利用者数が1日1000人にも満たない福島空港は、国内空港のなかでも目立たない存在です。しかし、ここが大きな役割を果たしたことがありました。

東日本大震災では仙台に代わり「東北の空の拠点」に

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、大きな存在感を示した空港があります。福島県須賀川市と玉川村にまたがる丘陵地に位置する福島空港です。ただこの空港、普段の利用者の少なさが長年の課題にもなっています。

県が公表しているデータによると、2022年度の旅客数は約18万1000人(1日あたり496人程度)。コロナ禍の2021年と比べると利用者数は1.8倍程度になったと報じられているものの、周辺は新幹線など他の交通手段が充実していることなどもあり、東北地方でも利用者の少ない部類に入ります。

しかし、東日本大震災発生時は、陸路が分断されてしまったことに加え、東北地方の空の玄関口である仙台空港が津波に襲われ稼働が不可能に。この代わりの役割を福島空港が果たすことになったのです。

福島空港でも最大で震度6強の地震が襲い、管制塔の窓ガラスも割れるなどの被害が発生していたものの、東北の救難拠点としていち早く24時間運用を開始。国内外の救援機や旅客機の臨時便、救援物資などを受け入れ、翌3月12日には、通常の約10倍となる131機の航空機が同空港に離着陸したと記録されています。

実は普段も特徴のある福島空港

また、2011年3月12日から4月10日にかけ、羽田や中部空港などへの臨時便が運航されるなど、暫定的な「東北の拠点空港」のひとつに。便数は平時の1日14便から最大34便まで増え、搭乗者数も、ピーク時には平時の約7倍にも上りました。また、福島県内で必要とされる食料の3分の2が同空港を経由して届けられるなど、震災後のインフラにおいて、重要な役割を果たしています。

ちなみに、福島空港は、『ウルトラマン』の生みの親である特撮監督、円谷英二氏が須賀川市(旧須賀川町)出身であることにちなんで、空港じゅうにウルトラマンの立像などが飾ってあるのが特徴。普段は目立たぬものの、大震災時の同空港は、まさに「ウルトラマン」のように、「危機のときに頼りになる」存在になっています。

なお、2024年1月2日に発生した能登半島沖地震でも、普段は1日2往復しかない能登空港が、自衛隊による救援物資などの受け入れ拠点として機能しました。この空港も被災地近郊にあり、滑走路が損傷を受けましたが、11日に滑走路を復旧させ、12日に自衛隊の固定翼機第1便(C-130H輸送機)が同空港に着陸しています。

福島空港を離陸するANA「福島県沖地震の臨時便」(2021年2月、乗りものニュース編集部撮影)。