日常生活や社会生活を営むうえで医療的ケア(人工呼吸器や胃ろう等)が必要な人には、24時間体制で在宅生活を支える障害福祉サービス「重度訪問介護」が用意されています。しかし利用条件には「18歳以上」というボーダーラインがあり、18歳未満の「医療的ケア児」は原則利用が認められていません。なぜ、医療的ケア児はサービスの対象外なのか? 重度訪問介護の内情を知る高浜敏之氏(株式会社土屋 代表)は、「既得権益の確執」が医療的ケア児の未来を阻んでいると指摘します。

支援を必要としている人が「支援の対象外」という実情

医療的ケア児とは、人工呼吸器や胃ろう、痰の吸引等の医療的ケアが日常的に必要な0~18歳未満の子どもを指しますが、重度訪問介護(医療的ケアを含む長時間の支援)の利用対象外となっています(注:児童相談所の許可がある場合は15~17歳の方に対する重度訪問介護の利用は可能)。

理由ははっきりしませんが、ここには予算増大に対する懸念以上の“別の阻害要因”があると考えています。例えば、重度の障害を持つ人は就労中の重度訪問介護の利用は禁止されていますが(※)、これは“就労中の費用は企業が負担するべき”という厚労省の見解にもよるのではないかと推定されます(※障害福祉サービスの対象は生活全般ですが、通勤や労働は「生活」ではなく「個人の経済活動」とみなされるため、サービスの対象外となっている)。医療的ケア児は就労の代わりに通学しているので、“学校を管轄する文部科学省が考えるべき”との見解に基づき、医療的ケア児の重度訪問介護の利用が禁止されているのではないかと推測しています。

とはいえ、就労中の重度訪問介護の禁止は、障害者の就労を推進している国の方針とは真っ向から反します。就労中に重度訪問介護が使えなければ働くこと自体が困難になり、逆インセンティブが働いて障害者自身の労働に対する意欲を失わせるからです。

つまり、国の意向と制度設計にギャップがあるわけですが、にもかかわらず就労中の重度訪問介護が禁止されているのは“別の決めごと”があるからに他なりません。もっとも就労中の利用に関しては、国の意向に一致するように近年認められつつありますが、その“決めごと”を変えていかない限り前に進めなかったと考えられます。

医療的ケア児に関しても、なんらかの“決めごと”があり、“別の阻害要因”があるために重度訪問介護が利用できないと思われますが、考えうる限り最も大きな要因は「省庁の管轄問題」だと感じています。

遠因ながら、実は「すでに支援対象の人」からの反対も

医療的ケア児が重度訪問介護を利用できないことにより、家族は疲弊の極致にあります。痰の吸引などのために夜中も1~2時間に1回起きなければならないこともあり、熟睡もできないまま、生活のために日中はフルタイムで働いている方が多くおられます。これを1日、1週間ではなく、365日続けている。しかも期間は限定ではなく、ずっと、です。

こうした現状がありながらも、ご家族の睡眠時間の確保や就労も含めた積極的な社会参加を実現する可能性がありながら、18歳未満の重度訪問介護の利用は相変わらず認められていないわけですが、そこには省庁の管轄問題に加え、今まで様々な制度変革を実現してきた障害当事者団体の要望が、その強度においてまだ十分とは言い難いからだとも考えられます。

重度訪問介護は2006年に始まり、身体障害者が長時間の介護サービスを受けられる体制が徐々に整っていきましたが、2014年には知的、精神ならびに身体障害当事者団体の強い要望により、利用対象が知的・精神障害者に広がりました。

当事者団体の強い要望が、国が政策を決める際に重視されることは今年度の報酬改定を見ても明らかです。2024年の訪問介護分野における報酬改定では、高齢福祉分野で単価が下がったのに対し、障害分野では単価がアップしました。サービス内容・時間・資格が同等であり、かつ総予算としては高齢福祉分野が1.59%のアップと、障害分野の1.1%を大きく上回ったにもかかわらず、これだけの開きが出たわけです。

この背景には厚労省財務省など省庁の意向のみならず、高齢福祉分野と障害分野の発言力の違い、すなわち障害当事者団体の存在が少なからずあるのではないかと思われます。

個人的には、若かりし日に身体障害当事者団体の全国組織の事務局を務めた経験があり、その際に目撃した障害当事者の発言力と社会を動かす力は驚嘆するものがありました。障害者自立支援法の改正、知的精神障害者への重度訪問介護の対象者拡大、そして就労中や入院中の重度訪問介護の利用を可能にすることなど、不可能を可能にする場面を幾度となく目撃してきた私にとって、障害当事者の社会を変える力はまさに「奇跡」ですらあります。

こうした中で、医療的ケア児に対しては当事者団体から積極的に要望を打ち出せていない感もありますが、2014年に重度訪問介護の利用対象を知的・精神に広げるという話が持ち上がった際にも、実は極めて例外的にではありますが、「知的障害者を対象にすると自分たちに支給される分が減ってしまう」という理由で、その改正に反対した身体障害当事者団体が皆無だったわけではありません。

そうした事実を見ても、「医療的ケア児の法律ができることで、自分たちの得た24時間サービスを受けられる権利がなくされてしまう」という不安を、すでにサービスを受けている当事者の団体が抱いていないとも限りません。ただ、この不安は「利己的」といって断罪できるようなものではまったくなく、特に重度障害当事者にとって重度訪問介護の支給時間は生命線でもあるわけで、この不安はむしろ人として自然な心理的反応と思われます。しかし、この不安が、あえて積極的な強い要望として表されないという形で、医療的ケア児に対象範囲が広がらない遠因になっている可能性は否めないのではないかと個人的には思われます。

既得権益を守りたいなら、むしろ「再分配」を選択すべき

日本においては、例えば生活保護受給者の生活は、発展途上国におけるミドルクラスの人たちより豊かなケースも見られます。先進国全体に言えることですが、これは全体の総額が増えることでボトムラインも自然に上がり、全体の福利が向上する所以です。

“上=持てる者”だけがいい思いをするのではなく、全体がうまくいくと“下=持たざる者”もうまくいくことを表していますが、“持てる者”が既得権益を死守しようとすると、“持たざる者”の不満が募り、結果的に既得権益層自体を滅ぼしかねません。

この不満に対する自己防衛としてあるのが、“持たざる者へのケア”を通じて、“持てる者”が既得権益を保持する政策、すなわち社会保障です。社会保障政策により福祉が充実すると、年間10万人を超える「介護離職」や、仕事をしながら介護に従事するビジネスケアラーの問題解消にもつながります。

経済産業省によると、介護離職やビジネスケアラーによる労働生産性の低下に伴う経済損失は約9兆円とされていますが、“持てる者”が再分配を選択し、納税義務を果たして結果的に社会保障にお金を回すことで、介護・保育に専心している方が働けるようになり、労働力の増加により経済活性化が図れます。

予算の枠内で限られたパイを奪い合うのではなく、“持てる者”が再分配を積極的に推進する政策を支持することでむしろ経済を活性化し、パイの増大を目指すことこそ、経済効率の面からも今日本において求められていることだと思います。

 “持てる者”は失われることへの不安を有するものですが、不安にとらわれ「富」を囲い込む=既得権益に固執するよりも、寄付や納税を通じた再分配により経済や社会の底上げを支えるという“考え方”こそが確かな自己防衛であり、医療的ケア児の未来にもつながってくると考えます。

ツケはまわってくる…「既得権益への固執」が招く自滅

既得権益への固執が如実に表れているのが、相続税問題です。日本の相続税は50%と、世界に類を見ない高さであり、いかにこの相続税を払うか、あるいは払わなくて済むのかが経営者・資産家等の最大の関心事でもあります。

私もその一人であるオーナー経営者を例にとると、基本的に会社の総資産における純資産の割合(自己資本比率)が30%以上でないと銀行等に不安視され、場合によっては経営危機に陥る可能性すらあります。そして、この会社の生命線である純資産は株主の資産にカウントされることから、オーナー経営者の死後、遺族は純資産の50%を相続税として半年以内に現金で納める必要があります。

会社を経営し、成長させるためには内部留保を増やして自己資本比率(総資産における純資産の割合)を高めなければなりませんが、一方で相続税はどんどん増え、純資産が100億円だと数十億円にものぼります。当然ながら、資産は会社にあっても手元にはないので、適切な相続税対策をしていなかった場合、遺族は会社や金融機関から巨額の借り入れをして相続税の原資を確保しなければなりません。それは言うまでもなく資金繰りを厳しくし、会社経営を危機的状況に追い込むことすらあります。

結果的に相続税の原資を確保することができず、やむなくIPOやM&Aで会社を売却して税金を納めるのが一つのパターンにもなっています。それがかなわなければ、最悪の場合「廃業」を余儀なくされることすらあります。これが事業承継において相続税対策が最大テーマの一つになる理由です。

一方で、税金をできうるかぎり「納めない道」を探す経営者・資産家も多くいます。今まで稼いだ額の何十倍、何百倍を払うのは馬鹿馬鹿しいと、ほとんど相続税のかからないシンガポールやドバイに移住したり、株価がまだ低い段階で株式のほとんどを幼い子どもに贈与して、議決権なし株主にするなどです。これは租税回避の方法ですが、自分の資産と会社の生命を守るため、納税負担を軽減することを考えるわけです。

人間の本質を鑑みると、それもまた心理的反応としては自然なものかもしれません。ところで、重度訪問介護の対象者拡大に反対する身体障害者団体と、巨額の相続税を逃れるために租税回避の道を模索する資産家。まったく異なる属性の両者に、「既得権を守りたい」という人間の本能という面でアナロジーを感じるのは私だけでしょうか。

ですが、その本能の発動は、程度を間違えると極めて危険な道だと考えます。オーナー経営者という立場から、私自身は相続税をしっかり納められる準備をするべきだと考えます。多くのオーナー経営者をはじめとした資産家が、人生最大のテーマの一つに据えている相続税対策は、基本的には「どうしたら巨額の相続税を払わないで済むか」ではなく「どうしたら巨額の相続税をきちんと納税できるか」というところにあり、生前にその準備をしっかりとするところにあるべきと考えます。なぜなら一部特定富裕層の既得権益への過度な固執は、社会全体にお金が回らなくなることに直結し、社会全体の安心や幸福を減退させる可能性すらあるからです。

相続税法人税などを下げるよう政治家に圧力をかける声が強くなったり、株式を持つ人の多くがあらゆる手法を使って相続税から逃れたりすると、当然税収が減って社会保障費の原資は減り、社会課題が露出して社会状況は厳しくなり、経営が困難になって失業率は上がります。社会保障費は削減され、介護や医療を受けられなくなる人も増加し、労働力は減少して自分自身の足場も崩れていく。

自分の資産を囲い込むことばかり考えていると、いずれ社会全体が地盤沈下し、そのツケは資産家自身にも回ってきます。この究極の形態が革命であり、我慢の限度を超えた民衆が反逆に出て、権力側が甚大な被害を受けた例は歴史からみても枚挙にいとまがありません。

強欲は道を誤らせます。やはり社会のあり方としても、また長期的視点でみれば自己防衛という観点からも“持てる者”は再分配により積極的であるべきなのではないかと考えます。その結果、貧富の格差が是正されて社会も安定し、雇用が拡大して経済が活性化し、富裕層にとってもそうでない人にとっても、よりいっそう希望を持てる安心社会につながっていく。

「自分たちの意識が社会をより良くする」という視点を

医療的ケア児は重度訪問介護サービスを原則利用できません。正直、腹おちする正当な理由が私にはわかりません。その結果として、ご家族が寝ずの日々を送っている現実はまさしく理不尽だと思います。もしその理不尽な現実の背景に、非常に大きな社会的影響力を持っている障害当事者団体の要求の強度が十分ではなかったり、また企業や資産家の租税回避行動の結果として社会保障費の原資の不足があるとしたら、医療的ケア児の未来を阻むものは、人間の本能に基づく既得権益への固執という考え方が生み出す再分配の欠如に他なりません。

“持てる者”は“持てる者”としての苦労はありますが、その苦労から逃げることしか考えず、自分や仲間や身内のことしか考えない限り、より良い社会の未来はありません。時に本能に抗ってでも、一人一人が自分たちの意識が社会をより良くするという視点に立ち返ることが重要だと考えます。

高浜 敏之

株式会社土屋 代表取締役 兼CEO

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。

(※写真はイメージです/PIXTA)