現地時間3月10日に行われた第96回アカデミー賞は、1月のノミネーション発表から授賞結果まで、ほぼすべて予想通りの展開だった。昨年7月の劇場公開後、世界で10億ドル近い興行収入を稼いでいる『オッペンハイマー』(3月29日公開)が作品賞、監督賞、主演・助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞の最多7部門を受賞。スタジオのブロックバスター映画が作品賞を受賞するのは2004年の第76回アカデミー賞で『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』(03)が作品賞を含む11部門を受賞して以来となった。配給のユニバーサル・ピクチャーズは、2023年にそれまでトップを走っていたディズニーを追い抜き、北米興行収入シェア1位を記録。興収と賞レースの両方で頂点に立ったスタジオは、約100年のハリウッドの歴史で初だという。

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受賞結果が予定調和だった今年、授賞式で最も盛り上がったのはライアン・ゴズリングが『バービー』(23)の挿入歌で歌曲賞候補だった「I'm Just Ken」をスラッシュウルフギャング・ヴァン・ヘイレンと共に披露したコーナーだった。それでも歌曲賞を受賞したのは前評判通り、ビリーアイリッシュの「What Was I Made For?」で、7部問8ノミネートの『バービー』から唯一の受賞となった。『バービー』は、現在までの北米興行収入が6億3600万ドル(約948億円、Box Office Mojo調べ)で、これだけ興収の高い映画が作品賞にノミネートされながらも、グレタ・ガーウィグが監督賞、マーゴット・ロビーが主演女優賞の候補入りを逃している。アカデミー賞授賞式でMCのジミー・キンメルもジョークにしていたが、2人の表情にはまだ落胆が感じられた。

ちなみに2023年の興行収入第2位は『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(約5億7500万ドル)、第3位は『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(約3億8100万ドル)だが、どちらも長編アニメ映画賞を逃している。もともとは興行収入を得にくいアート系作品やインディペンデント系作品のプロモーション効果を高めるためにアカデミー賞などの賞レースが重用されてきた歴史を考えると、興収と受賞結果の一致がどれだけ珍しいことかがわかる。

日本作品にとっては、『ゴジラ-1.0』(公開中)がアジアの作品として初めて視聴効果賞を受賞し、歴史的な受賞となった。壇上で英語のスピーチをした山崎貴監督は、「We Did It!…(やりました!)」と高らかに叫んだ。『ゴジラ-1.0』が受賞するだろうというのも大方の予想通りだったが、ゴジラの爪を模した特製シューズを履いた4人の勇姿は、日本で、そして世界のどこかでVFXを目指す人たちの希望となったことだろう。長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』(公開中)の宮崎駿監督は欠席だった。これも事前にわかっていたことだ。

俳優賞を受賞したのも下馬評の高い4人だった。助演女優賞のダヴァイン・ジョイ・ランドルフは、『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(6月21日公開)で、悲しい過去を持つ高校の料理長を演じ、前哨戦からずっと勝ち続けてきた。主演男優賞と助演男優賞は、『オッペンハイマー』で敵対した2人、キリアン・マーフィとロバートダウニー・Jr.が想定通り受賞している。ランドルフダウニー・Jr.も、このアワードシーズンで散々スピーチを行ってきたが、この日のドルビーシアターではそれまでの経験をすっかり忘れたような表情をしていた。いくら確実視されていても、アカデミー賞の舞台は特別なものなのだろう。

主演女優賞だけは、『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』(23)のリリー・グラッドストーンと、『哀れなるものたち』(公開中)のエマ・ストーンが五分五分の勝率を競っていたが、直前のBAFTA(英国アカデミー賞)でも主演女優賞を受賞したエマ・ストーンが栄光を掴んだ。だが、アメリカではリリー・グラッドストーンがネイティブ・アメリカンの女優として初めての主演女優賞をとると信じられていて、最も驚いたのはエマ・ストーン本人だったようだ。「I'm Just Ken」でライアン・ゴズリングと共に歌い、その際にドレスの後ろがほどけてしまった。緊張と驚きとドレスの件でパニック気味になったストーンのスピーチは、この夜のスピーチの中で最もとりとめのないものだった。

これだけ予定調和ばかりの授賞式だが、アメリカでの視聴率は昨年の約1880万人より少し上昇し、約1950万人が視聴した。ストリーミングサービスでも配信されたゴールデン・グローブ賞やSAG賞と異なり、ABCの生放送だけでこれだけの視聴人数を得ることができたのは、様々な理由があると見られている。最も大きなところでは、作品賞候補の10作品に『オッペンハイマー』『バービー』といった2023年のボックスオフィスを牽引した大ヒット作品が含まれていたこと。ライアン・ゴズリングのケンによるパフォーマンスがあったことも視聴増の要因の一つだろう。また、授賞式開始時間は例年よりも1時間早まり、さらに3月10日はアメリカでサマータイムが開始されたので、授賞式が行われるロサンゼルスよりも3時間早い東海岸でも、日曜の比較的早い時間に生放送を見終えることができた。

とてもわかりやすい結果だったこととは裏腹に、今年のアカデミー賞で受賞した作品は、一見では難解とされる作品が多い。『オッペンハイマー』は、複雑な構成をオッペンハイマーとルイス・ストロースの視点と状況を画角と色調で区別し提示した。国際長編映画賞と音響賞を受賞した『関心領域』(5月24日公開)は、映画の中で描かれる家族の周囲でなにが起きていたかを、観客が持つ歴史的文脈と照らし合わせていく作品だ。夫の死をめぐる裁判で提示される“真実とおぼしきもの”にどう対峙するかが問われる『落下の解剖学』(公開中)は、フランス語と英語による作品でありながら脚本賞を受賞した。長編アニメーション賞を受賞した宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』も、昨年夏の日本公開時には「難解だ」という意見が散見されていたが、12月の北米公開時には大ヒットを記録している。

これらの作品が「わかりにくい」とされたのは、映像が直接的に見せているもの、ストーリーラインやセリフが現しているものとは別のものを映画に映しだそうとしている作品だったからだ。逆に言えば、映画として提示された作品を、観客はどのように受け取ってもいい。アカデミー賞に投票するのは批評家ではなく、映画を作り世界中の観客に届ける9300名あまりの制作者たちだ。2023年の映画脚本家組合と映画俳優協会のストライキでも、AI使用に対するガイドラインが最も大きな争点になっていた。見えているものと見えていないものをつなぐような作品が組合の賞など前哨戦から通じてずっと評価され続けてきたのは、迫り来るAI技術の発展に人間のクリエイティビティが争う術を示した作品たちだったからではないだろうか。

文/平井伊都子

作品賞ほか最多7部門を受賞した『オッペンハイマー』/Michael Baker / [c]A.M.P.A.S.