「複雑でわかりにくい」といわれがちな年金の仕組み。65歳を過ぎてやっと老齢年金が受給できるようになっても、働き続けていて給与を受け取っている場合は全額受給できるとは限らないと、牧野FP事務所の牧野寿和CFPはいいます。定年退職後再就職したAさんの事例から「在職老齢年金」のしくみについてみていきましょう。

60歳でいったん定年退職も、再就職を決意したAさん

現在66歳のAさんは、地元の優良企業C社で部長職まで昇り詰めたあと、60歳で定年退職しました。子どもたちはみなすでに独立しており、現在は4歳年下の妻Bさんと2人で、一軒家に住んでいます。なお、住宅ローンもすでに完済しています。

Aさんは、定年から3年経った63歳から「特別支給の老齢厚生年金」を183万7,700円(月額15万3,141円)受給。また、65歳からは、加給年金39万7,500円(月額3万3,125円、令和5年度)を含めて、老齢厚生年金を272万0,600円(月額22万6,716円)受給しています。

退職後は、かねてより計画していた旅行や趣味の登山などを楽しみ、セカンドライフを満喫していました。

しかし、最近預金残高を確認したところ、想定より貯金や退職金が減っていることに気づきます。「う~ん、物価高の影響か……」。

しばらくは財布の紐を締めなければ、そう妻と話し合っていた折、元勤務先のC社からAさんに連絡がありました。「実は人手不足でな……。一時的でもいいから、また働いてくれないか」。

Aさんは「渡りに舟だ」と喜び、70歳までの約4年間C社に復職することにしました。勤務は週5日で、月収は40万円です。厚生年金にも再加入することになりました。

「年金と給与で毎月60万円か……。貯金が増えて、また妻との旅行も楽しめるかもしれない」。Aさんは期待に胸をふくらませました。

日本年金機構から届いた「書面」

そんなある日のことです。Aさん宛に、日本年金機構から書面が届きました。Aさんはその中身を読んで、驚きが隠せません。

厚生年金の停止額』?『決定・変更理由』?なんだこれは……いったいどういうことだ!?」、混乱したAさんは、「あの人なら知っているだろう」と、その書面を持って、以前旅先で知り合った筆者のFP事務所を訪れました。

定年後も働くと「年金が減る」ケースがある

Aさんは筆者に、「なにが起こったのか、私にもわかるように教えて欲しい」と言います。そこで筆者はAさんに、「在職老齢年金制度」のしくみと「年金支給停止」のしくみについて説明しました。

「在職老齢年金制度」とは?

60歳以降、働きながら(厚生年金に加入した状態で)老齢厚生年金を受け取る場合、受け取っている給与や賞与額、そして老齢厚生年金の受給月額(基本月額)に応じて、年金の一部または全額が支給停止になります。この支給停止となったあとの老齢厚生年金を「在職老齢年金」と呼び、こうした制度のことを「在職老齢年金制度」といいます。

なお、70歳以降は働いていても(会社や官公庁といった厚生年金適用事業所に勤務していても)厚生年金保険の被保険者にはあたりませんが、この在職老齢年金制度は適用となります。

在職老齢年金の計算式 

在職老齢年金の受給額は、「基本月額」と「総報酬月額相当額」から計算することができます。

「基本月額」は、老齢厚生年金を構成する3項目※1のうち「報酬比例部分」が対象となり、「加給年金」と「経過的加算」は除きます。また、「総報酬月額相当額」は、毎月の給与(標準報酬月額※2)に、直近1年間の賞与を12で割った額を足した金額です。

「基本月額」+「総報酬月額相当額」が、48万円※3以下であれば年金は全額支給されますが、48万円を超える場合は、次の式でその支給額を計算することになります。 ※1 各受給額は「ねんきん定期便」や「ねんきんネット」から確認できる。 ※2 基本給に、役付手当や通勤手当、残業手当を含む。 ※3 令和5年度の額。なお、令和6年度は50万円となる。

<在職老齢年金による調整後の年金支給月額>

基本月額-(基本月額+総報酬月額相当額-48万円)×1/2=年金支給月額

たとえば、基本月額20万円、総報酬月額相当額40万円だった場合は、

20万円-(20万円+40万円-48万円)×1/2=14万円

在職老齢年金は、月額14万円となり、6万円は支給停止となります。

支給停止となるのは、基本月額と総報酬月額相当額の合計額が48万円を超えている期間です。また、支給停止額の変更時期は、総報酬月額相当額が変わった月または退職日の翌月となります。

また、65歳以降、年金を「繰下げ受給」する場合は、在職老齢年金で支給停止される額は、繰下げても増額の対象外となるため注意が必要です。たとえば、65歳以降の在職年金受給額の30%が支給停止なら、残りの70%が、繰下げ受給で増額される対象になります。

「個人事業主」になれば、同じ報酬でも年金は減らない

筆者は上記の説明のあと、Aさんが持参した書面をもとに、改めて試算。すると、書面に印字された支給停止額に間違いはありませんでした。

Aさんは「知らなかった……。せっかくまじめに年金を納めてきたのに、このままじゃ損した気分です。なんとかならないもんですかね?」と筆者に投げかけます。

そこで筆者は次の3つの働き方を提案。それぞれについて、70歳まで今後4年間のおおよその収入と所得税住民税の課税額、社会保険料を試算しました。

(1)いまのままの働き方を続ける。

(2)個人事業主としてC社と業務委託契約を結ぶ。

(3)給与を月額30万円に下げて、年金を全額受給する。

在職老齢年金の対象となるのは、厚生年金に加入して給与と老齢厚生年金を受給している方です。したがって、AさんがC社と業務委託契約を結ぶなどして個人事業主として働けば、報酬は月額40万円のままでも、年金は全額受給できます。ただし個人事業主となった場合、事業収支の記帳や確定申告などの業務が増えるかもしれません。しかし、C社以外からの業務報酬も可能で、定年もありません。

また、C社に年金が支給停止にならない程度まで給与を下げてもらって働けば、年金は全額受給できます。

試算の結果、3つの働き方をすると家計収支は[図表2]のように変化することがわかりました。

また、70歳以降Bさんの年金を含めた、A家の年金受給見込額は[図表3]のようになります。(1)と(3)はC社に復職して得た給与が、年金に反映しています。

A夫妻が選んだ「働き方」は…

Aさんは帰宅後、筆者の話と試算結果をもとにBさんと話し合い、個人事業主として起業することを決めました。

そして早速、所轄の税務署に「開業届」と「青色申告承認申請書」、「青色事業専従者給与に関する届出書」を提出。青色専従者として経理を引き受けた妻のBさんも事業に前向きなようで、帰るなり自宅の1室を事務所にするべく模様替えを始めたそうです。

C社とも、とりあえず毎月40万円の報酬で、5年間の業務委託契約が成立。Aさんは「定年退職後も、人生いろいろあるんですね!」と笑ってみえました。

牧野 寿和 牧野FP事務所合同会社 代表社員  

(※写真はイメージです/PIXTA)