値上げ、物価高のニュースが収まりません。こうした状況のなか、収入のほとんどを年金に頼る、年金生活者の生活苦は深刻度を増しています。本記事では、高野さん親子(仮名)の事例とともに、生活に困窮した高齢親へのひとつの選択肢について、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が解説します。

切羽詰まる親子

高野隆さん(仮名/48歳)は中小企業の会社に勤め、年収は480万円。大学1年生の長女と高校2年生の長男、パート勤めをしている妻の4人暮らしです。

住宅ローンは月に9万円、65歳までの返済があります。

妻がパートに出て、月6万円程度の収入がありますが、家計は切迫し、いまのままではとても貯蓄ができる状況ではありませんでした。

それどころか、長男が大学に入学したことで、入学料や学費や通学費の負担が増え、貯蓄から取り崩すようになっていました。学資保険に加入していましたが、それだけではとても賄いきれず、お金の不安で気が滅入るような日々を送っていました。

3年前に父親をがんで亡くし、故郷には父親と同い年だった78歳の母親が1人暮らしをしていました。両親は、地方の郊外で若いときから、商店街で自営業の服屋を営んでいました。

両親が若いころは、町にも活気があり、商売も順調だったようですが、昨今の少子高齢化の影響もあってか、人口がどんどん減り、実家周辺はシャッター街となってしまいます。15年ほど前からはほとんど売り上げもない状態に。それからはそれまでの貯えを取り崩し、65歳からは年金を受け取れたことから、なんとか生活をしていたようです。

両親は会社勤めをしたことがなく、年金も老齢基礎年金だけでした。父親が亡くなったあとは、支給されるのも母親の年金だけとなり、その時点の貯え300万円と遺産の100万円をあわせた400万円に、築60年の店舗兼自宅だけが母親の財産でした。

高野さんは父親が亡くなってから、母親のことが心配だったので、それまではお盆と正月に帰省する程度だったのですが、母親のもとになるべく顔を出すようになりました。

「母親の面倒をみてあげたい。でもいまの状況では、母親を呼んで一緒に暮らすこともできない」そう感じていました。

見るたびに痩せていく母

帰省すると母親は気丈に振る舞い、高野さんのご飯や晩酌のおつまみなどを嬉しそうに出してくれていました。しかし、1年ほど前から見るたびに痩せているのがわかり、「生活は、大丈夫?」と思わず尋ねます。

母親は、「最近、食欲が落ちてね。でも、ダイエットになっていいわよ」冗談交じりで答えていたので、心配しながらもあまり突っ込み過ぎないようにしました。

それが最近では、帰省してもご飯や晩酌のおつまみの品が減ってきたり、「自分で食べたいものを買ってきて」と言われたりするようになりました。

高野さんは自分の年金のことにも疎かったのですが、両親の年金のことに対しても、どれくらいもらっているのかわかっていませんでした。

しかし、会うたびに生活が苦しくなっていると感じるようになって、母親にいま受け取っている年金額や生活費について聞いてみました。

母親は、はじめは「心配しなくてもいいよ」と言っていましたが、高野さんはしつこく問いただし、やっと現在の収入などを聞き、愕然としました。

父親が亡くなったときの資産も現在はほぼ底をついており、年金も月5万円だけということでした。

夏はクーラーを点けず、冬は暖房も必要最小限だけ使っていたようですが、水道光熱費や食費だけでもあっという間に5万円以上になるということでした。

ご近所付き合いもあり、総菜などのお裾分けもいただいていたようですが、いただいたらお返しをしなければと、茶菓子などを買って持って行っていたということです。

断腸の思いで生活保護の申請へ

前述していますが、高野さんは母親を呼びよせて一緒に暮らすことも考えました。しかし、すでに大学に進学した子どもと、これから大学受験を迎える子どもがいることや、マイホームとはいえ、4人暮らしでも手狭になっている家に母親を迎え入れるのは難しい状況でした。

また、母親を呼びよせることで、世帯の収入は5万円増えると考えられるかもしれませんが、母親の年金は母親の自由に使ってもらいたいという思いもあり、光熱費や食費が増える分、結局は自分たちの生活が困窮するのではないかという不安もありました。

いろいろ悩んだ結果、苦渋の決断でしたが、母親の住んでいる市役所に生活保護の申請を行いたいと相談に行きました。

市役所に行くと、申請窓口は市役所ではなく福祉事務所に通されました。高野さんは母親の現状や高野さん家族の現状を詳しく説明しました。

相談していくうえで、まず言われたのが、やはり母親と一緒に住むなどして扶養することでした。

生活保護では親族からの扶養が優先されるということでした。しかし、前述したように高野さんの家庭では母親の面倒をみることが金銭的にも環境的にも難しいことを説明しました。

家の売却も提案されましたが、高野さんの実家は、築60年という古い家で売ることもできず、土地だけを売ろうとしても、家の解体費用や整地する費用を考えると手元に残るものはないことを説明しました。

また母親も親しみのある土地で、可能であればこのまま住み続けたいという願いもあったのです。

この日は相談だけを行い、後日改めて母親と申請に来るということで、一旦帰宅して、母親に生活保護申請の話をしました。

母親は、はじめのうちは「生活保護なんて、受けたくない」と拒んでいましたが、現在の生活について、根気強く説明し、結局は納得してくれました。

申請から1ヵ月後、母親の笑顔に安堵

後日、母親と二人で福祉事務所に足を運び、申請を行いました。

申請後2週間経っても連絡がなく、申請が受け入れられなかったのかと思っていましたが、母親のほうへ担当者から連絡があり、無事に生活保護を受けられることになったようです。

高野さんの母親の場合では、住める家があるため、住宅扶助の支給はありませんでしたが、月額で7万円が支給されることになりました。

支給が開始されるまでには1ヵ月以上かかりましたが、申請をしてから2ヵ月後には、支給が始まり、口座に入ったことを確認した母親は高野さんに「ありがとう。お金が入っていた」と電話を掛けてきました。

高野さんはいまの自分の状況では母親の面倒をみることができなかったと後悔されていましたが、子ども2人が大学を出て社会人になってからは、母親を呼んで一緒に暮らすことや仕送りをすることも考えたいそうです。

内閣府が発表した「令和5年版高齢社会白書」では、令和4年度の65歳以上の生活保護受給者数は、105万人になります。このうち、65歳以上の人口に占める割合では2.91%となっています。生活保護受給者の総数は令和3年から減少していますが、高齢者は横ばいとなっています。平成23年からの推移をみると全体として増加傾向にあることが見えてきます。

これは、インフレについての意識が低いことも一因であると、筆者は考えています。老後の生活を安心して過ごせるように準備を行うためには、インフレを意識した準備が必要となるでしょう。実質貨幣価値を踏まえた資産形成を、若いうちから始めておきたいですね。

<参考>

内閣府「令和5年版高齢社会白書」

吉野裕一

FP事務所MoneySmith

代表

(※写真はイメージです/PIXTA)