「かわいい人へ。君と僕は相変わらず歌みたいだね。って。でも僕は、君がいつも必ずそばにいてくれるのを感じているし、ますます強く君のことを愛している」

 これは、2024年2月14日のバレンタインデーに妻に送られたテレグラムのメッセージである。この上なく美しい夫婦の写真も添えられていた。

 その2日後に突然、メッセージの送り主は亡くなった。北緯66度に位置するヤマロ・ネネツ自治管区の通称「極北のオオカミ」という矯正収容所で。

 送り主の名は、アレクセイ・ナワーリヌイ。長年にわたってプーチン政権の汚職・強権を批判してきた不屈の反体制政治家だ。数々の反プーチン・デモを組織し、幾度となく逮捕され、20年には毒を盛られて意識不明になりドイツに搬送されたにもかかわらず、不死鳥のようによみがえり、帰国するなり拘束された。そして昨年末、きわめて過酷な監視体制の敷かれた極北の監獄に送られたのだった。

 スイス在住の作家ミハイル・シーシキンは「ガーディアン」誌でこう述べている。「刑務所に入れられるのではないかとわかっていながらなぜナワーリヌイは帰国したのか、と誰しも疑問に思うだろう。もちろん彼は分かっていた。彼は闘士であり、戦士なのだ。最後まで闘って勝たなければならないと思っていたのである」。そして「彼は諦めずに最後まで闘うことで私たちに希望を与えてくれた。今度は私たちが彼の希望になる番だ」と呼びかける。

 実は、冒頭のメッセージにあった「歌」とは、1970年代に歌手アンナ・ゲルマンが歌って以来、ロシアでずっと愛されてきた「希望」というタイトルの歌謡曲である。

 「見知らぬ星がきらめいている/私たちはまた家から引き離された/またふたりの間にはいくつもの町/空港滑走路のライト/(中略)希望は私の地上のコンパス/成功は勇気に対する勲章」という歌詞だ。

 期せずしてこの歌は、夫婦の愛の賛歌であるのみならず、勇気をもって未来に希望をつなぐようにというアレクセイの遺言になった。

 彼は、2014年にロシア当局がクリミアを編入したことを支持していたし、民族主義的な発言や差別的な物言いをしたこともあるので、私は必ずしも全面的にその主張に賛同してきたわけではないが、巨大な権力に立ち向かった勇気、人々を惹きつけるリーダーシップは類いまれなるものだと思う。

 そして、いつもそばにいて彼を支えてきた妻ユリヤもまた驚くほど大胆で勇気のある人だ。2月19日、ユリヤが毅然としてロシア国民に向けて放った力強いメッセージに胸が震える。「私はアレクセイ・ナワーリヌイの仕事を継いで、私たちの国のために闘い続けます。私と共に立ちあがるよう皆さんに訴えます。私たちを覆いつくし放してくれない哀しみや果てしない痛みだけを分かち合うのではなく、どうか怒りも私と共有してください。図々しくも私たちの未来を葬り去ろうとした人たちへの怒りや憎しみを共有してください」(敬称略)

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 10からの転載】

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沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

アレクセイ・ナワーリヌイの遺言 【沼野恭子✕リアルワールド】