前身の警察予備隊時代から数えて70年以上の歴史がある自衛隊の災害派遣。2024年の元日に発生した能登半島地震でも派遣され、さまざまな活動に従事しています。自衛隊は災害派遣によって国民の信頼を得るとともに、鍛えられたと言えそうです。

大災害でなぜ自衛隊は頼られるのか?

2024年の幕開けに襲った能登半島地震を始めとして、いまや自衛隊は大規模災害時に欠かすことのできない、頼りにされる存在となっています。前身の警察予備隊時代から数えて、自衛隊の災害派遣は70年以上の歴史があり、その間、毎回異なる派遣先の状況に応じて経験を積み、絶えず進化を遂げてきました。

災害派遣は、自衛隊法第83条に基づく自衛隊の本来任務を構成する要素のひとつです。また、2022年12月に閣議決定された最新の「国家防衛戦略」、そして同じく2022年12月に閣議決定された最新の「防衛力整備計画」でも、防衛力が果たすべき役割のひとつとして「大規模災害などへの対応」が挙げられています。

災害派遣における自衛隊の強みは、どんな状況にも対応できる多様な専門家集団であることと、自己完結型の組織であることが挙げられます。捜索・救命用にとどまらず、警察や消防が保有していない土木工事も可能な装備品に、陸海空を網羅した輸送能力、そしてなにより活動拠点の構築や食事などを自力でまかなえることは、派遣先のリソースを極力圧迫せず活動できることを示しています。

派遣については、都道府県知事や海上保安庁長官、管区海上保安部長および空港事務所長の要請により、防衛大臣が「緊急性」「非代替性」「公共性」の3要件を総合的に勘案して判断し、やむを得ない事態と認める場合に部隊などを派遣することを原則としています。一般的には地元の警察や消防、自治体職員では対処しきれない場合に派遣されると考えていいでしょう。

例外として都道府県知事に要請を要求できない場合は、市町村長が防衛大臣または大臣の指定する者(担当区域における陸上自衛隊の師団長など)に直接要請することも可能です。また、要請がなくても緊急性が求められる場合は、防衛大臣または大臣の指定する者が派遣命令を出すことで、災害派遣(自主派遣)されるケースも想定されています。

1日1件以上ある自衛隊の災害派遣 その内実は?

単純に「災害派遣」といっても、その内容は様々です。統合幕僚監部が2023年7月28日付で発表した報道資料によると、2022年度の災害派遣件数は381件とのこと。過去10年で見ると多少の変動はあるものの、2013年の555件から、ゆるやかに減少しているといえるでしょう。

災害派遣のなかで最も多いのが、離島などでの急患輸送です。2022年に実施された381件の災害派遣のうち317件、割合で言うと83%を占めています。高度な医療インフラの整わない島しょ地域にとって、自衛隊の能力が頼りにされていることがうかがえます。

これ以外に、別建てとして不発弾などの処理もあり、2022年度には陸上自衛隊で1372件、計約41.9tの「不発弾その他の火薬類」処理が実施されています。なお、このうち約3分の1を占めるのが沖縄県での処理分で、件数でいえば467件、量では約13.1tにもなります。

一方、海中および海底における機雷などの爆発物処理は海上自衛隊が担当しており、2022年度に3779件、計約2.7tの「その他の爆発性危険物(魚雷、爆雷、爆弾、砲弾など)」処理が実施されています。

過去にあった災害派遣で変わったものといえば、1960年代に地元猟友会や警察と協力し、人を襲ったヒグマに対処した害獣駆除が10件以上記録されています。

災害派遣で心を病んでしまうケースも

また大規模な事故でも派遣される場合があり、1974年11月に発生したタンカーと貨物船の衝突事故では、炎上し曳航中だったタンカーが漂流し始めてしまい、その速やかな海没処分のために護衛艦潜水艦哨戒機が出動し、砲撃と雷撃、そして爆撃などによりタンカーを「撃沈」したケースもありました。

ほかにも、2020年からの新型コロナウイルスパンデミックにおいては、医官や看護官といった医療関係の隊員が支援のため医療機関に派遣されたほか、東京と大阪にワクチンの大規模接種会場を設置し、運営したことも記憶に新しいところです。

伝染病での災害派遣は、人間のものだけとは限りません。口蹄疫、豚熱、鳥インフルエンザといった特定家畜伝染病の流行に際しては、まん延を防ぐため感染した牛や豚、鶏が出た農場やその周辺における殺処分などの防疫措置を速やかに実施するため、人員確保が不十分な場合に自衛隊による災害派遣が行われています。

2022年度に北海道から鹿児島県にかけての13道県で発生した鳥インフルエンザに対しては、のべ約3万3000人もの隊員が活動して、鶏の殺処分を実施しました。牛や豚の場合、薬剤注射による殺処分が認められるのは獣医のみなので、自衛隊は家畜の誘導や死体の埋却処分を担当します。

しかし、鳥インフルエンザの場合は二酸化炭素によるガス殺が中心で、隊員自身が殺処分を担当することもあって、派遣の経験から心を病んでしまうこともあるといいます。

災害派遣の経験が自衛隊を強くする

それぞれの災害派遣は、実施した部隊だけでなく報告書を通じて自衛隊全体で共有されることから、現場での活動は貴重な知見となります。

現在、能登半島地震に関する災害派遣では、給水支援や入浴支援などが中心になっていますが、そこで多用されている陸上自衛隊の「野外入浴セット」は、1985年日航機墜落事故で派遣された経験をもとに、隊員の士気向上を目的として開発されたものです。このほか海上自衛隊輸送艦などによる入浴支援も、被災者に喜ばれています。

自衛隊における災害派遣の取り組みを大きく変えたのが、1995年阪神・淡路大震災でした。自衛隊発足以来、初めてといえる大規模かつ広域にわたる災害派遣では、受け入れ先の自治体が自衛隊と普段から交流していなかったこともあり、地元自治体との連携強化が大きな課題として浮かび上がり、地域の防災訓練などに自衛隊が参加するきっかけとなりました。

2011年の東日本大震災では、陸海空の自衛隊を一元指揮する現場の統合司令部、「統合任務部隊(JTF)」が史上初めて編成されています。これにより自衛隊と受け入れ自治体との窓口が一本化され、活動がスムーズになった反面、今度は末端での地域ボランティアとの連携に課題を残しました。この教訓から、地域の防災NPOやボランティア組織と地元の部隊が、定期的に意見交換する機会を設けるようになっています。

今回の能登半島地震における災害派遣では、大きな被害を受けた被災地に向かう主要な道路が1本しかなく、それが寸断されたことで部隊の展開が逐次的になってしまったり、過疎地で孤立する集落が発生し支援物資を人力で運ばざるを得なかったりといった課題が指摘されています。

しかし、これまでと同じように、今回の課題も「経験値」として、フィードバックされるはずです。それを教訓に、自衛隊はさらに強靭な対応力をもつ組織へと変貌することは間違いないでしょう。

1995年3月に起きた地下鉄サリン事件で地下鉄霞ヶ関駅構内を除染する陸上自衛隊員(画像:陸上自衛隊)。