長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『はじめての美術館』(TOKYO MX)をチョイス

「どうしてそんなものに?」というようなことに金を使わない『買談バナシ~なんで買ったか聞いてみた~』/テレビお久しぶり#90

■何を見ればいいのだろう『はじめての美術館

私は美術館が苦手だ。博物館、水族館といった施設も苦手だし、動物園植物園といった施設にも興味を惹かれない。「見て回る」という行為にどうしても娯楽性を感じられないのだ。特に芸術を扱う美術館は、主体(自分)を一度黙らせる必要がある、というのが我慢ならないのかもしれない。たとえば”写真で一言”をするために美術館に訪れれば、主体を黙らせる必要がないので私は楽しめるだろう。美術館を舞台に鬼ごっこをするのであれば、鬼ごっこというメインのレクリエーションによって娯楽性は担保されているから、そのついでに展示物を眺めるのであれば私は楽しめるだろう。

ただ、実際は公共の場でヘラヘラとそんなことはできないし、できたところで、芸術を冷笑するような真似は絶対にしたくない。当然ながら、誠実に作品と向き合う姿勢が重要であるのは明白で、そうなると、そうできない自分の幼稚さや未熟さといったものが浮き彫りになってしまう気がする……どころか、端的に私は、絵や骨董品や動物を見ていたってヒマだと主張しているのだから、間違いなく幼稚極まりないであろう。そもそも、芸術に娯楽性を求める姿勢そのものが間違っているのかもしれない。でも、求めてしまうのだから仕方がない。一枚の絵があるとして、それの何を見ればいいのか分からない、という、私の未熟さにも依るのだろう。ふむ、考えれば考えるほど、どうして自分が映画が好きなのかが分からない。あれこそ主体を打ち消す芸術ではないか……。

さて、そんな自分を変えたくて、というほど深刻に考えてもいないのだが、TVerでたまたま目についた『はじめての美術館』を鑑賞することにした。現在、東京都美術館で開催されている展示『印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵』を訪れた村山輝星と片桐仁が、美術における”印象派”とは何なのかを学んでいくという内容。初めて見る番組だったのだが、いわゆるファミリー向けで、テロップにもフリガナが振られており、”印象派”の定義を、最大限に分かりやすく説明してくれるので、大変助かった。印象派、確かに聞いたことは何度もあったが、定義はまったく知らなかった。フランスにて発生し、その自由な筆づかいが世界中に波及していったというのは、持ち運び可能なチューブやその他画材を使って実際に野外で絵を描くことが多かったというフットワークの軽さも相まって、映画におけるヌーヴェルヴァーグを想起させる。なるほど、いい勉強になった。

こうなれば一歩前進だ。少なくとも、印象派という定義については、何となく理解できた。美術館へ行き、「これは印象派」「これは印象派じゃない」「これは印象派っぽいけどどうだろう」などと、印象派かそれ以外かという判断を繰り返すという、幾分の娯楽性を孕んだ脳内活動ができるようなったのだ。なんてアホなことを言っているんだろうと自分でも思うけれども、とりあえず東京都美術館へ行ってみることにしよう。なにか価値観を動かすものがあるかもしれない。とにかく人生、外に出ることが重要なのだ。外に出て、場所を訪れ、帰ってくる。この動作だけでも十分すぎるほどの価値がある。行けば何かがあるはずだ。「何を見ればいいのだろう」じゃなくて、そこに絵があるのだから、絵を見りゃいいのである。2024年4月7日までやっているそうなので、皆さんも是非。私も必ず行きます。

「テレビお久しぶり」/(C)犬のかがやき