スピリチュアリストの江原啓之がパーソナリティをつとめ、番組パートナーの奥迫協子とお送りするTOKYO FMのラジオ番組「Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り」。

3月17日(日)の放送では、リスナーから届いたさまざまな相談に、江原がアドバイスを送りました。

江原啓之



<リスナーからの相談>
もうすぐ父の7回忌があります。お寺さんには頼まず家族だけで拝む予定ですが、コロナも流行っていますし、母は病気持ち、姪っ子は妊婦です。私は、仏事は何となく意味があると思っているので帰省予定ですが、そういう考え方自体が、もう令和の時代にはそぐわないのかなと考えてしまいました。感染症のことを考えると、集まらないほうがいいのではと思ってしまいます。

江原さんは、仏事の簡素化についてどう思いますか? 「(簡素にするのは)仕方がない」となると、どんどん「やらなくてもいい」となっていく気がします。

<江原からの回答>
江原スピリチュアルには鉄則があります。スピリチュアルは目に見えないことですよね。だから「どれだけしたか」ではなく、「どれだけ(気持ちを)込めたか」が大切です。大勢の人が集まって盛大にやったって、誰もお父さんのことを思ってくれなかったり、みんなで親戚や近所の人たちの悪口を言ったりしていたら、何の意味もないでしょう。

とはいえ「何でも簡素化すればいいものじゃない」という、相談者さんのおっしゃっていることも分かります。これも気持ちがあっての簡素化と、気持ちもなく簡素化するのは違うんですよね。結局はどちらにせよ“(どのくらいの思いを)込めているか”なんです。

私の知っている人に、クリスチャンでもないのに、ご家族が亡くなって、突然キリスト教式でお葬式をあげた人がいたんです。理由はお葬式の費用が一番安かったから。「いやぁ~キリスト教は安くていいよ~!」なんて言っていたんですって。

奥迫:えっ……お葬式にかかる金額で選ばれたんですね。それだと気持ちというか(思いを)込めるものが……。

江原:信仰としてもおかしいし、なんだかこう、人間の感性としてもおかしいですよね。それだったら別に宗教的なお葬式をせずとも、心から寄り添ってお通夜やお葬式をして、そして火葬して、気持ちを込めて送り出したほうが、よほどいいのではないかと思うんです。

家族であっても友達であっても、心から「ありがとうね」「また会おうね、さようなら」と思ってくれたら十分。それでいい。どんなに盛大で、立派な祭壇を作ってもらっても、何の心もなく形ばかりだったらよくありません。だから気持ち・心ですよ。形じゃないということは、相談者さんも今の言葉できっと分かると思います。

それと、気持ちがない人というのは、必ずその人に返ってきます。“自ら蒔いた種、自ら刈り取る”ということで、必ず何かで寂しい思いをします。そうしたときに「心が大切だ」ということに気づくんです。これは罰ではなく、その人が気づくんです。だから冷たい人というのは悪い人なのではなく、まだ本当の愛を知らないだけなのです。

奥迫協子、江原啓之



●江原啓之 今夜の格言
「どれだけ与えたか、ではありません。“どれだけ込めたか”が大切なのです」


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3月17日(日)放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 3月25日(月)AM 4:59
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<番組概要>
番組名:Dr.Recella presents 江原啓之 おと語り
放送日時:TOKYO FM/FM 大阪 毎週日曜 22:00~22:25、エフエム山陰 毎週土曜 12:30~12:55
出演者:江原啓之、奥迫協子
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/oto/
江原啓之「スピリチュアルは目に見えないことだから…」仏事の簡素化について考える相談者に届けた言葉とは?