若き日にヨーロッパ中を走りまわったルノー5が崖下へ…… 【ドラマチックな愛車との別れ 石橋 寛編】

この記事をまとめると

■筆者が体験した廃車エピソードを紹介

モナコへF1観戦に行った際に谷底へ車ごと落ちてしまった

■その後の修理費の折り合いがつかず泣く泣く廃車にせざるを得なかった

ドイツ留学時代に欧州サーキットを巡ったルノー5アルピーヌ

 大好きだったクルマを廃車にしてしまった経験、残念ながら一度だけあります。すでに40年近く前の出来事ですが、とても悲しかったこと、心から後悔したことはいまでも心の奥底に残っています。もっとも、そのクルマを思い出せば独特の乗り心地や、痛快なエンジンレスポンスも同時によみがえるもの。時間の経過とともに悲しみは和らぎ、いまでは「同じクルマがあったら、また乗ろうかな」などと前向きな気持ちもないわけでもありません。

 筆者はドイツに留学していたのですが、裏口入学した大学はサボってばかりいました。勉強がイヤだったというより、F1やスポーツカーレースを観てまわりたかったわけで、毎週末ドイツ国内はもとより、フランスベルギー、あるいはイタリアまで出かけていたのです。

 最初のうちは学生向けのユーロパスで電車を乗り継いでいたのですが、ヨーロッパでもサーキットというのはたいてい交通不便。で、地元のガソリンスタンドで売りに出ていたミニ1000をおよそ20万円弱で手に入れたのですが、吸気系パーツが純正でなかったため、最高速は100km/h程度というポンコツ。ご想像のとおり、アウトバーンでは使い物にならなかったのです。ちなみに真冬のアウトバーンを走っていたらエアクリーナーのなかが凍結してエンスト、まさに死ぬかと思った瞬間でした。

ドイツのアウトバーンの風景

 で、ポンコツをクラスメイトのボンクラに高値で売りさばくと、次はちゃんとしたクルマ屋で探しました。ドイツなのにフランス人のババアが店番をしていて、30万円ほどの予算を伝えると「あんた、ラッキーよ! ちょうどいいのがあるんだわさ」と満面の笑み。これ、後々のトラブルフラグでもなく、珍しいことにホントにいいクルマだったのです。

 近所のガレージまでババアと一緒に歩いていくと、シャッターの前にちんまりと止まっていたのは真っ白なルノー5アルピーヌでした。1976年デビューですから、その当時で10年落ちくらいでしたか。で、ババアがやにわにバッテリージャンピングケーブルをつないでエンジンをかけると、なんだか調子の良さそうな音。

 運転席に腰かけると、バケット風のシートが座り心地いいこと! ババアを助手席に乗せて、ガレージの近くを試乗した際「ガス! ガス! ガス!」と煽られまくったこと、いまでも忘れられません。なんのことはない、中途半端な回転数だと調子悪かったのでしょうね。

ルノー5 アルピーヌの走行写真

 それでも、ミニと違って最高速も180km/h以上でしたから、ずいぶんと役に立ってくれました。フワフワとしたピッチングも少なくないのに、肝心な場面では腰砕けにならない足まわりや、セッティングの出てなさそうなウェーバーのキャブでも吹けてくれるOHVエンジンなど、大いに気に入っていたのです。

ルノー5 アルピーヌのエンジンルーム

眠気に襲われ気がついたら急カーブ!

 さて、廃車事件はフランスのニース、名もなき山中で起きました。学校の友人と連れ立って、モナコGPを観戦に出かけた際のことです。ご存じのとおり、グランプリウィークモナコはノミがいるような安宿でもバカ高で、しかも満室。筆者たちはモナコから1時間弱のニース山中に宿をとったのですが、いまと違ってナビもありませんし、ミシュランの地図もおおざっぱ(笑)で、迷いに迷って到着したのは夜の10時も過ぎるころでヘロヘロとなっていたのです。

夕暮れのニース市内

 が、民宿のマダムは「コックが帰っちゃったから、腹減ってるならこの先のビストロ行きな」とクールな対応。仕方なく、そこからさらに30分ほど山奥に進んだ食堂へと向かったのです。ところが、クールに見えたマダムでしたが、あらかじめ連絡をしていてくれたようで、食堂では大歓迎を受けたのです。コックのジジイは初めて日本人に会ったとかで、ステーキだのエビだの大盤振る舞いの大サービス。腹パンになっただけでなく、旅先のあたたかな情にふれたことで筆者は涙が出るほど感動していたのです。

 ですが、感動の次にくるものといえば睡魔、眠気にほかなりません。若いといってもドイツからぶっ通しで南仏までドライブしてきたのですから、食堂を出てクルマに乗るやいなや友人たちは高いびき。筆者も最初のうちこそ真っ暗な山道を真剣に走っていたのですが、どうしようもない眠気に襲われていました。うつらうつら、フラフラカーブをこなしていった次の瞬間、目に入ったのは「直角カーブ注意」的な標識だったと思います。

ヨーロッパの山道

 ですが、気づいたときにはガードレールもなにもない谷側へまっしぐら。「ヤバイ! ガソリンタンクはリヤエンドだったっけ」と思う間もなくフロントから着地。映画みたいな爆発を心配したのですが、さほどの勢いもなかったのでしょう。それでもブレーキは役に立たず、ごつごつした岩の多い急斜面をまあまあな勢いで落ちていったのでした。

 そしてルノー5アルピーヌは崖の下にふんわりたどりつくと、スローモーションのように前転。さかさまになった状態で止まったのです。その瞬間、筆者をふくめて全員が大爆笑。誰ひとりケガを負うこともありませんでしたが、命からがらの転落だったにも関わらず、あんなに笑ったというのは不思議でなりません。こういうのを若気の至りというのかもしれませんね。

 転落現場から1時間ほど歩いて宿に帰りつくと、さすがにマダムは「どこ行ってたのよ」と鬼の形相。筆者が得意のフランス語で(ウソです)事の次第を告げると「あそこは地元のバカがよく事故る」とあきれ顔を浮かべられてしまいました。

 その後、保険会社と相談した結果、クレーンで持ち上げる費用に対して車両の査定額が見合わないという理由から泣く泣く廃車にすることに。翌日のグランプリを観戦した後で、筆者がクルマのもとへ行ってみるとアルパインのカーオーディオ一式がまるごと盗まれていたというオチもつきました。

 後にも先にも廃車はこれ一度きりですが、どんな理由だろうと切ないことには変わりありません。こうして公にさらすことで、笑い話へ変えられるのが救いといえば救いです。

若き日にヨーロッパ中を走りまわったルノー5が崖下へ…… 【ドラマチックな愛車との別れ 石橋 寛編】