21歳の女子大生が帰宅途中に何者かにガソリンをかけられた上に火を点けられ、翌朝焼死体となって発見される。フランスで実際に起きた衝撃的な事件を下敷きにし、その捜査にあたる捜査官たちを描いた『12日の殺人』が本日公開された。本作のメガホンをとったドミニク・モル監督は、この“未解決事件”を映画として描くにあたり「実話の再構築としてではなく、ひとつの物語として扱いたいと考えていました」と、特に重視したポイントについて語る。

【写真を見る】ヒッチコックを敬愛するドミニク・モル監督が、観客に提示するある文言…その意図とは?

■「事件解決が映画のゴールにはならないからこそ、登場人物たちに注視してほしい」

「この作品はポーリーヌ・ゲナのノンフィクション『18.3 – A Year With the Crime Squad』を原案にしています。それはゲナ自らが1年間にわたって捜査官たちを取材し、観察した内容が記された、とてもディテールが豊かな作品です。捜査官が日々どんな仕事をしているのか?映画ではよく犯人を追ったり銃を抜いたりエキサイティングなことが描かれていますが、実は事務仕事が多い。そうしたリアリティをこの映画でも見せたいと感じたことが始まりでした」。

およそ500ページにも及ぶ著書の最後数十ページで描かれていたのが、本作の基となった事件だ。「私がそれに興味を惹かれた最大の理由は、やはり未解決事件であるということでした。本作のように警察の捜査を描く作品には、犯罪が起きて捜査が始まり、犯人が見つかり映画が終わるという一つの決まりきったルールが求められる傾向があります。しかし未解決事件であれば、そのルールに沿ったものにはならないのです」。

そう語るモル監督は、本作と同様に実在の“未解決事件”に挑む者たちを描き世界中で大絶賛を浴びたポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』(03)やデヴィッド・フィンチャー監督の『ゾディアック』(07)を例に挙げ「事件が解決することが映画のゴールにはならないので、それだけ登場人物たちのドラマ、捜査官たちが抱える執念を描くことができます」と未解決事件の映画をつくった意図を明かす。

それをよりアピールするかのように、本作の冒頭にはこれから描かれる事件が未解決であるというテロップも表示される。「最初にそれを観客に提示することが、本作には必要不可欠でした。もしこれがミステリーのように最後に答えがわかると思っていたら、きっと観客の皆さんは捜査官と一緒に事件を解決していこうと考えながら映画を観てしまうでしょう。ですが、これは未解決事件の映画。最後まで観ても答えはわからない。だからもっと登場人物たちに注視していいのだとこちらからサジェストする。そういうねらいがありました」。

「そしてもう一つ、この事件に惹かれた理由があります」とモル監督は続ける。「捜査官という生き物には生涯のうちに、どうしても忘れられない、執着してしまうような事件が必ずあるということです。原案の著書のなかでも1人の捜査官が、本作の主人公であるヨアン同様、事件に執着していく。それはやはり未解決であるということが大きく関わっているのでしょう。事件を解決できないということが、彼らにどんなフラストレーションを与えていくのか。自分はどこで間違えたのか、あの時ああすればよかったなど、彼らは自問し続けることになるのです」。

■「もしかしたら取り調べを受ける容疑者のなかに犯人がいるかもしれない」

ハリー、見知らぬ友人』(00)で一躍脚光を浴び、その後はサスペンス映画の名手として人気を博してきたモル監督。前作『悪なき殺人』(19)では一つの殺人事件をめぐって登場人物たちの思惑が交錯する巧妙なプロットが話題を集め、第32回東京国際映画祭ではコンペティション部門の女優賞と観客賞をダブル受賞。劇場公開時にはスマッシュヒットを記録した。

続けてモル監督は「私の映画づくりの根本にあるのは、やはりアルフレッド・ヒッチコック監督の映画です」と、これまで数多くの著名な映画監督たちが影響を受けてきたことを公言している“サスペンスの神様”の名を挙げる。「物語構築や映画的かつ視覚的な語り口の発明、新しい表現技法への飽くなき探究心、張り詰めた緊張感のなかにユーモアを織り交ぜる技術。すべてにおいてヒッチコックは巨匠といえるでしょう」とこの上ない敬意を示す。

それでも本作では、ヒッチコック的な王道のサスペンス映画の文法や従来の作品で見られていたブラックユーモアとは一線を画し、よりリアルな人間模様を描写することに注視したようだ。モル監督自身も撮影前に警察署へ取材に赴き、1週間にわたって実際に働く捜査官たちの日常を観察したという。「原案にある豊かなディテールを再確認しに行きました」とモル監督は話すが、捜査官たちの会話の内容や息抜きの仕方、オフィスの雰囲気からコーヒーの飲み方に至るまで、そのチェック内容はかなり細かい。

精密なリアリティの追求に加えて、捜査官たちを描くという点でインスパイア元となった映画もある。それはリチャード・フライシャー監督が元警察官という経歴を持つ作家ジョゼフウォンボーの同名小説を映画化した『センチュリアン』(72)だ。「この作品では1970年代初頭のロサンゼルス市警で働く警官たちの日常とその任務が描かれています。捜査官たちが仕事に挑むリアリティと、捜査に没頭して囚われていく姿がまざまざと描かれていてとても人間くさく、警察群像劇の傑作といえる作品です」。

さらに捜査官だけでなく、容疑者となる事件関係者たちの描写にも強いこだわりをのぞかせる。「まだ犯人がわかっていない事件なので、もしかしたら映画のなかで取り調べを受ける容疑者のなかに犯人がいるかもしれないし、いないかもしれない。少なくとも私自身のなかでこの人物が犯人だろうというイメージは持たずに作ることは決めていました。大事にしたのは、この容疑者たちが私たちの世界に実在するリアルな人間であると感じてもらえること。彼らは共通して、自分のことしか考えておらず事件については無関心。被害者をひとりの人間ではなくオブジェのように扱う。そういう人物として見せたいと考えていたので、キャスティングや台詞はとても重要でした」。

■「この映画が、真犯人の逮捕につながることを切に願っています」

同時にこの映画では、被害者の異性関係に焦点を絞って捜査を行く捜査官たちの偏った先入観の問題や、#MeTooムーブメント以降大きく取り沙汰されるようになった、男性による暴力であったり、“マチズモ(=男性優位主義)”や“トキシック・マスキュリニティ(=有害な男らしさ)”といった現代的なテーマにも触れていく。

「これまで手掛けてきた作品で男性の暴力を描く際には、トキシック・マスキュリニティとしてではなく、あくまでもストーリーの一部として、あまり意識的に描いていたことはありませんでした。しかし#MeToo以降でより意識的になり、これが大きな問題であると認知するようになりました。いままでもあったけれど、もう作り手として無視できない問題になっている。そう強く感じています」。

映画の中盤、主人公のヨアン(バスティアン・ブイヨン)と被害者クララ(ルーラコットン・フラピエ)の親友であるナニー(ポーリーヌ・セリエ)との対話のシーンで「クララはまるですべての男性が殺したようなもの」という台詞が登場する。モル監督はこのセリフについて、「すべての男性が犯罪者だと言っているわけではありません」と説明する。

「ですが、物理的な暴力と男性性にはなんらかの関係があるのではないかと私は考えています。女性による暴力もあるが、圧倒的に男性によるものが多いのはなぜなのか。自分が男性として暴力的な衝動について考えるのであれば、それがどこからきて、どうコントロールすべきかを考えるべきだし、観客の方々にも本作がそれを考えるきっかけになってくれればいいと思っています」。

2022年の第75回カンヌ国際映画祭でプレミア上映された本作は、同年夏にフランスで公開されヒットを記録。そしてフランスアカデミー賞ともいわれる第48回セザール賞では作品賞や監督賞など最多6部門を受賞。その授賞式でモル監督は、この映画が実話がベースになっていることを明かし、被害者の女性に哀悼の意を表していた。

「最初に述べたように物語としてこの映画を作る上では、原案の本に書かれている以上のこと、つまり実際の事件のことを事細かに知る必要はありませんでした。ですが大前提として、その事件には被害者がいて、愛する娘を失った家族がいます。だからこそ私には、敬意を尽くしてこの作品に取り掛かる責任がありました。フランスでは数年前に未解決事件を扱う専門班が設立されました。セザール賞の直後から、その専門班がこの事件の再調査に踏み切ったと聞いています。この映画が、真犯人の逮捕につながることを切に願っています」。

取材・文/久保田和馬

事件解決を目的としたミステリーではなく、捜査官たちのドラマとして展開していく『12日の殺人』/[c] 2022 - Haut et Court - Versus Production - Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma