自衛隊の災害派遣というと、トラックや重機、ヘリコプターなどが活動するイメージですが、過去には戦車が用いられたこともあります。頑丈とか悪路走破性といった理由はもちろん、それ以外の性能も買われての派遣でした。

戦地以上に過酷だったかもしれない場所へ

陸上自衛隊74式戦車が2024年3月末をもって完全引退する予定です。1974(昭和49)年の制式採用から50年、一度も実戦を経験することなく全車退役を迎えることがほぼ確実ですが、同車は敵と戦うことこそなかったものの、見えない敵、放射能と戦うかもしれない状況に直面していたことがありました。

それは、いまから13年前に起きた「福島第一原子力発電所事故」でのことです。これは、2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波により、東京電力福島第一原発で原子炉のメルトダウン炉心溶融)が起き、それに伴う水素爆発などによって周辺地域に大量の放射性物質が放出し、長期間にわたって甚大な放射能汚染を引き起こした原発事故でした。

これに対し、災害派遣で現場に展開した自衛隊に、増援として派遣されたのが74式戦車です。なぜ74式戦車白羽の矢が立ったのか。それは同車が持つ高い防護能力と悪路走破性が着目されたからです。

活動が想定されたのは、福島第一原発の敷地内でした。そこは津波と水素爆発などによっていたるところに瓦礫が散乱する一方、前述したように高濃度で放射能汚染が広がっている極めて活動が困難なエリアと化していました。こういった場所ではトラックはもちろん、操縦席がむき出しの一般的なブルドーザーなども安全に作業できる状況ではありません。

しかし、74式戦車NBC(核・生物・化学兵器)防護能力をもっており、核兵器が使用されたあとの放射能状況下においても一定程度、行動できるよう設計されています。加えて、一部の車体には、ブルドーザーと同じように地面を削ったり、簡単な掩体(戦車壕)を構築したり、障害物を除去したりできるよう、車体前面に排土板、いわゆるドーザーブレードが装備されています。

このような性能を持っていることから、放射線による被ばくをある程度回避しつつ瓦礫除去を行える車両として74式戦車が選ばれたのです。

災害派遣の74式戦車 所属は?

派遣されたのは、静岡県の駒門駐屯地に所在していた第1戦車大隊(当時)の74式戦車(排土板付き)2両と78式戦車回収車1両でした。なお、後者は整備支援用の車両で、加えて故障などで走行できなくなった74式戦車を牽引回収する役割も担っていました。

これら3両は、車体の前後に「災害派遣」のプレートを付け、戦車運搬用の特大型セミトレーラに載せられて、現地調整所、事実上の前進拠点となっていた福島県楢葉町の「Jヴィレッジ」に運び込まれ、万一に備えて走行訓練や障害処理の演練を実施していました。

幸い、福島第一原発へ出動することなく、またリモコン操作式のブルドーザーがほどなくして用いられるようになったため、5月3日には撤収しています。

なお、福島第一原発事故が起こる20年前の1991(平成3)年、長崎県雲仙普賢岳の噴火でも74式戦車が災害派遣部隊の集結地に前進展開しています。この時は、赤外線暗視投光器を装備した車体で、これを使って遠方から溶岩ドームなどを監視する目的から、大分県の玖珠(くす)駐屯地に所在していた第4戦車大隊(当時)所属の2両が派遣されました。

この時は、やはり車体に「災害派遣」と描かれたプレートを付けていたものの、実際はその任務に暗視装置や対地レーダーを搭載した装輪式の87式偵察警戒車が充てられたため、74式戦車は実任務に就くことなく撤収しています。

このように2度にわたって「災害派遣」のプレートを付けて派遣された74式戦車90式戦車10式戦車では同じような任務に投入されないことを願ってやみません。

2017年5月、福岡駐屯地記念行事で観閲行進する74式戦車。写真の車体は投光器付き(柘植優介撮影)。