反響の大きかった2023年の記事からジャンル別にトップ10を発表してきた。今回は集計の締切後に、実は大反響だった記事に注目。年間ランキングで忘れられがちな11月12月に公開した社会経済ニュース記事から選ばれた、第5位はこちら!(集計期間は2023年11月~2024年1月。初公開2023年12月9日 記事は取材時の状況)
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全国に数多くあるテーマパーク。今もなお新しいテーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんなテーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「テーマパークのB面」をここでは語っていこう。
東京ディズニーランドが開園したのは1983年だ。実はそれよりも前、日本に「和製ディズニーランド」ともいえる施設があったことをご存知だろうか。
それが、「奈良ドリームランド」である。「昭和の興行師」と呼ばれた日本ドリーム観光の社長・松尾國三によって作られた遊園地で、アナハイムにある本家のディズニーランドに大きな影響を受けて作られた園内には、本家そっくりのお城やアトラクションが立ち並んでいた。
◆「奈良ドリームランド」ができるまで
創業者の松尾は、視察に訪れたアナハイムのディズニーランドに感動し、このような施設を日本にも作りたいと強く思うようになった。行動派だった松尾はすぐさま、ディズニーランドの生みの親であるウォルト・ディズニーに面会を申し込む。両者の間でどのようなやりとりがあったのかは、松尾がほとんど何も記録を残していないために明らかではない。しかし、再三にわたる松尾の熱意に押されて、ディズニー側が何らかの技術やノウハウをドリームランド側に提供したことは確からしい。
ただし、それはあくまでも「技術の提供」であって、「ディズニーランド」を作ってもよい、という許可ではなかった。一説によると、奈良ドリームランドの画像を見た生前のウォルトが激怒した、という話もある。そうした事情もあってか、本家のディズニーランドが日本に誕生する際には、大変難航したという話もある。
さて、これが奈良ドリームランドをめぐる話の概要だ。いわば、まだまだ娯楽に乏しかった日本が、本場アメリカのテーマパークを「パクった」話だと簡単に片付けられそうなエピソードでもある。
◆ディズニーランドにもれっきとしたモデルが
しかし、私はここでふと考えてしまう。
というのも、そもそも、パクられた元であるディズニーランド自体も、デンマークにあった「チボリ公園」という施設を大いに参考にしているからである。チボリ公園は1843年にデンマークに誕生し、あのアンデルセンもこの公園に足を運んで童話の構想を練っていたという。ウォルト・ディズニーはこの公園にたびたび訪れ、ディズニーランドのアイデアを練った。
実際、チボリ公園の中にはメルヘンチックなデザインで統一された建物群があったり、日本の寺院を想起させるような塔があったりと、どこかディズニーランドを思わせる建物が多くある。それだけではなくて、それまでの遊園地とは異なり、ある一つの「テーマ」に沿って、園内全体がデザインされているところも、大いにディズニーランドに影響を与えたと思われる。
◆“東京ディズニーランドにはない”アトラクションが存在
また、ディズニーランドが影響を受けたのはチボリ公園だけではない。そもそもディズニーランドのテーマランドがモチーフにしている西部開拓時代の街並みや、ジャングルの風景、あるいはオーディオ・アニマトロニクスで作られた動物なども、すべて本物があってそれを似せるように作られているという点では「パクリ」だと言えるかもしれない。
そう考えてみると、ディズニーランドの「本物性」を保証しているのは一体何なのであろうか、と思ってしまう。もちろん、だからといって奈良ドリームランドの肩を持つわけではないが、この「パクリ」の問題をテーマパークを例にして考え始めると、どうしても複雑な問題が出てきてしまう。
加えて興味深いのは、奈良ドリームランドと東京ディズニーランドの関係である。奈良ドリームランドにはその園内をぐるりと一周する外周鉄道が存在した。これは、アナハイムのディズニーランドにあるディズニーランド鉄道をモチーフにしたものであり、鉄道好きであったウォルト・ディズニーの強い希望で作られたアトラクションだ。実はこの鉄道は、奈良ドリームランドにはあっても、東京ディズニーランドにはない。東京ディズニーランドにも「ウエスタンリバー鉄道」という鉄道をモチーフにしたアトラクションがあるが、あれは園内の一部をめぐる鉄道であり、その外周すべてをまわるものではない。
◆何が「ホンモノ」で何が「ニセモノ」か…
経営学者である小川功氏の推測によれば、これは東京ディズニーランド側が、すでにある奈良ドリームランドの外周鉄道をイメージさせないように忌避した結果だというが、そうなると、東京ディズニーランドよりも奈良ドリームランドの方が、本物のディズニーランドに近いアトラクションがある、という不思議な状況が生まれているわけだ。ここでも、何が「ホンモノ」で何が「ニセモノ」か、考え始めるとわけがわからなくなってくる。
奈良ドリームランドは、東京ディズニーランドが開園してから、その方向性を大きく変えていく。本家のディズニーランドが東京にできてしまっては、その施設としてのオリジナリティーが薄れてしまうからだ。平たくいえば、東京ディズニーランドとの「差異化」がはかられた。
◆「眠れる森の美女の城」をモチーフにしたお化け屋敷が
私がつい笑ってしまったのは、園内中央にあるお城の中にお化け屋敷が誕生したことだ。このお城は、「眠れる森の美女の城」をモチーフにしていて、見た目は本場のディズニーランドとそっくりだ。本来は、美女がそこに住むメルヘンな世界観のお城が、なぜか魔物の住む場所になったのだ。また、園内の一部は「カプリプール」として当時、西日本最大級のプールとして改装されたが、こうなってはもはやレジャーランドとの違いがわからない。
ディズニーランドを「パクった」施設が、よりディズニーランドに近い施設と差異化をはかるために、徐々にその「パクリ」元から離れようとしていく。「パクること」をめぐる不思議な変化が、奈良ドリームランドを舞台に起こっていたのだ。
なんだか込み入った話になってしまったが、ただ一つ言えるのは、その施設がある種の「パクリ」によってできていたとしても、そこには、そのテーマパーク固有の思い出を持つ人々がたくさん存在する、ということだ。残念ながら奈良ドリームランドは2006年に閉園してしまった。しかし、SNSで検索してみると、奈良ドリームランドの懐かしい思い出を振り返り、その閉園を惜しむ声は多い。
奈良ドリームランドが「パクリ」によってできていたとしても、そこで人々が紡いできた思い出だけは「本当のもの」なのかもしれない。
<TEXT/谷頭和希>
【谷頭和希】
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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