「東映第三期ニューフェイス」として芸能界入り。以降、「水戸黄門」や「長七郎江戸日記」などの人気時代劇に出演してきた里見浩太朗。現在もドラマや映画、舞台などの各方面で活躍中だ。実は役者になる前は築地で働いていたという過去を持つ。天才テリーが65年の歴史に迫る。

テリー お久しぶりです。1年ぐらい前に「山東昭子さんを囲む会」でお会いして以来ですね。

里見 ああ、そうですか。テリーさん、色々なところにたくさんお出になってるから、確かどこかでお会いしたと思ってたんですけども。

テリー その時、僕、初対面だったんですよ。で、里見さんは大スターじゃないですか。なのに、すごく気さくに話しかけてくださって、そのお人柄にとても感銘を受けまして。今日はすごく楽しみにして来ました。

里見 いえいえ、こちらこそありがとうございます。山東さんはね、僕が東映ニューフェイスで入って、初めて役をいただいた時の相手役だったんですよ。ロミオとジュリエットみたいな役柄で、その時、山東さんが15歳、僕が21歳でね。その後、山東さんが政治家になって、今は一緒にゴルフや麻雀をやるような間柄なんです。

テリー 里見さんが21歳っていうと、もう60年以上前の話だ。東映に入る前、築地で働いてたっていうのは、本当なんですか?

里見 そうですね。遠い親戚が築地で仲買をしてまして。高校を卒業後に上京して、経理をやってました。毎日、朝4時から12時ぐらいまで働いてましたよ。

テリー そうなんだ。僕、実家が築地なんですけど全然知りませんでした。ということは、その時は役者になろうと思ってなかったんですか。

里見 僕は俳優になろうと思ったことは、実は一度もないんですよ。歌手になりたいという夢はありましたけど、僕が通っていたのは商業高校でしたから、現実的には銀行員になろうと思ってまして。でも、とある信用金庫の試験を受けたら、落ちてしまったんです。「あなたはソロバン掛け算割り算なんかは全部よかったんだけど、暗算で及第点を取れなかった」って言われまして。

テリー あらら。

里見 「ただ、3カ月か4カ月したら、結婚して辞める女行員さんがいるので、その時に入っていただく約束はできます」って言われたんです。つまり次点ですね。それで、「ぜひ、よろしくお願いします」と言ったんですけど、その後に同級生と喫茶店で集まったら、「俺のところは給料が4000円だ」とか、「うちの大学はこうなんだよ」とか、そういう話をみんながするんですよ。それを聞いてるうちに、「人生において、みんなからすごく遅れをとってしまう」と、焦りが出てきたんですね。

テリー 3、4カ月すれば就職できたのに待てなかった?

里見 そうですね。それで「おふくろ、東京に誰か親戚はいない?」と聞いたら、「遠い親戚なら1人いるよ。築地で仲買やってますよ」と。それで、「何でもいいから、その人に話してくれ」って言って、70歳近い叔父さんが経理をやってたんですけど、もう年だからっていうので、僕が代わりに経理をやることになったんです。

ゲスト:里見浩太朗さとみこうたろう)1936年静岡県出身。高校を卒業後に上京。1956年、「東映第三期ニューフェイス」として芸能界入り。翌年、映画「天狗街道」で本格デビュー。1958年、映画「金獅子紋ゆくところ」にて初主演。以降、数多くの東映時代劇に出演、その後はテレビ時代劇に進出した。中でも「水戸黄門」(TBS系)や「長七郎江戸日記」(日本テレビ系)は代表作となる。3/14(木)~22(金)まで、名古屋・御園座三月特別公演「水戸黄門」を上演。

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