第96回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』(公開中)。その受賞を記念して、日本でも英語吹替版(日本語字幕付き)が劇場公開されている。この英語版はアメリカをはじめとした複数の国で劇場上映されたが、このように日本のアニメーション作品の英語版が日本の劇場でも上映されるのは、非常に稀なケース。3月20日から限定的に上映される英語版の回は、外国人の観客も含め、なかなかの盛況となっていた。

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映画やドラマをオリジナル言語で観るか。あるいはほかの言語の吹替で観るか。実写作品で生身の俳優が演じる場合、しかもその俳優の“生の声”に聴き覚えのある場合は、多かれ少なかれ違和感が発生する。しかしアニメでは、その違和感が緩和される。性別や年齢、人種などで要求される声の質は限定されつつも、“役の声”は声優が当てて完成するからだ。『君たちはどう生きるか』も、日本語版と英語版でそこまで印象が変わるとは思っていなかった。しかしまっさらな気持ちで英語版と向き合ったところ、意外にも別種の感覚がもたらされる部分があった。

※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。

■『君たちはどう生きるか』英語吹替版は“異様”ともいえるマッチ感

宮崎駿監督作品は、明らかに日本を舞台にしたものと、そうではない作品に分けられる。前者は『風立ちぬ(13)や『千と千尋の神隠し』(01)、『もののけ姫』(97)、『となりのトトロ』(88)など。後者は『ハウルの動く城』(04)や『紅の豚』(92)、『魔女の宅急便』(89)など。そうした背景を考慮した場合、前者はセリフも日本語のほうが自然に感じられるし、後者は他の言語の方がむしろマッチするかもしれない。この考えをふまえれば、第二世界大戦中の日本を舞台にした『君たちはどう生きるか』は、明らかに前者のパターン。主人公の眞人が東京から疎開してくる冒頭からしばらくは、英語のセリフを聴きながら、“吹替版”としての表現の差異を楽しんだ。今回の日本語字幕は、英語のセリフを訳したものではなく、オリジナルの日本語セリフをそのまま表示していることから、通常の作品とは異なる表現も独特の魅力になっている。

やがて青サギに誘われて眞人が別世界へ入っていくと、そこに広がる風景は、もはや“日本”ではない。日本的テイストの要素も存在しつつ、建造物などはどこかヨーロッパを思わせるデザイン。そんな風景で交わされるセリフが英語なのは妙にしっくりくる。この背景と英語との親和性は前半から感じられ、疎開した屋敷の眞人の部屋や、夏子の寝室などは当時の日本には珍しい西洋風の作りとインテリアで、もちろん大叔父が建てた塔も西洋風のそれである。全体として英語のセリフが異様にぴったりハマっているのは軽いサプライズだった。

戦争という生々しい背景を扱いながら、ファンタジーの世界へと観る者を引き込む。本作にその意図があるのなら、日本語を母国語にする人が英語で観ることで、その効果をより大きく受けるかもしれない。『君たちはどう生きるか』は日本での公開時に賛否の論調もあったが、英語版はその“否”の部分を和らげる可能性も秘めているのではないか。セリフの言語の違いで、どのように印象が変わるのかを、本作に改めて教えられた気がする。

■実力派そろいのハリウッド俳優たちが、ジブリ作品に新しい魅力をもたらす

こうした効果を与えるのは、もちろん声優陣の実力があってこそ。今回の英語版のキャストも、安定の演技で応えている。スタジオジブリ作品の英語吹替版は、これまでもハリウッドの人気スターがキャスティングされてきたが、今回は過去の作品以上に豪華な顔ぶれである。ジブリ作品のアメリカ配給を手がけるGKIDSは、多くのスターたちが英語版への参加に積極的であることを明かしていた。それだけ宮崎駿作品の人気は、ハリウッドのなかでも別格なのだろう。

風の谷のナウシカ』(84)のアスベルはシャイア・ラブーフ、クシャナはユマ・サーマン。『となりのトトロ』のサツキとメイは、実際に姉妹であるダコタ・ファニングとエル・ファニング。『魔女の宅急便』のキキはキルスティン・ダンスト。『紅の豚』のポルコはマイケル・キートン。『崖の上のポニョ』(08)の宗介の父はマット・デイモンポニョの母はケイト・ブランシェット。そして『風立ちぬ』の菜穂子は、今年アカデミー賞助演女優賞ノミネートのエミリー・ブラント…。その他にもジブリ作品の英語版には、小さな役に実力派スターの名前を発見することができる。

君たちはどう生きるか』で主人公の眞人を任されたルカ・パドヴァンは現在20歳の若手俳優。映像作品ではなじみが薄いが、ブロードウェイのミュージカルスクール・オブ・ロック」で、主要キャラクターのビリーを演じていただけあって、的確な感情表現を披露。声の演技では、この“的確さ”が重要であることを再認識させる。

日本語版と最も印象が異なる声は、眞人の父、勝一かもしれない。演じたのはクリスチャン・ベールだが、なにも知らずに観たら、おそらく誰の声かわからないだろう。ベールは『ハウルの動く城』でハウルを担当しており、再び木村拓哉と同じ役となった。バットマン役を演じた際のベールも、あのマスクを被ったシーンで独特の発声を試みており、声の演技への強いこだわりも感じられる。

そのほかにも、ジェンダーの枠を超えるようなキャラクター、キリコ役、フローレンス・ピューの頼もしさや、短い登場ながら、忘れがたい声を残した老ペリカンのウィレム・デフォー、『天空の城ラピュタ』のムスカ役に続いて2度目のジブリ作品となった大伯父役のマーク・ハミルなどの味わい深い仕事を堪能しつつ、やはり最も驚かせるのが、青サギ役なのは間違いない。日本語版の菅田将暉も本人のイメージを変える名演だったが、英語版ロバート・パティンソンは、サギとしての鳴き声から、邪悪な面が出る瞬間、コミカルな慌てっぷりまで、尋常ではない変幻自在っぷりである。日本語版と聴き比べたくなるのは確実だ。パティンソン、クリスチャン・ベールという“バットマン俳優”の共演も、偶然とはいえ感慨深い。

そして英語吹替版でも、変わらずに日本語のままのパートがある。エンドロールで流れる米津玄師の「地球儀」だ。ここでは歌詞が英語字幕で表示されるのだが、日本語としてじつにエモーショナルかつ心地良いあの歌詞が、英語でも美しい“詩”になっているので、ぜひ字幕を追ってほしい。

英語ネイティブの観客から、意外なシーンで笑いが起こるなど、日本語版とは違う劇場体験を秘めた今回の英語吹替版の上映。作品への向き合い方や、テーマの捉え方も含め、新たな感動が訪れる気もする。

文/斉藤博昭

第96回アカデミー賞長編アニメーション賞受賞『君たちはどう生きるか』の英語吹替版をレビュー/[c]2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli