反響の大きかった2023年の記事からジャンル別にトップ10を発表してきた。今回は集計の締切後に、実は大反響だった記事に注目。年間ランキングで忘れられがちな11月12月に公開した仰天ニュースから選ばれた、第8位の記事はこちら!(集計期間は2022年11月~2023年1月。初公開2023年11月18日 記事は取材時の状況)
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 朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。

 今回は前回に引き続き、元パチプロの中山健介さん(仮名・47歳)が歩んできた壮絶な人生の後編をお届けする。

◆地元に戻るも仕事はなし

 パチプロネットワークを構築したり、治験のバイトをしたりと、さまざまな経験をしていた中山さん。こういった気軽な生活を32歳くらいまで送っていたが、あるとき出張で東京に来たお兄さんから「そろそろちゃんとしろよ」と言われて実家に帰ることを決心する。

「もう、いい加減パチスロ打って生活していくのも限界かなぁって思ってたから、思い切って地元に帰ったんだ。でも、履歴書出してもバイトすらダメ。当たり前なんだけど、高校中退してから15年近く“無職”だったもんね(苦笑)。そしたら、地元のツレから『屋台を手伝ってくれないか』って言われて、テキ屋のお手伝いするようになったの。当時はまだ今ほど反社とかうるさくなかったから、休みになるといろんなお祭りに出かけて、朝から夕方まで焼きそば作ったり、たこ焼き焼いてた」

 このテキ屋稼業が中山さんには居心地がよく、すっかり馴染んでしまったという。

「若いコたちからはパチプロさんって呼ばれたり、会長も何かと目を掛けてくれた。やっと落ち着いたなぁって思ったんだけど、今度は暴排条例に絡んで仕事が激減しちゃったんだよ。テキ屋なんてヤクザと紙一重で、元ヤクザのヤツとか現役もいたりするし、そもそもどっかの組の傘下だったりするしね。それでオレがいたグループも『今年からはちょっと……』って」

◆キャラクターグッズで一攫千金を目論むも…

 その後、中山さんはテキ屋を辞め、工場の期間工として地元の工場だけでなく、全国の工場を転々とする日々を送ることとなる。

「期間工も長く続けられないし、どうしようかなぁって思ってたときにテキ屋時代に知り合った人から一緒に事業をやろうって持ちかけられたの。その人は別のテキ屋グループだったんだけど、屋台で売ってるお面とか安いおもちゃの指輪とかブレスレットとかを扱ってたんだ。それで、その事業ってのが、そのルートを使ってファンシーグッズを作って売るっていうんだ」

 そしてその人物から見せられたものは、ウンチをモチーフにしたキーホルダーなどのグッズだった。

「今考えると、そんなもん絶対にダメって思うんだけど、その人の話が妙にうまくてさ。『まず、これを女子高生にタダで配って話題を作って、Twitter(当時)に上げてもらって話題になれば、全国放送のテレビに出ることある』なんて、そんなもん絶対にうまく行くワケないんだけど、なんかうまくいくと思っちゃったんだよね」

 もちろん、うまくいくはずもなく、出資したなけなしの200万円はウンチグッズとともに消えていった。

◆コロナでさらに追い打ちがかかる

 その後、中山さんはテキ屋時代の後輩からキッチンカーを手伝ってほしいと言われ、またしても屋台稼業に戻ることとなるのだが……。

「テキ屋はダメだけど、オシャレにしたキッチンカーならいいって言うんで、テキ屋時代の後輩がやってたキッチンカーを手伝うことになった。小洒落たキッチンカーで出したらさ、テキ屋時代なんか絶対に来なかった若くてキレイな姉ちゃんがたくさん並んじゃうの(笑)。よし、オレもカネ貯めてキッチンカーで……って思い始めた時にコロナだよ。もう、うまくいくと思ったら、またこれだよって」

 こうして中山さんはまたしても失業してしまったのであった。

◆廃品回収として今度こそ安住の地を見つける

 コロナが始まり、またしてもプータローになった中山さん。昔取った杵柄とばかりにパチプロに戻ろうと試みたそうだ。だが、大幅に仕様が変わった現在のパチンコ、パチスロを打って「もう、打てないね、今の台は」とあっさり敗北宣言。今度こそ本当にダメだと思い、生活保護も考え始めたときに、小・中学校の幼馴染みバッタリ会ったという。

「コンビニでバッタリ会って、何やってんの? って話になって、プータローって答えたら、廃品回収やってるから手伝ってよって。あんときは本当に捨てる神あればって思った」

 こうして中山さんは同級生の廃品回収を手伝うことになる。

「まぁ、何でも屋だよ。ゴミ屋敷片付けたり、空き家になってる実家をなんとかしてくれって言われて片付けたり。この仕事の面白いのは、ゴミとして片付けてくれって言われたものが、カネになるってところ。この間も実家の遺品整理を頼まれて行ったとこなんか、食器棚から箱に入ったまんまのバカラのグラスの新品セットや高そうな茶器が出てきたり、押し入れからはギブソンのギターやトランペットとか出てきたんだよ。本当にタダで回収していいんですか?って聞いても、もう、使わないから処分してって。それでこっちで引き取ってまとめて業者に売ったら、全部で70万円にもなった」

 45歳にしてようやく天職を見つけたという中山さん。47歳になった今は、「散々ろくでもない人生を過ごしてきたから、しばらくはのんびりしたい」と話した。

◆思い出の一台はアレジンじゃなかった

 では、最後に中山さんに思い出の一台について語ってもらった。その一台はアレジンではなく、意外な台だった。

「西陣の春夏秋冬って台。この台に何度も助けられたな」

 春夏秋冬はモード式で地獄モードに落ちると大当り確率が1/420になるのだが、ハズレリーチ40回で天国モードに移行する。中山さんはこの特性を生かし、春夏秋冬の島を頻繁にチェックしてハマッてる台をチェック。当時はデータカウンターなどない時代のため、どの台がどの程度ハマッている台かはわからないのだが、灰皿にたまったタバコの吸い殻の量でハマリ台を見抜いていたという。

春夏秋冬って、朝イチはモーニング狙いで争奪戦だけど、昼過ぎから夕方までは地獄モードもあってみんな敬遠してた。そんでもって当時のパチンコ屋って1時間とか2時間に1回しか灰皿清掃をしないの。だから、タバコの吸い殻の量でどのくらい座ってたかを見極めてたんだ。ちょいちょい春夏秋冬の島をチェックしながら、打ってるヤツがいたらどのくらい打ち込んでいるのか、放置されている台はたまった吸い殻の量でどのくらい打ち込んだかを推測して、地獄モード中の台に狙いをつけて打ってた」

 まさに生き馬の目を抜く立ち回りで、中山さんはパチンコで食っていく自信が付いたという。

◆10年以上ぶりのパチンコで浦島太郎状態に

 パチンコにハマり、浮き草稼業を続けた中山さんだが、今はもうパチンコを打たないのだろうか。

「地元に戻るって決めたときにキッパリとヤメるって心に決めたの。ヤメないんだったら、戻ってくる意味がないと思ったんだよ。でも、その禁を破って2年前に打ってホント、無理だと思った。演出が多すぎて落ち着かないんだよ。YouTubeとか見て下調べして打ったけど、浦島太郎状態だったね。あと、箱が詐欺だよ、あんなもん。昔の中箱くらいの大きさでさらに底上げしちゃってて、あれは出てないのを出てるように見せる詐欺だよ」

 そんな中山さんに今後の目標を聞いた。

「税理士や司法書士の先生と提携して、遺品や空き家整理の事業をもっと広げていきましょうって話している。社長やってる幼馴染みとも話しているんだけど、岐阜県とか三重県にも支店を作れたらなって」

 30年近くかけて落ち着いた生活を手に入れた中山さん。事業拡大の夢を叶えるため、今日も奔走している。

取材・文/谷本ススム

【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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