朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。

 今回は前回に引き続き、元パチプロの川本俊幸さん(仮名・50歳)が歩んできた壮絶な人生の後編をお届けする。

◆母親の死をきっかけに将来を見つめ直すことに

 20歳からパチプロとして生活を続けていたが、30歳を過ぎて「パチプロとは結婚できない」という話をされた彼女と別れ、メンタルがボロボロになった川本さん。ここからさらに追い打ちをかける出来事が起きる。

「2009年の冬に母親が亡くなったんです。急性心不全で駆けつけたときはもう亡くなってました。最期にも立ち会えなくて、なんかものすごい喪失感でしたね。私、オヤジと仲が悪かったんですが、母親はそんな私とオヤジの間を上手く取り持ってくれてたんです。パチプロやって好き勝手してたんですが、『犯罪じゃなきゃいい。ちゃんとお金稼いで生活できてるならエラい』って私をかばってくれたんです。そんな母親の葬儀の後、高熱が出て寝込んでしまって、そのときに将来のことをいろいろ考えましたね」

専門学校へ入学するも…

 診断はインフルエンザ。1週間ほど寝込みながら、川本さんは自身の来し方行く末について考え、鍼灸師の資格を取るための専門学校へ通うことを決めたのであった。

「とにもかくにも学生になるわけなので、パチンコとスロットはしばらく打たないって決めたんです。それで鍼灸師の専門学校に通って、ちゃんと勉強して資格を取るぞ! って通い始めたんですが、学校に通い始めたと同時に始めた居酒屋のバイトが楽しくて、結局、勉強は1年で切り上げ、居酒屋で本格的に働き始めました。もともと飲食店には興味があって、料理作ったりお客さんとやり取りするのが楽しかったし、自分に合ってたんですよね。店の大将から魚のさばき方、だしの取り方、盛り付け、一緒に買い出しに行って魚や肉の目利きも教えてもらいました」

 客の中にはパチンコやパチスロなど、ギャンブル好きな好きな人もいて、川本さんにとって居心地はすこぶるよく、ようやく居場所を見つけたと思ったという。

「日曜日に常連さんと競馬に行って、そのままウチの店に行って馬券の反省会しながら飲んだり、釣りが好きだった大将とよく一緒に釣りも行きましたね。釣った魚を捌いてメニューにしたりもしました。とにかく毎日が楽しかったです」

居酒屋を任され一本立ちすることに

 大将の下、居酒屋で働き始めた川本さんはしだいに独立を考えるようになった。そんな折り、大将からこんな提案を受けることに……。

「まぁ、この仕事ってやっぱり一国一城の主になりたくなるわけですよ。私も40過ぎたら独立して……なんて、漠然と考えるようになっていたんです。そんな時、2017年だったかな、大将から隠居したいから店を完全に任せられないかと。独立ではないですが、お客さんはそのまま引き継げるし、やりたいようにできるから、こういうのも“アリ”だなって」

◆コロナの影響で店は閉店に追い込まれる

 こうして“一国一城の主”となった川本さんだが、ご存じのように、2020年に新型コロナウイルスの大流行によって飲食業界は大打撃を受けることとなる。

「休業補償なんかももらって、酒出さずにランチやったり、ウーバーなんかで出前したりしてなんとかやりくりしてたんですが、大将とも話し合って2021年に店を閉めることになりました。その頃、実はオヤジの体調も悪く介護もしなきゃいけなくなったこともあったので、しばらく介護に専念しようと。なので、ここ数年は無職で親の介護をしています(苦笑)」

◆父の認知症が始まり、複雑な心境に…

 介護生活を続けていたが、父の認知症が始まったことで、さらに心境が変化したという。

オヤジはちょっと認知症も始まっちゃって、私が板前になったこととか忘れちゃってんですよ。メシを作ったら『お前、パチンコばっかやってんのに、なんでこんなにメシ旨いんだ?』って。なんか嬉しいやら哀しいやら……」

 そんな川本さんの今後の目標は「真の一国一城の主」だと話した。

「今後はオヤジを施設に入れることも含めて妹たちとも話しています。一度もしてこなかった親孝行をこんな形でするのも複雑な気持ちですが……。いろいろ片が付いたらちゃんとした一国一城の主として、お店を出したいと思ってます」

 少し寂しげに語る川本さんだが、今後の人生プランについては前向きに考えているようだ。

文/谷本ススム

【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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