三十代以上の人なら、どこかで目にしたことがあるだろう。講談社などの本や雑誌に、かならずはさまっていたハガキ。イラストコンテスト、だとか言って、下半分に絵を画いて送るだけのもの。あれが無くなって、今年でちょうど十年。

当時、けっこう「詐欺」だ何だとも言われた。いっぺん出したら最後、家まで押しかけてくるほど勧誘が熱烈で、才能があるのにもったいない、と、おだててのせて、百万円を越えるような通信教育コースに申し込ませ、カネが無ければローンまで組ませる。やめようとすると、法外な退学金(「中途退学時清算金」)を取られる。それで裁判沙汰にもなっている。たしかに、ひどい。だが、内容までひどかったのか?

Famous Artists School は、日本のKFSが言うとおり、米国生まれだ。1901年創設のニューヨーク・イラストレーター協会が母体。その辣腕会長アルバート・ドルンが、1948年、通信教育を企画。それで新たにできたのが、この「会社」。著名なイラストレーター、ノーマンロックウェルほか、一流のプロ12人が集結して、通信教育のためのカリキュラムや教科書を整備。当初は、イラストとデザインの2コース。おおよそ三年で「修了」する24課から構成され、教科書を読み、課題を作成して提出、これをプロが個別指導。合格すると、次の課に進む。

その後、絵画や漫画のコースも整えられ、また、60年代には、作家学校と写真学校もできた。通信教育のメリットを生かして、英語ながら、海外からも受講が可能。とはいえ、あくまで個人の個別指導なので、最盛期でも全部の学校、全部のコースを合わせても、せいぜい五万人規模。この Famous School が確立した教育指導ノウハウを1968年に日本の講談社の社長、野間省一が買って作ったのが、「講談社フェーマススクールズ」。その最盛期には、日本だけで一万四千人もの受講生を抱えた。

時代背景がわからないと、理解しがたいかもしれない。20世紀、1907年に開発されたT型フォードを嚆矢として、大衆による大衆のための大量生産社会が到来。工員や兵士を仕立てるために、初等義務教育が普及し、大戦直前の40年代にもなると、識字率も劇的に向上。といっても、広範な文化教養が事前に必要なハイカルチャーの文学芸術になんか親しめるわけがない。彼らが暇つぶしに好んだのが、いわゆるパルプフィクションやコミック雑誌。とくにミステリやSFは、作品内で設定が完結しているので、教養がいらない。

そして、戦後は、これらに商品紹介雑誌が加わった。戦争で男性が戦場に駆り出されたために、女性たちも仕事に就くことが多くなり、軍隊や職場での交流で、自分たちの知らなかった生活様式や新商品の話題が広まる。硬派の文芸書や専門書の出版社とはべつに、大衆向けの娯楽雑誌社が一気に隆盛。そして、短編小説のイメージ、モダンな生活や商品を「説明」するために、イラストがここで大量に必要になった。

ところが、イラストレーターがいない。もちろん戦前から美術学校はあった。だが、それらは伝統的なアカデミックな絵画や彫刻の製作を教えるところで、建築やデザインですら埒外だった。だから、セルフメイドのイラストレーターは、大量印刷される雑誌とともに、各種製造メーカーのポスターでの広告宣伝などのために、引っ張りだこで、とてつもない金額を稼ぎ出した。自分たちがいくらがんばっても膨大な仕事の需要に追いつかず、むしろそのノウハウを後進たちにも教えて、業界全体をさらに押し上げることが求められ、娯楽雑誌社もそれを望んでいた。「アーティスト人生がきみのものに! 魅力的でカネになるぞ!」、ノーマンロックウェル本人が顔を出して、そう広告した。

しかし、状況が変わってきたのは、70年代だ。テレビが出現し、娯楽小説はドラマに、広告宣伝はCMになっていく。雑誌も大衆向けは写真やコミックが中心になり、ミステリやSFも高尚な長編に人気がシフト。「説明」のためのイラストは需要が急減して、せいぜいページの息抜きに、空白に描き入れられるようなものしか残らない。通信教育の Famous School も、出口を塞がれ、コースを「修了」してもプロになれないじゃないか、と不満続出。それで、ほかの事業まで手を拡げて、1972年にはもう「会社」として倒産してしまっている。

日本でも、事情は大差なく、戦後の説明的イラストがダメになった時期にKFSは規模を拡大してしまった。ところが、ここに、喰えないプロの絵描きたちが流れ込んだ。美術学校などで本格的な絵画を学んだものの、マンガなどの大衆文化の隆盛で、一部の有名作家を除いて,富士山に水車小屋、というような均一凡庸なものを大衆デパートのトイレ前の暗い階段で売るような状況。しかし、米国システムをそのまま導入したKFSは、彼らにケタはずれの指導料を出してくれた。

もっとも、甘くはない。それこそ米国で喰い詰めたプロの元有名アーティストがやってきて、まずインストラクターたちを徹底指導。生ぬるかった日本の美術学校をはるかに越える商業水準の作品作りを教え込まれる。つまり、まずインストラクター自身が受講者と同じ課題にチャレンジして、これにつねに合格していかないと、仕事も、次年度の契約更新も無い。それゆえ、KFSは、日本人インストラクターたち自身が、自分の技術、自分の情熱を根本から見直すボイラーになった。

半端に例のイラストコンテストに応募してみただけの人々からすれば、面食らっただろう。一言でいって、一種のカルト集団に近い。アートなんか、高いカネを払って学んで喰えるのか。そう疑問に思ったのも当然だっただろう。実際、当時は喰えない連中の集まりだったのだから。だが、インストラクターたちは、これに自分たち自身を賭けていた。カリキュラムも教科書も、これでもかというくらい、磨き抜かれている。そして、そのことを自分自身に納得させるかのように、受講生たちに長文の講評を書いて、彼らを心から励ました。

きちんと修了できた受講生がどれだけいたか、いまとなってはもうわからない。課題もプロ志向の、かなり高度なものだったので、インストラクターの心からの励ましにもかかわらず、大半は挫折し、詐欺だ、カネ返せ、と恨んだ。だが、その後、時代はまた代わり、絵本をはじめとして、いまや世界的に一大イラストブーム。イラストが単体で作品として画廊に並び、高額で取引される。そのプロたちの中には、元インストラクターや、最後までがんばった「卒業生」は、意外に多い。

資格にも何にもならない「学校」。ただ、自分の技術向上、目的発見のために、遠く郵便のみでインストラクターと受講生がたがいに励まし合うような場所。もう終わって無くなった情熱かもしれない。だが、その磨き抜かれたカリキュラム教科書は、デジタル時代になっても、古びていない。


純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン

講談社フェーマススクールズ(KFS)の熱量