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3月22日天皇陛下と雅子さまは輪島市内の避難所で被災者を見舞われた。ひざをついて人々の話に耳を傾けられていた /(C)JMPA

被災者を優しく見つめながら、一人ひとりの話に耳を傾けられる天皇陛下と雅子さま。3月22日、両陛下は石川県珠洲市の中学校に設置された、80人ほどが生活する避難所を訪問された。お二人はひざをついて被災者と同じ目の高さになられ、

「おけがはありませんでしたか」
「お体をお大事にしてください」

と、語りかけられていく。避難所でお見舞いを受けた深見真智子さん(74)は、両陛下への感謝を述べつつ、こう振り返る。

「雅子さまは私に避難生活についてお尋ねになりましたので、水が出ないので、洗濯をするにも週に1度、金沢市まで行かなければならないとお伝えしました。遠いところまで来てくださって、本当にありがたいです。両陛下は、いろいろと親切にお話ししてくださいました」

240人以上の死者を出し、現在も断水や厳しい冬の気候によって苦しむ、数多くの被災者を生んだ能登半島地震の被災地へ、ついに天皇陛下と雅子さまは足を運ぶことができた。

「元日に発生し、日本中に大きな衝撃が走った災害となっただけに、両陛下も強いご覚悟で準備に臨まれていたようにお見受けしています。当初から、雅子さまの“ご体調次第”という前提はなく、明確に“必ず行く”ということでご訪問の計画が立てられていったからです。

両陛下は今回、深刻な被害を出した輪島市珠洲市を訪問されました。両市では被災者が生活する避難所のほか、輪島朝市や珠洲市の飯田港の被災状況をご覧になっています。午前11時ごろに能登空港に到着され、同日夜8時過ぎに東京に向けて出発されるまで、移動とご懇談、ご視察、お見舞いと約540分の超過密スケジュールでした。

とくに雅子さまは、被災した子供たちの心身に対するケアが十分になされているのか、心配されていました」(宮内庁関係者)

2月末時点で、珠洲市の小中学校児童・生徒511人のうち半分近くが、避難所などからの登校を余儀なくされていたという推計がある。能登半島の被災地全体で、子供たちが自宅を追われ、困難な状況に置かれていたことに、雅子さまは心を痛められてきた。

■バスのお席にも配慮されたご訪問

前出・宮内庁関係者は、

「こうした窮状を知った雅子さまは、何としても被災地を訪れ、子供たちを抱きしめるように励まし、希望を与えたいというお気持ちを強められていたようです」

そして、珠洲市の避難所でのお見舞いで、陛下と雅子さまは2人の姉妹にお声がけされていた。姉のAさん(18)は、4月から大学生に。地震が起きた元日は受験の直前だった。

「受験期間と震災が重なったことに、雅子さまは『大変でしたね』とおっしゃってくださいました。『大学では何を学ぶのですか』と質問されたので、関西にある大学の経済学部に進みますとお伝えすると、『がんばってください』と励ましていただきました。陛下も、『大学生活、楽しみですね』と言ってくださり、とてもうれしい気持ちになりました」

隣にいた妹のSさん(6)は、春から小学校に入学する。

「雅子さまに、『学校は楽しみですか』と聞かれたので、“はい”と答えました」(Sさん)

慈しみに満ちた会話に、陛下や周囲の人々もふと顔がほころんだにちがいない。輪島市珠洲市を巡られた“540分”で、雅子さまも一段とご決意を固められたようだと、皇室担当記者は語る。

「両陛下は、東日本大震災の被災3県から、中高生を東宮御所に招かれ、交流を長らく続けられていました。また陛下のご即位に際しても、子供の貧困に関する基金などに寄付されるなど、厳しい立場にある子供たちに寄り添うご活動を続けられています。

日帰りでのご訪問でしたが、現地での子供たちとの交流で、雅子さまご自身も、いっそう子供たちへの支援を強化するご決意を固められたのではないでしょうか」

“被災地の活動に迷惑をかけない”という両陛下の方針もあり、日帰りで2市のご訪問だったが、道中で出会われる一人ひとりにお気持ちを伝えようと、細部にも工夫を凝らされていた。

「両陛下はマイクロバス輪島市珠洲市の街中を移動されましたが、沿道に集まった人々から見えやすい位置に、逐一座席の位置を変えながらお手を振られていたのです。こうしたこまやかなご配慮のほかにも、ほぼ全域が焼失してしまった輪島朝市に足を運ばれたことに、今回の象徴的な意味を込められているように感じました。

能登半島は伝統的に農林水産業をなりわいとする人々が多く、朝市は地域の人々が集い、全国的にも知られた場所です。輪島朝市へのご訪問を通じて、“石川県民に寄り添う”というお気持ちを、明確に示されたかったようにお見受けしています」(前出・皇室担当記者)

子供たちをほほ笑みで抱きしめられるかのようなご慰問。すべての石川県民へのエールを送られた天皇陛下と雅子さまのご慈愛は、悲しみの大地を癒し、明日へ向かう力をもたらした――。