シンガポールの空軍博物館に、傑作攻撃機と呼ばれた米国製A-4の中でも類を見ない「フタコブラクダ」のような練習機型が残されています。なぜこのような形になったのでしょうか。

「風防伸ばせばいいじゃん!」にはならなかった?

シンガポールの空軍博物館に、傑作攻撃機と呼ばれた米国製A-4の中でも類を見ない2つのコブのある「フタコブラクダ」のような練習機型が残されています。長年練習機として使われたTA-4SUとTA-4Sの2機。それぞれ機首部分が特徴的な形状をしています。

A-4はもともと空母用の艦載攻撃機と開発されました。しかし、小型軽量で旋回性なども良かったため中小国では戦闘機としても用いられました。米海兵隊の機体が日本に駐留している頃は、航空自衛隊F-86F戦闘機に時折、訓練空域で空中戦を挑んでもきたそうです。

その動きの良さが買われて、本家米海軍でもアクロバットチーム「ブルーエンジェルス」や空中戦の訓練でこの機体が使われ、映画『トップガン」の1作目では、主人公の乗るF-14戦闘機を追い詰めています。

こうした扱いやすさもあって、1965年にはA-4をベースにした2人乗りの高等練習機「TA-4」も開発されています。練習機であるTA-4では、1人乗りだったA-4から設計し直し、教官が乗れるように胴体を長くしたことから、長い風防を採用しています。

しかし、シンガポール空軍では別の手法で対応することになりました。1人分の風防を縦に2つ並べて2人乗りとしたため、それぞれの風防部分が2つのコブのように出っ張るスタイルになりました。

というのも、長い風防が当時、改造を施した米国で不足していたためです。

苦肉の「2コブ」設計、意外と良かった?

とはいえ、1965年に独立したシンガポールは国家としての体制づくりを急がねばなりませんでした。空軍が採用した1人乗りのA-4Sも、米国内に保管されていた古いタイプのB型のエンジンや電子装備を近代化して採用したもので、そのA-4Sを乗りこなすため、練習機型の配備も急務だったのです。

このために、米国で行われた改造作業では、古いほかのA-4から操縦席と風防を持ってきて“2個イチ”にした2人乗り機TA-4Sを完成させ、1970年代に初飛行させました。

こうしてTA-4Sは一見、異様な姿となりましたが、後ろの風防の透明部分を左右に膨らませて教官操縦士の視界を確保しています。この使い勝手は良かったらしく、シンガポール空軍はその後、エンジンや航法・電子装備などを更新し性能をアップさせたA-4SUスーパースカイホーク配備時も、その練習機型TA-4SUで再び風防を2つ並べました。

なお、こうした「フタコブラクダ」の設計は、練習機を急きょ揃えたり、極少数をつくったりするのに都合がよく、米国では高々度偵察機U-2や、マッハ3の速度を誇ったSR-71偵察機でもつくられています。

TA-4S、SUはともに退役し今は展示機となりましたが、特異な姿は今も変わらずに博物館内で目を引きます。来館者も興味を持つのか、機体を撮影したり記念写真を撮ったりしています。

シンガポールの空軍博物館に展示されているTA-4SUの一部(加賀幸雄撮影)。