東京・大阪方から新幹線に乗って、「次は広島にとまります」とアナウンスが入ると、左車窓に映るのが、広島貨物ターミナルプロ野球 広島東洋カープの本拠地 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島マツダスタジアム)。

2022年ごろまでは、山陽線 瀬野~八本松(セノハチ)の連続勾配を行く貨物列車を後ろから支える 補機専用 電気機関車 EF67 の赤い車体もみえた。

このマツダスタジアムも、実は広島貨物ターミナル駅(旧広島操車場・旧東広島駅)の跡地の一部を広島市が取得し2009年に開業。旧広島市民球場にかわる広島市民の新たなホームスタジアムとして、かえがたいオアシスとして定着している。

国鉄用地の跡にできたマツダスタジアム、電車沿いの風物詩

JR広島駅からマツダスタジアムへ行くカープファンが、山陽線の線路沿いをこうして歩いて行く姿は、もはやプロ野球シーズンの風物詩

広島駅すぐの愛宕踏切は、鉄道ウォッチの隠れた名所でもあり、鉄道好きでカープファンは、オープン前から山陽線の電車や貨物列車をみながら球場入りするという。

一日じゅういられる癒やしと学びのスポット、おりづるタワーへ

マツダスタジアムから広島駅へ戻り、広島電鉄の電車で15分のところにある おりづるタワーは、2016(平成28)年 秋に世界遺産原爆ドームの東側に誕生。環境に配慮した新しい広島のランドマークタワーとして親しまれている。

その最大の魅力は、展望台からの眺望。世界遺産 原爆ドーム、平和記念公園一帯に広がる平和と復興した街並み、そして晴れた日には遠く宮島の弥山まで見渡せて、一日じゅういられる癒やしと学びのスポット。

―――この おりづるタワーへ へ込める想いを、開業当時の2016年に、広島マツダ 松田哲也氏がこう綴っている↓↓↓

「試練を乗り越えてきた『人の強さ』を」

(引用ここから)

私たちの願い
~ 人間の強さと優しい未来を感じる場所 ~
私たち広島マツダは、1933年、当時原爆ドーム一帯に位置した猿楽町で創業。
しかし、1945年原子爆弾の投下によって、全社員を失い、社屋も倒壊。
その後、草木も生えないと言われた廃墟から、広島の復興と共に、今日まで成長してきました。

この地でしか伝えられない「哀しみ」があり、
この地でしか感じられない「希望」がある。

おりづるタワーは、
試練を乗り越えてきた「人の強さ」を、
何より「優しさあふれる未来」を、ひとり一人の瞳に描いてほしい。
これが、広島で育ち、広島に育ててもらった、私たちの願いです。

同じ想いを持つたくさんの仲間と、積み上げて誕生したこの空間。
ひとりでも多くの人に。
おりづると共に。

空を翔け 時を超え 心に届け

2016/07/11
株式会社広島マツダ 代表取締役会長兼CEO 松田哲也

(引用終わり)

いまこそ、あらためて広島ピースツーリズムの時間を

この原爆で壊滅したヒロシマが、ここまで復興を遂げ、いまもなお平和への祈り・願いを忘れない地として、さらに成長・進化していく姿を、このいまこそ体感・共有したい―――。

それが、あの日の記憶と復興した今の姿をたどるルートを巡る、広島ピースツーリズム↓↓↓
https://peace-tourism.com/

この広島ピースツーリズムが導いてくれる、広島の旅をトレースすると、忘れてはいけない戦争の残虐さ、いまを人を敬いみんなで限られた時間を大事に生きる大切さを痛いほど痛感し、前進するチカラをくれる。

ヒロシマから世界へ。ともに「平和とはなにか」を考え、共感し、平和への思いを共有する街―――広島へ。

あらためて平和記念公園でヒロシマピースボランティアの話を聞き、あの日の記憶をたどるルートを巡りながら、ゆっくりじっくり広島の過去・現在・未来を体感してみて。

(動画引用元:おりづるタワー HIROSHIMA ORIZURU TOWER)