BMW第2の「ノイエ・クラッセ」は電気自動車で! 始祖となる「1500」の大ヒットに「ノイエ・クラッセX」はあやかることができるか!?

BMWノイエ・クラッセの過去と現在、そして未来

「新しいクラス」を意味する「ノイエ・クラッセ(Neue Klasse)」。BMWにとってこの名を冠したクルマの大成功が、BMWだけでなく世界のサルーンに計り知れないほどの大きな影響をもたらしました。そんなノイエ・クラッセの歴史を振り返りながら、未来に向かうこのクルマについて解説していきます。

BMWの救世主! 元祖ノイエ・クラッセとは?

「ノイエ・クラッセ(Neue Klasse)」。このドイツ語の言葉をそのまま和訳すれば「新しいクラス」となる。しかし、BMWの世界では一台の歴史的名車、そして次世代を占うコンセプトカーのことを指して使われる言葉となる。

1961年フランクフルト・ショーに元祖ノイエ・クラッセ「1500」が登場するまでのBMWは、まさに「新しいクラス」、そして新しい価値を求める苦悩の真っ只中にあった。しかし、そののち訪れたノイエ・クラッセの大成功が、結果的にはBMWに、あるいは世界のサルーンに計り知れないほどの大きな影響をもたらすことになったのは、現代では周知の事実。同時代の常識を凌駕する高性能と、ドイツ製の面目躍如となる素晴らしい品質で、当時のセダンのグローバルスタンダードを大幅に引き上げたのである。

第二次世界大戦が、未曾有の悲劇とともに終結して間もない頃。西側に残ったBMW社は、戦争の惨禍とその後の経済危機によって貧困に喘いでいた欧州の経済状況を顧みない、ある意味無謀とも取れるような高級化路線を推し進めていた。そして501/502-V8などの高級サルーンを次々と送り出して、手痛い失敗を喫してしまう。

さらに、この失地を回復せんとばかりに打ち出した高級スポーツカー503/507の営業的失敗がBMWの台所事情に重大な打撃を与えていたのは、1500リムジーネ登場のわずか数年前、1950年代末頃のことであった。このとき会社は破綻一歩手前と見られ、西ドイツ政府主導でダイムラーベンツ社との吸収合併計画も進められていたという。

ここで登場するのが、現在もなおBMW社の筆頭株主であるクヴァント家。その資金援助を得たBMWは、イセッタ系と同じく二輪車フラットツインを搭載したスタイリッシュな小型車「700」をヒットさせ、ようやく復活の兆しを見せ始めることになる。そして、BMW首脳陣が次なる手立てとしたのが、革新的な中型セダン「1500」だった。

BMWノイエ・クラッセの歴史と未来の解説

ホフマイスターキンクの開祖

1500では開発段階から「ノイエ・クラッセ」をキーワードとし、確たる姿勢をうかがわせた。これは、従来同じカテゴリーで製作されたいかなるサルーンと比較しても、走行性能や操縦性、快適性、さらには安全性に至るまで遥かに上回っているため、もはや新しいクラス別けが必要との姿勢をアピールしたキャッチコピーだった。

しかも、彼らの自信に満ち溢れたコミットメントは、1960年代初頭の自動車業界の技術レベルにおいては、すべて真実と認めざるを得ないものであった。

ノーズを低めるとともに整備性の向上のため30度左傾された新設計の水冷直列4気筒エンジンは、軽合金製SOHCヘッドで燃焼効率の高いクロスフローを実現。ベースモデルの低いチューンでも80psの最高出力を達成していた。

くわえて、この高性能エンジンをフロントに左傾して搭載、リアを駆動するというレイアウト。あるいは前:マクファーソン・ストラット/後:セミ・トレーリングアームの4輪独立サスペンション。高剛性のモノコックボディなどの基幹技術は、21世紀を迎えた現代のクルマとしても、なんらの言い訳も無く通用するもの。さらには、今なおBMW各モデルのCピラーに設けられているデザインアイコン「ホフマイスターキンク」も、開祖は1500だった。

こうして1962年10月からデリバリーが開始された元祖ノイエ・クラッセは、BMWの期待に応えて同社始まって以来の大ヒットとなったのだ。

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