茨城県三式戦闘機「飛燕」の原寸大模型の完成お披露目が行われました。現地へ足を運び、関係者らに製作の経緯を聞いたところ、新たに開設される史料館で実機とともに展示されることが判明しました。

3年以上かけて完成「飛燕」の実物大模型

茨城県小美玉市にある株式会社日本立体(齊藤裕行社長)の工場において2024年3月1日、完成した三式戦闘機「飛燕」の原寸大模型が、プレス関係者に向けて公開されました。この機体は当時の素材に近いアルミ製で、計画から完成まで3年以上の歳月がかけられた立派なものです。

同社は全国各地からの依頼により、こうした太平洋戦争時代の旧日本陸海軍機の原寸模型を作っており、今回の「飛燕」は5機目の製作になるとのこと。今回、完成した三式戦闘機「177号機」は当初、初期型の一型甲(キ61-I甲)として製作されたものの、お披露目会ではマウザー砲と呼ばれた長銃身の20mm機関砲を主翼に搭載して完成しており、これによって見た目が強くなった印象を受けました。

当時の日本の戦闘機では珍しい液冷式エンジンを搭載した「飛燕」は、旧日本陸軍の1人乗り戦闘機として太平洋戦争中盤から終戦にかけて、南太平洋や本土防空戦などで用いられています。

各型合計で3000機以上生産されましたが、このうちの1機が戦後、パプアニューギニアジャングルで発見されます。これを、オーストラリアのコレクター経由で2017(平成29)年に岡山県倉敷市オートバイ部品・用品を製造、販売する株式会社ドレミコレクションの武 浩社長が入手。こうして、長らく南方に行ったままであった「飛燕」が日本へ里帰りすることになりました。

実機を里帰りさせたのに、なぜ新たな機体作った?

当初、武社長は同機を復元し、貴重な産業遺産として歴史を後世に伝えようと考えますが、岡山在住の元工員や関係者らが「飛燕」を前にして感動する様子を見て、復元ではなくレプリカを製作することに計画を改めました。

この方針転換は、関係者が高齢化するなか、残された時間を考えてのことだそう。原寸大模型であれば、見学者が理解しやすいため、これとパプアニューギニアから里帰りした「飛燕」の実機を並べて展示することにしたのです。こうした強い想いが、日本立体の齊藤社長を動かして、この日の完成に至りました。

なお、このお披露目会の翌日から2日間にわたって公開展示が同社工場で行われています。ここでは、ネットで申し込んだファンらが全国から集まり、ドレミコレクションのスタッフによる詳しい解説と相まって大いに賑わいを見せたとのこと。その後、機体は分解され、岡山県浅口市金光町に開館する資料館へと輸送されるそうです。

5月の連休前には前出の実機とともに当資料館で展示される予定なので、今回見ることができなかったファンも、浅口市に足を運べば見学できます。新天地での新たな展示を楽しみに待ちましょう。

「飛燕」の金属製原寸大模型。スマートな機体であったが、胴体中央は意外とボリュームがある。また主翼のパネルや胴体には「フムナ」(踏むな)などの注意書きが再現されているのも見える(吉川和篤撮影)。