カブスでも同僚となった今永(右)と笑顔で2ショットを撮るエスコバー(左)。(C)Getty Images

 日本球界で7年も活躍した鉄腕助っ人は「安定」を求めて、群雄割拠のメジャーリーグに戻る決断を下した。今オフにカブスとマイナー契約を締結したエドウィン・エスコバーだ。

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 タフネスさが光った怪腕だった。2017年は日本ハムと契約し来日したエスコバーは、同年7月にトレードでDeNAへ移籍すると、アレックス・ラミレス監督(当時)の体制下にあったチームで地位を確立。2019年は自己最多の74試合に登板して防御率2.51をマークするなど、日本でも屈指のリリーバーとなった。

 2018年から5年連続で50試合以上に登板し、昨季は自己最多の34ホールドを記録したエスコバーだったが、オフに契約満了となってDeNAから退団。カブスの地元紙『Chicago Tribune』によれば、NPB球団からのオファーはあったものの、「家族のために(アメリカに)戻る準備はできていた」という。

 新型コロナウイルスが蔓延した20年以降は、日本で約8か月間は単身赴任の生活を送っていた。そのため、エスコバーは愛する3人の子どもとの貴重な時間を「家族みんなで一緒にいられる瞬間を待ち望んでいた」。そしてカブスとのマイナー契約も甘んじて受け入れた。

 無論、日本を嫌いになったわけではない。『Chicago Tribune』の取材に応じた31歳は、「日本では多くの経験を積んだし、試合に対する知識も増えた」と力説。そしてブルペンからチームのために奮闘し続けた日々を次のように振り返っている。

「大変ではあった。とにかくタフだったけど、おかげで今ではほぼ毎日ブルペンから出てくることが平気になった。それは僕にとってとても大きいことだ。それができる人は多くない。そうやって力をつけることができたんだ」

 さらに日本でプレーしている最中には「『ずっと日本に居たいのか?』と、よく聞かれた」というエスコバー。しかし、彼には不思議とそういう感覚はなく、「よく分からないけど、いつかはアメリカ、MLBに戻ってくるような気がしていた」という。つまりカブス移籍は、その“いつか”だった。

 もっとも、エスコバーは今春の春季キャンプでは招待選手。開幕ロースターを勝ち取るためにはしっかりとアピールする必要がある。31歳の左腕にとってまさしく茨の道だ。

 それでもカブスを率いるクレイグ・カウンセル監督は「日本で成功したというだけで、彼の実力は十分物語っている」と指摘。エスコバーに確かな評価を下している。

「彼は若い選手じゃないからそれなりの競争は必要になる。ただ、ブルペンサウスポーのオプションを置くのは我々が必要としていることだ。少なくとも私にとっては興味深い存在だ」

 充実感のあった日本での7年間を過ごしてきたエスコバー。今春は熾烈な競争に身を投じているが、「毎日を楽しんでいるよ。大好きなことを続けることができて幸せだ」と語る元助っ人に焦りは見られない。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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