「そうだ、ソウル行こう」

 メジャーリーグMLB)史上初となる韓国での公式戦開催となった、ロサンゼルス・ドジャースサンディエゴ・パドレスの開幕戦「ソウル・シリーズ」。そのチケットが売り出される直前の2024年1月下旬、僕は渡韓を思い立った。

 この頃、僕は『大谷翔平の社会学』と題した本の原稿を書いていて(2024年5月1日扶桑社新書より発売予定)、その執筆作業が大詰めに差し掛かっていた。大谷翔平という「社会現象」を通して現代社会を考える、というコンセプトで一冊の本を書こうとしていた僕にとって、執筆の仕上げに「大谷が上陸したソウルの街を取材する」というのは重要なミッションであるように思えた。

 取材といっても、野球記者として球場に出入りして、大谷本人や関係者に話を聞くわけではない。球場にはどうせ日本のメディアが大挙して押し寄せるし、彼ら彼女らと同じことをしても意味がない。僕が取材したかったのはソウルの街であり、市井の人々だ。

 日本にとって最も身近な外国であり、スポーツの世界では日本の「宿敵」にもなる韓国において、大谷翔平という日本のスーパースターはどのように受容されているのか?

 開幕戦が行われる数日前から、日本のメディア各社は「韓国でも大谷は大人気!」「韓国で大谷フィーバー!」などと報じていた。僕はそれを見て「いやいや、大袈裟な」「盛ってるでしょ」と思っていた。

 たしかに大谷は国際的なスター選手だが、韓国にも今回のソウル・シリーズに出場したキム・ハソン(パドレス)など優れた選手がいる。野球のWBCサッカーワールドカップなど、スポーツの国際試合で韓国人は自国の代表チームに熱狂し、当然ながら自国の選手たちを応援する。

 日本では大谷をはじめとする日本人選手が圧倒的な人気を誇るように、韓国では韓国人選手こそが人気なのでは? 「韓国で大谷フィーバー!」というニュースの見出しは、今や大谷の「チアリーダー」同然の日本メディアがちょっと騒ぎ過ぎているのでは?

 そんな仮説を持って、開幕戦が行われた当日の3月20日、僕はソウルへと向かった。

◆大谷ユニフォーム転売ヤー

 ソウルへと向かうその前に……

 成田国際空港で韓国の航空会社、エア・プレミアのチェックインカウンターに並んでいるとき、若い女性同士の話し声が聞こえてきた。

「大谷のユニフォーム、絶対高く売れるっしょ」
「プレミア値つくよね、絶対」
「あ、この前買った〇〇(ブランド名)のバッグは〇〇万円で売れたよ」
「マジ!韓国3回行けるじゃん、ヤバ!」

 K-POPや韓流ドラマの影響もあり、ソウルは日本人女性の間で最も人気な旅行先のひとつだが、彼女たちの中には観光客として「消費」するだけでなく、ネットせどり(あるいは転売屋)として「買い付け」をする人たちもいるらしい。

 韓国で仕入れたブランド物のバッグなどを売って儲けたお金でまた韓国へ遊びに行き、新たに仕入れた「商品」を売って得た利益でまた韓国へ遊びに行くという…… その“商魂たくましさ”に感心しながら、僕はチェックインと保安検査を済ませ、少し早めに搭乗ゲートへ向かった。

ソウル女子大生オータニは韓国でチョー有名」

 ゲート前の椅子に座って搭乗開始を待っていると、向かいの席に大学生くらいの女性が一人で座った。日本人かもしれないし、韓国人かもしれない。ふと「この人は今日、ソウルMLBの開幕戦が行われることを知っているだろうか?」という疑問が湧く。彼女がスマホの上で指を動かすのを止め、目線を上げたタイミングで声をかけた。

――日本人ですか?
女子大生「あ、いえ、韓国人です」

日本語でそう答えた彼女は、聞くとソウル在住の大学生で、東京や大阪、沖縄、青森など日本各地を旅行していたそう。英語よりも日本語が得意だと言うので、日本語で会話を続ける。

――今日、ソウルで野球の試合があるんですけど、知ってますか?
女子大生「え?野球?いや、知らないです」

――アメリカのメジャーリーグの試合があるんですよ」
女子大生「へー…… あ、オータニ?」

――そう、オータニ!オータニは知ってるんだ?」
女子大生「はい、オータニは韓国でチョー有名です。結婚しましたね。残念」

――残念?
女子大生はい。カッコいいし、背も高いし……」

――キム・ハソンは知ってますか?
女子大生「キム…… えっと、誰ですか?」

――(スマホで検索結果を見せながら)キム・ハソン。韓国人の選手です。
女子大生「あー…… いや、知らないです」

――オータニは知ってるけどキム・ハソンは知らないんだ!リュ・ヒョンジュンは?
女子大生「あ、名前は聞いたことあります」

――オータニが一番有名?
女子大生オータニは有名です。たぶん一番有名です」

 韓国人メジャーリーガーの代表格であるキム・ハソンやリュ・ヒョンジュンも知らない、野球に興味ゼロの女子大生でも大谷は知っていた!

 これはすなわち、韓国の一般的なテレビや新聞、インターネットのニュースなどに、大谷の名前が頻繁に登場するといるということだろう。野球ファンなら大谷を知っていて当然だが、そうでない人も大谷の存在を、さらには最近結婚したことまで知っているのだ。正直、韓国で大谷がここまで有名人だとは思わなかった。

 もちろん調査サンプルが「女子大生1人」では一般論に落とし込むことはできないが、その後に僕がソウルの街中で出会った人やタクシーの運転手、ホテルのスタッフなどに話を聞いても、真っ先に出てくる名前は「オータニ」だった。

 僕が日本人だから、というのもあるだろうが、それを差し引いてもソウルにおける大谷の知名度、そして人気の高さが感じられた。日本メディアの「韓国でも大谷は大人気!」はあながち間違っていなかったようだ。

◆大谷の試合よりもサッカー代表戦

 一方で、日本のメディアが好んで使っていた「韓国で大谷フィーバー!」というフレーズには違和感を覚えた。

 たしかに開幕戦の翌日は大谷の写真が現地新聞の一面を飾ったり、地下鉄車内のモニターでも今回の開幕シリーズが主要ニュースとして流れていたが、ソウルの街中で「大谷フィーバー」というような熱気は全く感じなかった。

 日本のメディアは開幕戦の数日前から、まるで韓国が「大谷一色」であるかのように報じていたが、全くそんなことはなかった。唯一「大谷フィーバー」を感じたのは試合前の球場周辺で、日本のメディアが大谷のモノマネ芸人や大谷のユニフォームを着たファンを取材している姿を見たときだった。

 つまり日本のメディアが伝える「韓国で大谷フィーバー!」は、正確には「韓国で(日本メディアが勝手に)大谷フィーバー!」だったのだ。少なくとも、僕の目にはそのように映った。

 たしかに大谷は韓国でも有名だが、そもそも野球に興味がない人はたくさんいるし、今シリーズの第2戦が行われた21日の夜には、サッカーの韓国代表対タイ代表の試合もソウルで開催された。

 当日夜、ソウル中心部の地下鉄駅構内は、サッカーのスタジアムへ向かう電車を待つ人でごった返していた。ドジャース山本由伸がデビュー戦で1回5失点KOされた頃、サッカー韓国代表2026年ワールドカップ出場に向けた重要な試合に臨むところで、僕が訪れたスポーツバーではサッカーの試合の方が大きく映し出されていた。

 ソウルで話を聞いた人々に僕は「韓国では今、野球とサッカーどっちが人気?」と尋ねたが、全員が「サッカーだと思う」と答えた。そして、そもそもスポーツ観戦に興味がない、という人も多かった。日本メディアが言う通り「韓国で大谷フィーバー!」がたとえあったとしても、それは一部のファンによる極めて局所的な盛り上がりだったはずだ。

◆「韓国で大谷を知らない人はいない」

「韓国で大谷フィーバー!」には疑問符がついたが、とはいえ大谷が韓国でも超有名人であることは間違いない。韓国発のファッションブランド「MLB KOREA」の店舗で店長として働く女性は、こう明言した。

「(韓国で)大谷を知らない人はたぶん、いないと思います」

MLB KOREA」は、MLB球団のロゴやチーム名、ユニフォームのデザインなどを現代的なストリートファッションに落とし込んだ韓国のオリジナルブランドで、若い女性を中心に人気だそう。K-POPの人気ガールズグループ、Aespaがブランドモデルを務めたり、同じく人気ガールズグループ、TWICEのメンバーが愛用していることなどが知られている。

 昨今は東京でもソウルでも、街中で「LA」や「NY」のロゴが入ったキャップなどを着用した若い男女を多く見かけるが、多くの場合、MLBは単にファッションとして消費されているのだ。「(韓国で)大谷を知らない人はたぶん、いないと思います」と言った店長もやはり「野球にもMLBにも興味はない」そうで、あくまでも仕事として、ファッションを通じてMLBに関わっているとのことだった。

 さて、本当に大谷が韓国でも「知らない人はいない」くらい有名で、かつ人気も兼ね備えているのだとしたら、その理由は単に「スーパースターだから」「世界一の野球選手だから」というものだろうか?

 韓国は日本と同様、世界的には「マイナースポーツ」である野球という競技が盛んな数少ない国のひとつであり、その競技最高のスター選手である大谷が人気なのは理解できる。また、大谷が日本人、すなわち韓国人にとって「隣人」であることも、大谷への注目度の高さに影響しているはずだ。

ソウルでの大谷人気に見る韓国人のグローバルマイン

 これは私見だが、韓国では多くの人々が、自分たちは「韓国人」であると同時に「アジア人」である、という意識を強く持っている。少なくとも、日本人以上に「アジア人」としての自覚が強いように感じる。

 韓国の外務省によると、2021年時点で約730万人の韓国人が国外で暮らしている。同年における韓国の総人口は約5174万人なので、韓国人の約7人に1人が海外で生活しているということだ。一方、日本の外務省によると2022年時点で海外在住の日本人は約130万人。総人口約1億2494万人の約1%にすぎず、韓国より遥かに「内向き」であることがデータから伺える。

 アメリカやヨーロッパでは、日本人も韓国人もまず「アジア人」として見なされる。他者の目を通して自分が「アジア人」であるという自覚が芽生え、同じアジア人は「仲間」「同志」だと感じるようになる。これは僕自身、10代の頃にアメリカで、多くの韓国人に囲まれながら暮らして体感したものだ。

◆大谷の活躍を「自分ごと」と捉えられる韓国人。その理由は?

 韓国人の多くは海外で生活しており、あるいは海外で生活した経験があり、自分たちを「アジア人」として認識している。その結果、韓国人の多くは日本人を「自分たちと同じアジア人」と見なしており、だから大谷のような日本人アスリートの活躍も「自分ごと」として喜べるという背景があるのではないか?

 韓国人に比べて海外在住者がはるかに少ない日本では、自分が「アジア人」であることにアイデンティティを見出している人が少ないように感じる。それゆえに、大谷をはじめとする日本人アスリートの活躍には熱狂するが、たとえば韓国人や他のアジア出身のアスリートが活躍しても「他人ごと」になってしまうのではないだろうか?

 個人的な話をすると、僕は先述の通りアメリカで多くの韓国人に囲まれながら暮らした経験があり、それゆえに韓国人は「仲間」「同志」だという意識がある。だから僕は、大谷をはじめとする日本人選手だけでなく、キム・ハソンなど韓国人選手の活躍も特別に嬉しく思う。本記事の冒頭で紹介した『大谷翔平の社会学』でも、韓国人メジャーリーガーに関する章を単独で設けたほどだ。

「韓国でも大谷は大人気!」という事実は多くの日本人にとって嬉しいものだが、それは韓国人の多くが国際的な環境で生きており、それ故に日本人を「仲間」「同志」と見なしているからかもしれない。K-POPや韓流ドラマなどの世界的成功を見ても、韓国人が優れたグローバル感覚を持っていることは明らかだ。ソウルの街中では東京よりもはるかに英語が通じる。

 韓国での大谷人気は、大谷という選手のスター性だけでなく、韓国人が有するグローバルマインドを表しているのではないか? まだ肌寒いソウルの街角で、そんなことを考えた。

取材・文・撮影/内野宗治

【内野宗治】
1986年東京都出身。国際基督教大学教養学部を卒業後、コンサルティング会社勤務を経て、フリーランスライターとして活動。『日刊SPA!』『月刊スラッガー』『MLB.JP(メジャーリーグ公式サイト日本語版)』など各種媒体に、MLBの取材記事などを寄稿。その後、『スポーティングニュース』日本語版の副編集長、時事通信社マレーシア支局の経済記者などを経て、現在はニールセン・スポーツ・ジャパン株式会社にてスポーツ・スポンサーシップの調査や効果測定に携わる

サッカー韓国代表の試合とMLBの開幕シリーズ、両方を同時に映すスポーツバーの店内。ソウル随一の繁華街、梨泰院(イテウォン)にて