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(撮影:西村尚己/アフロスポーツ)

3月20日ドジャースから解雇された、大谷翔平選手(29)の専属通訳を務めていた水原一平氏(39)。米メディアの報道によると、水原氏はカリフォルニア州では違法とされているスポーツ賭博に関与し、大谷の資金を流用した疑いが持たれている。なんと450万ドル、日本円で約6億8000万円が、ブックメーカーの口座に送金されたという。

ドジャースのチームメイトに自身がギャンブル依存症であることを告白し、違法賭博には’21年からのめりこんだという水原氏だが、北海道苫小牧市の出身。地元ですし店を営んでいた父・英政さんが91年、友人の誘いを受けてロスで板前を始めることになり、一家で移住した。

水原父子と長年交流があり、20代の水原氏がアルバイトしていたこともあるロスの鮨処「古都」のオーナー・松木保雄さんは言う。

「彼は派手さはないけれども、真面目で、よく働いてくれました。当時、彼は人生を模索している時期で、お父さんがカジノのディーラーの養成学校を勧めて入学した時代がありました」

当時の水原氏は職探しのため、多業種の勉強をしていたようだ。近郊にラスベガスがあり、収入の安定を考えたのかもしれない。

「こちらは専門の学校もあるし、一種の特殊技能ですから、通うようになったんでしょう。ただね、お父さんが途中で『コイツ(一平)はダメなんだよ。向いてなかったんだよ』と言っていたような記憶があります。結局、彼は養成学校をやめていました」

退学後、水原氏はロスにある日本酒メーカーに入社する。そこで販売の営業を始めたという。

「ウチのお店にもお酒を売りに来たことがあります。売り込みは、あんまり上手じゃなかったね。あちこちにセールスには行ったと思うんだけども……。いろいろな業種に挑戦はしていたみたいですね」

彼が職探しに苦労していた理由は何だったのだろうか。

「やっぱりあの性格でしょうね。ガンガンお客さんに押していくようなタイプではなくて、一歩下がって控えめで、優しかった。どんどん切り込んでいくタイプではなかったですね。

ウチの店に勤めているときに感じたのは、僕が病気になって歩けなくなった時、病院に連れてってくれて通訳してくれたんです。人をお世話することには、本当に行き届いていて誠実だったからね。気持ちは優しい青年だったから、大谷さんとも気が合ったように思っていたんだけれど……」

それから数年後の12年、水原氏は日本ハムの球団通訳に就職し北海道で大谷と出会うことに。

水原氏が20代で挫折した“ギャンブル”の世界に再び入り込むことがなければ、2人の絆は永遠に続いていたかもしれない。