現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売前から注目を集めている。

巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。

(以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋)

西武ライオンズ時代、選手たちに課した“食事改善”

八一年オフ、四九歳の広岡達朗は満を持して西武の監督に就任。最初に取り組んだのは選手たちの食事の改善だった。疲労回復を促進するアルカリ性の食材を多く摂り入れることを厳命した。当時、あまりに先鋭的だった食事改善について広岡達朗はこう語る。

「年によって必要な食べ物も違うし、考え方も違う。大人になるための素材を大地の神様が作っているという考えで、二〇代までは動物性タンパク質を摂って身体を作り、三〇になったらそれらをできるだけ減らしていく。四〇代以降は動物性タンパク質を摂らず、野菜や果物を食べて長生きする。これが『自然の法則』なのだ。ヤクルト時代もそうだったけど、こうした自然の法則にできるだけ逆らわないよう指導しただけ」

今では中学生でも、徹底したカロリー計算のもとバランス良く食事を摂る〝食育〟を行うことが基本となっている。

だが、当時は無法状態だった。一晩でどれだけ飲んで食った かが武勇伝のように語られた。水島新司の伝説の漫画『あぶさん』のように、二日酔いで ホームランを打つ選手が破天荒として人気を得た時代だ。テレビの世界でも、情報バラエティー番組『久米宏のTVスクランブル』(八二〜八五年)に天才漫才師の横山やすしが酒を飲んで出演していたくらいだ。観ているぶんには面白かったが、すぐさま降板となった。そりゃそうだろう。今なら絶対にできない。

東尾修田淵幸一…西武のベテラン陣からの反発

打って投げて、試合が終わったらバカみたいに肉を食ってアホみたいにビールをかっくらう。これが当時のプロ野球選手の食生活で、良くも悪くも〝豪快〟という言葉で許された時代。コンディションの維持はアマや弱者がやることだという風潮がいまだ根強かったプロ野球界では、広岡の考えは異端だった。当然、ヤクルト時代と同様に選手からは総スカンを食らった。特にベテラン陣からの反発は凄まじかった。

東尾修田淵幸一山崎裕之大田卓司片平晋作、黒田正宏といった西武のベテランたちは「食いたいものも食えないのかよ!」と嘆き、激昂した。しかし、広岡は頑として規制を緩めることをしなかった。だからと言って素直に従う輩たちではない。

「これじゃあ高校野球じゃねえかよ!」

選手たちが管を巻きながら内緒で飲み食いをする。

当時の広岡は、インタビューで雄弁に語っている。

「肉を食うな、酒を一滴も飲むなとは言ってません。全般的に野球選手は肉を食べ過ぎている。酒も適量なら健康に良いが、バカみたいに飲む選手が多い。だから体力の消耗が激しいキャンプ中は酒を禁じ、肉を控えめにした食事を摂らせているだけ。別に四六時中監視しているわけじゃないから、どこかで飲むでしょう。しかし、チームとして禁じておけば少しは歯止めになるだろうと思ってやっています」

マスコミはここぞとばかり面白おかしく報道した。肉を制限する理由として「日本人は腸が長いから腸に残って腐敗する」などと広岡が言ってもいないことを勝手に書き立て、日本ハムから激怒されたこともあった。さすがに広岡も呆れ果てた。実際、西武の食事改善が球界内外で話題となったことで、ほかの11球団が玄米食の推奨の意図や成果を聞きに視察に来たことを一切報じようとしなかった。広岡が、面白ければ何でもありという報道のあり方に甚だ疑問を持ったのもこの頃だ。

「選手が『監督だけ酒を飲みやがる』と言ったことがあったけど、アメリカに行ったときに不思議に思ったことがあった。指導者は練習後に冷えたビールを飲むけど、選手用の冷蔵庫には清涼飲料水しか入ってない。どういうことだと聞いたら、アメリカ人に笑われた。アメリカでは教えることを教えたら指導者はビールでもなんでも飲んでいい。しかし、選手は常にベストコンディションを保たなければいけないので、アルコールは与えられないと。理に適っていると思った」

広岡は得意満面で言う。確かにその通りだ。アメリカは常に合理的でシステマティックに動いている。しかし、ここは日本だ。皆で目標に向かって一致団結して行動をともにすることを美徳とする精神がある。指導者だろうと選手だろうと同じ規律のもとで戦おうという軍国主義的な考えが八〇年代はまだ根強く残っており、自分たちだけ我慢を強いられ、指導者だけ好き勝手なことをするのは許さないという認識が蔓延っていた。広岡のようなアメリカナイズされた考えた方は受け入れられず、かなりのバッシングを浴びた。

しかし、ベテランの田淵や山崎が厳しいトレーニングと徹底した食事管理によって体質改善を果たして見事復調。二年連続で日本一に輝くと、広岡の考えは途端に持ち上げられるようになる。

「例えば病気にかかったときは、現在の食事、睡眠を含めた生活習慣が間違っていること を病気が教えてくれているということ。野球も同じで、結果が出ないときはどこかやり方 が違うよと成績が教えてくれているだけ。そういう考え方をすれば強くなる」

広岡は、すべて真理に基づいて行動している。食事管理にしても、こうした考えから「やるべきことをやっているだけ」に過ぎなかった。それを周りが面白がって騒ぎ、結果が出れば手のひらを返す。つくづく日本人の国民性には呆れたものだ。

就任一年目から二年連続の日本一に輝いた広岡率いる西武ライオンズだったが、八四年シーズンからは田淵、山崎、大田といったベテラン勢に頼ることなく、若手主体のチームへと舵を切った。ここから、広岡が本当にやりたかった野球の集大成となる新生ライオンズが始動する。

(次回に続く)

※工藤公康も出場する西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」が3月16日(土)にベルーナドームにて開催予定。

【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

―[92歳、広岡達朗の正体]―


『92歳、広岡達朗の正体』が3月14日に発売