普段の生活で購入する製品には、本来の用途から離れた使い方をされるものがありますが、実は軍用機でも同じような状態になった機体がありました。

本来の用途以上に性能を発揮してしまう

簡易的なシュレッダー代わりに使われているきざみ海苔ばさみ、模型の塗料の乾燥用に使われる食洗乾燥機、本来の目的以外に使用される電動マッサージ機など、世の中には“製作者の意図と違う使い方”で需要が増加した製品が多々あります。

こうした事例は兵器も同様で、特に軍用機の分野で多くなっています。ここではそうした本来の目的とは違った使われた方をした軍用機3選を紹介します。

「そのF外せよ!」マルチロール機の先駆けかF-105「サンダーチーフ」

2024年現在のジェット戦闘機といえばF/A-18スーパーホーネット」、サーブ 39「グリペン」、Su-30「フランカー」など、制空戦闘以外にも対地・対艦攻撃など複数の任務が行える多用途戦闘機(マルチロール機)が主流となっています。

この発想を今から70年近く前に行おうとしたのが、アメリカのリパブリックが開発したF-105サンダーチーフ」でした。冷戦真っ最中の1950年代に投入された同機は超音速戦闘機でありながら、爆撃機並みの地上攻撃能力を持つ「戦闘爆撃機」として考えられた機体。当時は冷戦が最も激しかった時期でもあり、胴体内の爆弾倉にはなんと核爆弾搭載機能も有していました。そのため、「型式のFとBを付け間違えた」ともいわれる機体でした。アメリカ軍でFはFighter戦闘機)、BはBomber(爆撃機)を示す表記です。

しかし、開発当初は戦闘機としての能力を強く意識した機体となっており、固定武装としては20ミリのM61バルカンを標準装備し、AIM-9サイドワインダー空対空ミサイルも取り付け可能でした。

同機はアメリカ空軍が採用し、1958年より運用を開始。当初は1400機調達する計画でした。

ところが空軍と海軍に対して共通の軍用機を使うようにとのお達しが出たため、空軍でも戦闘機に関してはF-4「ファントムII」戦闘機の購入を優先することになり「サンダーチーフ」は約600機の購入に留まりました。

そして実戦となったベトナム戦争の序盤では、本来の爆撃機の任務もこなせる戦闘機ではなく、爆撃など対地攻撃の主力機として重用されました。当初は単独での対地攻撃を行っていましたが、一応戦闘機でありながら北ベトナム軍のMiG-17に撃墜されるという事件が発生。結局F-100戦闘機に護衛についてもらうという、戦闘機としては屈辱的な扱いを受けてしまいました。

実はF-105戦闘機としてもMiG-17を撃墜した実績はあるのですが、その際は爆弾を投棄して戦闘する必要があるため、本来の爆撃任務はこなせないという、なんとも中途半端な機体でした。

それでもソ連製地対空ミサイル(SAM)が北ベトナムに供与された後は、SAMを破壊するため複座型のF-105F「サンダーチーフ」が投入され、あえて対空ミサイルの射程内に入り込みレーダーを感知し、撃破するという危険な任務を行い、他の戦闘機爆撃機の行動をサポートしました。

そうした過酷な任務のため、同機はベトナム戦争中で50機失われましたが、本来の「爆撃もできる戦闘機」としてではなく、地上攻撃機として高い評価を得ました。

爆撃機相手ならできるよね? 夜間戦闘機に転身した「屠龍」

1941年9月に試作1号機が完成した二式複座戦闘機「屠龍」は、欧州での双発戦闘機の人気に触発されて川崎航空機が開発した旧日本陸軍の双発戦闘機でした。

しかし、太平洋戦争が始まった後の1942年に制式採用となった同機は、世界中の多くの双発戦闘機と同様、機動性などの問題で正面きっての単発戦闘機との戦闘は困難と判断され、早々に後方へ下げられてしまいます。

しかし、そこで同機の役目は終わりませんでした。B-29が本土に飛来するようになると、エンジンを2基搭載したことによる上昇力の高さ、機首の37mm機関砲や20mm機関砲、さらに大型爆撃機相手の戦訓で取り付けられた、胴体から斜め上に伸びる20mm斜め銃が有効だと判断され、夜間に侵入してくる爆撃機相手の夜間戦闘機として脚光を浴びることになります。

「屠龍」がB-29を相手にする場合、機体レーダーが未搭載だったため、地上からサーチライト高射砲の支援を得るには無線電話による緊密な協同体制を作ることが重要でした。それらの情報を処理しつつ、B-29に肉薄して攻撃する必要性もあるため、かなり錬度の高い操縦員が求められました。

それでも、当時の操縦員たちはB-29と戦い、中には故意に敵へ機体をぶつけて直前直後に脱出する「エアラミング」と呼ばれる戦法で戦果をあげた部隊もありました。

最後は自ら爆弾となり飛んだ爆撃機「Ju88」

同機は、ナチスドイツが再軍備宣言をした1935年に、「800kg以上の爆弾を搭載でき、戦闘機より速い爆撃機」という要求仕様に応える形で、航空機やエンジンのメーカーであるユンカースが開発を手掛けた双発爆撃機です。開発中にスペイン内戦が起きると、急降下爆撃能力も要求され、それを満たしたうえで配備されています。

Ju88は、第二次世界大戦中の1940年7月から翌年5月まで続いたイギリス本土空中戦、いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」のさなかに、Ju88はHe111に代わる形で主力爆撃機を務めました。

しかし、1943年頃から戦況の悪化に伴い、同機には当初想定していなかった数々の任務が求められることになります。

まず、爆撃機としては珍しく軽快な点を活かし、一撃離脱専用の戦闘機として使われます。ただ、ほかの純粋な戦闘機の方が性能は良く、昼間にJu88は使えないと結論付けられ、最終的には偵察機や夜間戦闘機として使うことで落ち着きます。

同機は「屠龍」と違い機体にレーダーも装備しており、夜間戦闘機としてはかなり優れていました。それまで主力であったBf110の生産機数を、大戦末期には追い抜いてしまうほど重宝されることになります。

さらに、大戦末期には「ミステル」という、コクピット部分を大型爆弾に換装したミサイルのような兵器にもされてしまいます。Ju88を爆弾化した「ミステル」は、1.8トンの弾頭を搭載した無人航空機で、有人のBf109Fw190などの戦闘機に連結された状態で飛ばされ、無人機を分離・突入させるという計画でしたが、ドイツの敗色濃厚な時期に登場したため目立った戦果をあげることはありませんでした。

F-105「サンダ―チーフ」(画像:アメリカ空軍)。