、まさに映画監督の化身的存在。物語を求め、世界の涯て、さらに自分の夢の涯てまで旅を続けるトレヴァーの姿は、自分が描くべき物語を求め繰り返しロードムービーを手掛けてきたヴェンダースそのものだ。初期ヴェンダースの総集編的映画といえる本作は、2時間半近くのインターナショナル版が公開されたが、後に4時間47分にも及ぶディレクターズカット版が発表され、まったく新しい映画として生まれ直した。

文/月永理絵

『パリ、テキサス』など、ヴィム・ヴェンダースのロードムービー8選/[c] 1984 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH ARGOS FILMS S.A. and CHRIS SIEVERNICH PRO-JECT FILMPRODUKTION IM FILMVERLAG DER AUTOREN GMBH & CO. KG LOGO REVERSE ANGLE