なにやらディズニープラスで配信中の「SHOGUN 将軍」が世界中で大変なことになっている。ストリーミングが始まると同時に世界中から絶賛の嵐。2月27日の初回配信から6日間で、スクリプテッドゼネラル・エンタテインメント・シリーズ作品としてはディズニープラスの中で歴代No.1となる900万回再生を突破。映画やドラマを網羅した世界最大級のデータサイト「IMDB」では10点満点中9.2ポイントを叩きだし、各国の映画評を集めてそれぞれの評価から賛否の平均値をもとめる米国のサイト「Rotten Tomatoes」でもほぼ満点の99%。辛口で知られる英国の権威ある新聞「The Guardian」は「美しく知的で、全神経を集中させるに十分な作品」と評し、さらに「真田広之の演技がすばらしい」と大きな拍手を送っている。

【写真を見る】鞠子の過去も明らかになる、「SHOGUN 将軍」第5話人物相関図(ネタバレあり)

また、ハリウッドの老舗映画業界紙「Variety」は、あの大成功した最強ダークファンタジーシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」を挙げ「『SHOGUN 将軍』がスリリングで感動的になったのは『ゲーム・オブ・スローンズ』と同じように“人間”に焦点を当てたからだ」と、こちらも大絶賛。舞台は100%日本、言語も80%は日本語、登場人物もほぼ日本人という、これまでの映画やドラマではハンディだった要素をモノともせずに、世界中の人を魅了している。

それだけ世界から注目されていることもあってか、本シリーズの監督の1人、第1話などでメガホンを取ったジョナサン・ヴァン・タルケンが、あの「ブレードランナー」シリーズの最新作「ブレードランナー 2099」(Amazon Primeドラマシリーズ)の2エピソードのメガホンを取ることが発表された。オリジナルの監督リドリー・スコットが製作総指揮を務める、『ブレードランナー 2049』(17)の続編になる。

MOVIE WALKER PRESSでは、「SHOGUN 将軍」の魅力を発信する特集企画を展開。本稿では第5話を、ライターの渡辺麻紀がレビューする。

※以降、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。

■明らかになる鞠子の壮絶な過去

第5話は「父の怒り」。タイトルから判るように、吉井虎永(真田広之)が愚息とも言える息子、長門(倉悠貴)に対して怒りを爆発させることを意味している。

前作で陣頭指揮を任された長門は、石堂和成(平岳大)の放った軍の指揮官、根原丞善(ノブヤ・シマモト)を殺してしまい虎永の怒りを買ったが、彼のこの感情はなんとフェイク。虎永の本心は、これが石堂が兵を挙げる口実となり、自分たちの陣地に彼を呼ぶことができると喜んでいるのだ。さらに、虎永の怒りを鎮めようと樫木藪重(浅野忠信)が、丞善を殺すアイデアは自分の甥である樫木央海(金井浩人)のものかもしれないと伝えると、虎永は央海に大砲の采配を任せると言う。自分の部隊をなぜ央海に任せるんだと、またも藪重はモヤモヤ。相変わらず虎永に翻弄されっぱなしの藪重に観ているほうはクスリとしてしまう。本心を隠した登場人物が数多くいる本シリーズで、彼が(いまのところ)もっともストレートに感情を表現するキャラクターなのではないだろうか。

そして、もうひとつの大事件が、第3話の虎永の大坂脱出大作戦の時、身を呈して主人を守り殉死したと思われていた戸田鞠子(アンナ・サワイ)の夫、文太郎こと戸田広勝(阿部進之介)の生還。第4話では按針/ジョン・ブラックソーン(コズモ・ジャーヴィス)と鞠子は夫の死があったからこそ結ばれたわけだから、その姿を見て喜ぶどころか驚愕するのは当然だ。

虎永はそんな文太郎を、もともと彼が好ましく思っていなかった按針の家に住まわせるのだから、みんな揃ってのディナータイムは一触即発状態。按針と文太郎が酒の飲み比べをやったうえに、文太郎が弓を持ち出して鞠子に向けて矢を放つ!

が、注目すべきはこの席で文太郎が鞠子に語らせた彼女の悲しい過去だろう。父親は太閤の前の君主、黒田を殺した明智仁斎。逆賊となった彼は残酷なことに自らの手で一族郎党をひとりずつ介錯させられ、その後、自分は切腹。文太郎に嫁いでいた鞠子だけが死ぬことを許されなかった。家族の命日にも毎年、死を乞うものの受け入れてもらえず、こうやって生き恥さらしている…。どこか影を引きずっている鞠子は逆賊の娘だったのだ。

それを聞いて言葉を失くす按針だったが、そんな彼に後日、鞠子は「八重垣の話を忘れるな」という。第4話で示された「八重垣」とは、本心を心の奥の奥にしまうこと。ということは、死を乞うているというのは本心なのか?この時、鞠子は「沈黙は人を救う」とも言っているのだが、そう言いつつも「夫にはなにも与えない。憎しみさえも。与えれば夫は救われる」と本心に違いない言葉を吐いている。実は彼女、心の奥の奥にマグマを抱えている女性だということがわかるのだ。

■視聴者にも投げかけられる日本人の“死”と“生”の捉え方

このシリーズのおもしろさのひとつに、当時の日本人の価値観や風習の丁寧な描写がある。イギリス人の按針の視点を通して描かれことでよりインパクトが強くなっているのだが、この第5話でもそんなエピソードが用意されている。按針が虎永から貰ったキジを家の軒先に吊るし、家の者にたどたどしい日本語で「サワったらシぬ!」と宣言。おそらく本人は軽い気持ちだったのだが、主人の言葉が絶対の妻や使用人にとっては重く、耐えられなくなるほど臭くなった腐ったキジを庭師の植次郎が処理。彼は病のため死期も近く、自ら申し出て責任を取り死んだと言うのだ。

按針は唖然として途方に暮れ「命を軽視している!」と憤るのだが、このエピソードにも裏がある。網代での出来事がすべて虎永に筒抜けなのは間者(スパイ)がいるからに違いないと思った藪重が捜査を始めたのだが、折しも亡くなった植次郎が間者だったという証拠が見つかる。しかしそれもフェイクであり、本当の間者はなにかと按針の世話を焼いてくれていた村の長、村次。実は虎永が信頼している家臣だったのだ。

そして、本エピソードの大アクションは網代を襲う大地震!さすがハリウッド製らしいVFXで再現された激しい地滑りで、虎永が大地に呑み込まれるという事態にまでなってしまう。武士も村人も多くの命が犠牲になるのだが、そこで按針の頭をよぎったのは、植次郎の死を「もう終わったこと」と片づけた鞠子に自分が激昂した時、彼女が口にした言葉ではないだろうか。

「この世に生まれて、やがて死ぬ。私たちにはなす術もないこと」

地震によって命を絶たれ負傷した者たちを目にした按針は、確かにそうかもしれないと思ったのではないか。が、しかし、それが本シリーズの重要なテーマではない。虎永と按針の生き様を描くことで、そんな無情な死生観に抗うのが人生を生きることだと告げたいのではないかと思う。このシリーズらしく、テーマの表現も裏読みが必要なのかもしれない。

これから後半に突入するシリーズ。そのカギを握るのが本エピソードの最後に印象的に登場する落葉の方(二階堂ふみ)。亡き太閤の側室で世継ぎの八重千代の生みの親が、江戸から大坂へと移って石堂と顔を合わせ意味シンな会話を交わすからだ。虎永、石堂、そして落葉の方のそれぞれの思惑がどうぶつかり合うのか?その時按針はどんな行動を取るのか?後半の展開が楽しみだ。

ここで少し、原作者のジェームズ・クラベルについて書いておきたい。日本では「将軍」の作者としてだけ知られているが、実は映画界でも活躍していた人。デイヴィッドクローネンバーグの『ザ・フライ』(68)のオリジナル、『ハエ男の恐怖』(58)で脚本家デビューし、スティーヴマックィーンの出世作ともなった不滅の傑作『大脱走』(63)の共同脚本を務め、シドニー・ポアチエが教師に扮した『いつも心に太陽を』(67)では監督にも挑戦している。第二次世界大戦イギリスから従軍し日本軍の捕虜になった経験からアジアに興味を持ち、「将軍」を書いたという。もし彼が生きていたら、より日本人の価値観に肉薄したこのシリーズをどう観たのだろう。想像するだけでもおもしろい。

文/渡辺麻紀

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