ブリオベッカ浦安のMF上松瑛。彼はこの1年、様々な葛藤とともに日々を過ごしてきた。

10日、日本フットボールリーグ(JFL)が各地で開幕し、昨季2度目の昇格・即準優勝という好成績を残した浦安は、ホームでFCマルヤス岡崎と対戦。0-1で敗れ、黒星発進となった。

幸先良いスタートを切れなかった彼らだが、ファンにとっては嬉しいトピックも。昨年3月12日、昨季の開幕戦で右ヒザ前十字じん帯損傷を負い、以来ピッチから遠ざかっていた上松が、ほぼ1年ぶりの公式戦復帰を果たしたのだ。

上松は京都府出身の32歳。明治大学から2014年に当時関東サッカーリーグ1部の浦安へ入団後、1度目のJFL昇格を経験したのち、18年にJ3ガイナーレ鳥取へ完全移籍…3年間主力の座を維持し、副主将まで担ったが、21年に浦安へ電撃復帰。翌22年に浦安で2度目のJFL昇格を成し遂げた。

この日、1点ビハインドの78分に途中出場した上松。「相手のウィークポイントを考慮して“セットプレーを多く獲得しよう”というテーマがありましたが、うまくいきませんでした。今日良かったのは前半無失点だったこと。ただ、上の順位へ行くため、もっと守備の連携・バランスを高める必要があります」と試合を振り返る。

自身1年ぶりの公式戦という点には「チーム内でも特に気合が入っていたと思います」とし、「出場したら、たとえ何分でもゴールを…と。貢献できなくて残念です」と肩を落とす。

「(後半途中から2トップに変更して)井上翔太郎(181cm)と東駿(184cm)を上手く使って、その周りに人を集めることを意識していたんですが、なかなか後ろからボールが来ず、サイド勝負する場面も多かったです。2人の特徴を出せれば、もっと深くまで押し込めたと思います」

そんな上松だが、前十字じん帯を痛めたのは昨年がキャリア2度目。本人いわく、1度目の浦安加入となった2014年に左足を、昨年は右ヒザの前十字じん帯損傷で手術に踏み切った。

「チームから完全に離れていました。もちろん練習に出れないですし、リハビリ施設にこもって…。年齢も年齢なので、サッカーを続けるかどうかってところまで自分の中で悩みました」

深く悩みながらも、現役続行を目指してリハビリ生活に挑んだ上松。彼はトップチームで選手として奮闘する一方、“ブリオベッカ浦安U-14監督”という肩書きを持つ、れっきとした指導者なのだ。

「でも、こうやって『復帰できるんだ』っていうのを、育成の子どもたちに見せられてよかったです。今日は結果が出せなかったので、次からは勝ち試合を披露したいです」

「(リハビリ生活を耐え抜いた)原動力はやっぱりサッカーが好きだから。自分がケガで動けないなか、サッカーの試合を観るとウズウズするし、『自分だったらこうするな』とか無意識に考えてしまうんですね。もう一回、自分が思ったことをピッチで表現したい…そんな想いが日々強くなっていきました」

クラブの宝である下部組織の選手たちを指導しながら、自らも現役生活を送る点については「やっぱりプレッシャーはありますよ。常に僕自身がプレーで魅せないといけないので」と語る。

「今日もトップチームの試合を応援しに来てくれたのに、がっかりさせてしまっているので…僕自身がコンディションを上げて、しっかり魅せないといけません」

上松は大卒ルーキーで入団した1度目の浦安時代から育成部門を指導しており、J3鳥取から復帰後は小学生向けのスクールコーチを経てジュニアユースへ異動。浦安の試合を訪れると、観客席からは「よーコーチ~!」と声援を送る子どもたちもたくさん。

上松瑛、32歳。現役生活のかたわら、指導者としても奮闘する男の2024シーズンが幕を開けた。