アカデミー賞授賞式でのロバートダウニー・Jrとエマ・ストーンの振る舞いが波紋を広げています。




 オスカー像を手渡すキー・ホイ・クァン、ミシェル・ヨーとは目も合わさず、他の白人俳優たちと喜びを分かち合う様子が物議を醸しているのです。


◆素通り?アジア系を下に見ているような光景
 ネット上では、これがアジア系に対する「マイクロアグレッション」と呼ばれる態度だと指摘する声が多くあがりました。当人たちには差別をしたり傷つけたりしている意識はなくとも、された側からするとイジメやハラスメントと理解せざるを得ない行為のことです。
 実際に映像を見ると、騒動になった理由がわかります。キー・ホイ・クァンなどまるで存在しないかのように素通りするダウニー。そして、ミシェル・ヨーが持つオスカー像をつかみ取り、同じく壇上のジェニファー・ローレンスの手元に持っていき、彼女から授与される絵を欲しがっているように見えるストーン。
 いずれも露骨に差別しているわけではありませんが、結果として特定の人種を下に見ていると思われても仕方ない。ある意味、口汚くののしるよりもショッキングな光景でした。


◆当事者ミシェル・ヨーから事情説明があったが
 一方、ダウニーとストーンの行為を擁護する声もあります。


 プレゼンターが5人になり混乱したのではないかとか、当事者のミシェル・ヨーも自身のインスタグラムで「あなた(筆者註 エマ・ストーンのこと)を混乱させてしまったけど、あなたの親友のジェニファーと一緒に、オスカー像をあなたに手渡すという輝かしい瞬間を共有したかったの」と説明し、ストーンの受賞を祝っていました。




 とはいえ、これがキー・ホイ・クァンやミシェル・ヨーではなく、白人や黒人、中南米の俳優だったとしても同じだったでしょうか? 騒動の背景には、こうした不信感があるのだと思います。


 式の終盤、司会のジミー・キンメルによる「トランプは刑務所にいるんじゃないのか?」とのジョークもむなしく、アメリカにおける人種差別が根深く、日常的なものだと印象付ける結果となった今回のアカデミー賞


 しかしながら、映画界に限った話ではありません。音楽界の出来事を振り返って、改めて考えてみたいと思います。


ビリーアイリッシュ、過去のアジア系への発言を謝罪



ビリーアイリッシュ



 3年前、ビリーアイリッシュティーンエイジャーだったころに中国人を差別する言葉を発したり、アジア系の英語のアクセントをおちょくる映像がTikTokに出回りました


 するとアイリッシュはすぐに自身のインスタグラムに謝罪文を投稿。当時13歳か14歳だったこと、そして<当時はあの言葉がアジア人コミュニティを侮辱する言葉だとは知らなかった。>と釈明したのです。


 子ども時代の言動をいちいちただすのもナンセンスですが、同時に多様性を尊重するアイリッシュのようなリベラルなアーティストの日常にも無意識の差別が入り込んでいる現実を突きつけられます。


◆偏った理解で日本でアジアに好意的な態度も



リナ・サワヤマ



 そして、差別を受ける側の声を作品に込めたのがリナ・サワヤマです。


STFU!」という曲のミュージックビデオで、食事をしながらサワヤマと会話する白人男性の発言にあらわれています。日本食レストランの味を本格的にするためにアジア人を雇っていると言ったり、同じアジアという大雑把なくくりで、サワヤマ演じる女性とルーシー・リューが似ていると言って褒めた気になったりしているシーン。


 これらの偏(かたよ)った理解によって日本やアジアに対して好意的な態度を示そうとする白人男性の姿こそがマイクロアグレッションだと訴えているのです。
 また、ポッドキャストで英語のアクセントを茶化したりするなどアジア系への差別を繰り返した「The 1975」のボーカリスト、マシュー・ヒーリーをライブ中に糾弾したこともありました。


 では、アジア系への人種差別の背景にあるものは何なのでしょうか? かつてのような黒人に対する差別とはどこが違うのでしょうか?


◆デキの悪い白人の子どもの親世代を皮肉った歌詞も



2011年、『トイ・ストーリー3』でアカデミー作曲賞を受賞したときのランディニューマン



 ポップス音楽で人種差別を最も多く取り上げ、深く考えてきたのが、映画『トイ・ストーリー』などの音楽で知られるアメリカのシンガーソングライター、ランディニューマンです。


 2008年のアルバム『Harps And Angels』に収録された「Korean Parents」は、発表当時から物議をかもしました。韓国系の児童の親が過度に教育熱心だと揶揄(やゆ)しているとして批判されたのです。


 しかし、歌詞をよく読むと、ニューマンが皮肉を向けているのがアジア系ではないことがわかります。学校で成績上位に食い込めない白人の児童に、しつけに厳しい韓国人の親をどうぞ、と売り込む内容です。
 この「親」というワードがミソなのですね。デキの悪い白人の子どもを育てた彼らの親世代の力不足を皮肉っているからです。


<偉大なる世代 君たちの親御さんは、決して偉大なる世代ではなかった
 もう聞き飽きた言葉だろうけど、でも君たちにはそうなれる可能性がある
 さあ、何が出来るかな 君たちと韓国人の親の力で>(筆者訳)


 つまり、ランディニューマンは白人の凋落(ちょうらく)、ひいては“アメリカ帝国の没落”を、アジア系という彼らが最も軽んじている存在によって強調しているのです。


◆今回の出来事は余裕がないアメリカの衰退のあらわれ



 ロバートダウニー・Jrとエマ・ストーンの振る舞いも、こうしたレンズを通すとまた見え方が違ってくるのではないでしょうか。


 確かに非礼であり、抗議の声をあげるべき出来事です。


 しかしながら、同時に公の場で綺麗事や格好をつける余裕すらなくなったアメリカの衰退のあらわれだと見れば、象徴的な光景だと教訓にすることもできます。


 自らのアドバンテージであるはずのソフトパワーに傷をつけてしまった。第96回アカデミー賞は、ひとつの歴史の転換点として記憶されることになるのでしょう。


<文/石黒隆之>


【石黒隆之】音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4