原則、年金は65歳から受け取れます。しかし、たとえ減額されたとしても繰上げ受給により、65歳より早く年金を受け取りたいと考える人もいるでしょう。本記事では、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が、Sさんの事例とともに年金の繰上げ受給の注意点について解説します。

年金減額は想定内

高齢期に受け取る公的年金は、長生きリスクに備える保険であるといえます。公的年金の最大の強みは、高齢期の働けなくなったときに、終身で受け取れることです。

一般的には65歳から受給ができますが、事情により早く受け取ること(繰上げ)、遅らせて受け取ること(繰下げ)、も選択可能です。前者は、早く受けとれますが、その分65歳時より減額してしまいます。後者は、遅らせた分、増額した年金を受け取ることができるのです。

元飲食店の店員だった62歳のSさん。現役時代は適職を見つけることができずに、転職を繰り返していました。そのため、毎年誕生日月に届いていた「ねんきん定期便」をみるたびに、少ない自分の見込年金額にため息をついていましたが、現在無職のSさんにとって定期的に受け取れる年金は魅力的でした。

いま生活することすらままならないなら、減額しても年金を繰上げ受給して早く受け取ったほうがいいのではと、減額した年金額を教えてもらいに近所の年金事務所を訪ねました。Sさんの年金額は次のとおりです。

老齢基礎年金:79万5,000円×350月÷480月=57万9,688円 老齢厚生年金30万円×5.481÷1,000×300月=49万3,290円 ※2023年度額で計算(経過的加算等は考慮せず)減額率0.4%×36月

Sさんが繰上げを決断した理由

Sさんは、控えめで大人しい性格です。長く働きたいと就職するも、嫌がらせを受けたこともあり、性格的に断れないことから必要以上に仕事を押し付けられることも。精神的に疲れ切って退職してしまいました。身体的には既往症もなく、できれば再就職したいと、ハローワークに通っていました。

しかしながら、1年以上にわたって無職・無収入でいると、貯蓄も底をつき、危機感が募ります。それならば、年金を早めに受け取って少しでも収入がある状態にしたい、と年金事務所へ向かいました。

年金繰上げのデメリット

年金事務所の職員の人からは、年金を繰上げ受給すると減額だけではなく、ほかにもデメリットがあることについて、説明がありました。Sさんにとって繰上げによる主な注意点は次のとおりです。

■老齢年金を繰上げ請求すると、繰上げする期間に応じて年金額が減額されます。生涯にわたり減額された年金を受給することになります。

■老齢年金を繰上げ請求した後は、繰上げ請求を取消しすることはできません。

■繰上げ請求した日以後は、事後重症などによる障害基礎(厚生)年金を請求することができません。特に治療中の病気や持病がある人は注意が必要です。

厚生年金保険に加入した場合、給与や賞与の額に応じて、老齢厚生年金の一部または全部が支給停止となる場合があります(繰上げ請求した老齢基礎年金は支給停止されません)。

日本年金機構:繰上げ請求の注意点より一部抜粋

Sさんが後悔しているワケ

Sさんは65歳の年金を3年早く受け取ることにしました。これで少しは生活費の足しにできますが、月約7万6,000円の年金では生活が苦しいことに変わりません。せめてアルバイトでもしなければ生活できないと、職探しは続けなければなりませんでした。

そんなある日、偶然、昔の職場の友人に会ったことでSさんの状況は大きく変わります。

友人に職探しをしていることを伝えると、自分がいま働いている運送会社で人が足りないから働いてみないかと誘いを受けました。その会社の社長は人情味があり、アットホームな雰囲気の会社だというのです。

Sさんは、運転免許を持っていますが、運送会社で働いた経験はありません。不安を拭うことはできませんが、藁をもつかむ思いで面接に行ってみることに。

多少力仕事があり、62歳のSさんにはきついかもしれません。従業員は10名ほどの小さな会社ですが、みんな口を揃えて、若社長夫婦はとても気さくな人柄で、温かい会社だといってます。

Sさんの年齢で未経験の仕事は大変でしたが、かつての嫌がらせを考えると、アットホームで温かい会社は非常に魅力的でした。若社長から、「正社員として、ぜひ我が社で働いてほしい」といわれ、もしかすると、Sさんにとってこれが正社員として働くのには最後のチャンスだと入社を決めました。

Sさんが入社をすると、慣れない仕事でしたが、自分より年下の先輩たちは親切、丁寧に教えてくれます。いままでの会社と異なり、非常に働き甲斐のある会社です。

しかし、Sさんの頭の中にはひとつの後悔が……。

「こんな職場があるのなら、どうしてもっと早く出会えなかったのだろう。早く出会えてさえいたら、年金繰上げなんてしなかった。年金を減額される必要もなかったのに……」いまさら取り消すことができず、やりきれない思いを感じました。

Sさんがいまからでも年金を増やす方法

繰り上げた年金請求を取り下げることはできません。また、60歳を過ぎたSさんが、何歳まで働けるかどうかもわかりません。ですが、Sさんは正社員として入社することができました。正社員として社会保険に加入することもできたため、いまから年金額を増やすことは可能です。

年金を繰り上げしたあとに社会保険に加入したため、給与や賞与の額に応じて、老齢厚生年金の一部または全部が支給停止となる場合がありますが、Sさんの年金額では支給停止されることなく受け取れ、せめてもの救いとなりました。

若社長は、Sさんが可能であれば、長く働いてほしいといってくれています。年金を繰り上げたことは後悔先に立たずですが、長く働くためにも、Sさんは健康に気を付けることを第一に考え、頑張ってほしいですね。  

三藤 桂子

社会保険労務士法人エニシアFP

代表

(※写真はイメージです/PIXTA)