◆「大谷がギャンブルをしていたんじゃないか?」

 3月21日、日本とアメリカ球界に衝撃が走った。大谷翔平の専属通訳を務める水原一平氏が、違法賭博に関与した疑いでロサンゼルス・ドジャースを解雇されたと報じられたのだ。

 まさに寝耳に水、あまりに突然のショッキングなニュースだった。

 当日、僕は韓国の首都ソウルにいて、地下鉄の車内でニュースを目にした。その日の夜、ソウル市内の繁華街にあるスポーツバーで、前日に知り合ったアメリカ人男性と日本人女性のカップルと一緒に、ドジャースサンディエゴ・パドレスの開幕シリーズ第2戦を店内のスクリーンで見ていた。

 試合を見ながら、僕は大谷と水原氏を巡るニュースについて、一緒にいたアメリカ人男性に話を振った。すると、熱心なパドレスファンであり、現在は日本に暮らしている彼はこう言った。

「大谷がギャンブルをしていたんじゃないか? 通訳が一体、どうやって何百万ドルという大金を選手の口座から持ち出せるんだ? ありえない」

「大谷は今や球界の顔だから、もし大谷が何かやらかしたら、ドジャースMLBも彼を何としても守るだろう」

 彼の仮説は、今や超スーパースターである大谷がプライベートで犯した過ちを球界が世間から隠すため、大谷の側近である水原氏が罪をかぶったのではないか、というものだった。つまり、大谷を守るために水原氏が生贄になった……と。

 この信じられないような推測を聞いた僕はしかし「そんなことはありえない」と一蹴することはできなかった。彼が口にした「通訳が一体、どうやって何百万ドルという大金を選手の口座から持ち出せるんだ?」という疑問は確かに、真っ当な考えであるように思えたからだ。

◆野球選手の通訳という仕事

 だが、大谷にとって水原氏が単なる「通訳」以上の存在だったことは、日本でもよく知られている。水原氏はグラウンド内でのサポートはもちろん、グラウンド外でも大谷のアメリカ生活を全面的に支えていた。

 僕は日本人メジャーリーガーの通訳経験者を何人か知っているが、彼らはいずれも「通訳は仕事の一部。身の回りの世話や家族のケア、日々の雑用まで何でもやる」と言っていた。「日本人メジャーリーガーの通訳」という仕事は単なる「通訳」ではなく、ほぼ24時間体制で選手の生活をサポートするマネージャーのような仕事なのだ。ある通訳経験者は、野球選手の通訳という仕事を端的に「パシリ」と表現した。

 要するに、選手がやれと言うことは何でもやる、ということだ。

 こうした選手と通訳の関係はおそらく、多くのアメリカ人には理解できないものだろう。ジョブ・ディスクリプション(業務範囲)を明確にして雇用契約を結ぶ、いわゆる「ジョブ型雇用」が一般的なアメリカでは、通訳はあくまでも「通訳」であり、求められるのは「語学のプロフェッショナル」としての役割だ。

 プロフェッショナルだから当然、その仕事に対して十分なリスペクトを受けるべきだし、選手の「パシリ」なんて論外だ。選手も通訳もお互いプロフェッショナルとして、対等な関係で仕事をする。

 これはもちろん理想論で、実際にはアメリカでも通訳が「パシリ」になる場面もゼロではないだろう。日本人メジャーリーガーの通訳だけでなく、日本球界で外国人選手の通訳も経験したある人物は、やはり外国人選手の「パシリ」同然だったという。

 しかし、大谷と水原氏が体現していたような日本人選手と通訳の関係は、おそらくアメリカ人から見て度を超えている。親密な関係と言えば聞こえは良いが、良くも悪くも距離が近すぎるのだ。

◆「家族以上」の存在

 水原氏は以前、アメリカのスポーツ専門サイト「ジ・アスレチック」の取材に対し、大谷と過ごす時間は自分の妻と過ごす時間よりも長く、大谷と離れているのは彼がマウンドやバッターボックスにいるときだけ、と語っていた。まさに「家族以上」の存在であり、これではお互いのプライバシーなどあってないようなものだ。

 家庭内では銀行口座を共有したり、生活費を共にすることが一般的であることを考えれば、「家族以上」の関係だった大谷と水原氏の間で同じようなことが起きていたとしても不思議ではない。大谷がパブリックイメージの通り「お金に無頓着な人」なら、なおさらだろう。

 もし水原氏を単なる「通訳」として捉えたら、確かに「通訳が一体、どうやって何百万ドルという大金を選手の口座から持ち出せるんだ?」という疑問が生まれるが、水原氏を大谷の「家族(以上)」と見なしたら話が変わってくる。夫の稼いだお金がそのまま妻のお金になるように、大谷の稼いだお金が水原氏のお金にもなっていたのかもしれない。

 もちろん、仮に大谷がお金の管理を水原氏に丸投げしていたとしても、日本円にして6億円を超える大金に第三者が果たしてアクセスできるのか、というテクニカルな疑問は残る。その点はアメリカのメディアも不可解に思っているようだが、今後さらに情報が出てくるだろう。

◆身近なギャンブル依存症の知人

 あれほど「イイ人」に見えた水原氏が、大谷をはじめとする身近な人たちに対して何度も「嘘」を重ねて、やがて破滅した。多くの人が「信じられない」と思ったかもしれないが、個人的には「まあ、そういうこともあるだろうな」と、意外にもすんなり納得できた。

 というのも、僕の身近にも、ギャンブル依存症を患っている知人がいるからだ。しかも彼は、水原氏と極めて近しい仕事をしていた。

 その知人は誰に対しても人当たりの良い「イイ人」で、仕事の実績や社会的ステータスもあり、僕も随分とお世話になってきた。しかし彼は、ギャンブルの誘惑を前にすると、家族や友人、仕事仲間などありとあらゆる人に嘘とデタラメを並べ立て、やがて都合が悪くなると音信不通になってしまう……ということを繰り返す困った人だった。

 僕自身、彼に嘘をつかれて、自分が稼いだお金を(大した金額ではなかったが)使い込まれたことがある。僕は彼を完全に信頼していて、まさかそんなことになるなんて思ってもいなかった。

 自分の過ちを正直に告白し、使い込んだお金も後日返済してくれた彼とは、その後も友人として付き合っている。いや、付き合っていた、と過去形にするべきか。約半年前から彼は音信不通になっており、メールもLINEも返ってこない。彼と付き合いのある共通の知人たちも「〇〇さんと連絡が取れない」と嘆いている。

◆ギャンブル依存症を患っている人は「人を騙すのが天才的に上手い」

 さて、大谷――。

 水原氏の一件について、大谷がつい最近まで「何も知らなかった」というのは本当だろう、と僕は思った。先述した知人を見る限り、ギャンブル依存症を患っている人は「人を騙すのが天才的に上手い」のだ。いや、最終的にバレてしまっては「上手い」とは言えないかもしれないが、あの手この手の口八丁手八丁で何とか取り繕い、必要なお金を工面する。ギャンブル依存症は人を詐欺師にする。

 ギャンブル依存症はれっきとした「病気」であり、しかも数ある依存症の中で治療がもっとも困難とも言われる。しかし、パチスロ店が街中に溢れる「カジュアルなギャンブル大国」日本では、臭いものに蓋をするかの如く、依存症患者やその家族らの苦しみが放置されているようにも感じる。

 たとえば、外国人向けのカジノが一大産業となっているシンガポールでは、自国民がカジノに出入りすることを厳しく制限している。自己破産者や生活保護受給者をはじめ、家族からの依頼があった者も入場できない。人口わずか約550万人でありながら世界屈指の国際競争力を誇るシンガポールは、自国民がギャンブルで身を滅ぼすことのないよう守っているのだ。

 水原氏を巡る一連の騒動は、僕ら日本人が「ギャンブル依存症」という病気について学び、理解を深める良い機会になり得る。少なくとも大きな社会的影響力を持つマスメディアには、今回の一件を単なる「スター選手のゴシップ」として報じるのではなく、ギャンブル依存症を社会問題として取り上げる義務がある。

 今回の騒動は大谷の「クリーン」なイメージに傷をつけたが、大谷でなければこれほど大きくは報じられなかっただろう。

◆「ロボット」呼ばわりされていた大谷

 これまで記者会見の場などであまり多くを語らない大谷は、アメリカの記者から「ロボット」呼ばわりされることもあった。今回の一件は、大谷が「ロボット」ではなく、自分の言葉を持ってファンやメディアと対話することができると示す良い機会かもしれない。

 大谷は3月26日に記者会見を開き、渦中の騒動について11分に及ぶ声明を発表したものの、記者からの質問を受け付けなかった。まだ安易にコメントできる状況ではないからだろうが、大谷からの一方的な声明に対しては、コミュニケーションの透明性と双方向性を重視するアメリカのメディアから批判の声も上がった。

◆「アメリカでも尊敬される社会のロールモデル」になってほしい

 個人的な考えを述べると、大谷には今回の一件をバネにして今後、単なる「世界最高の野球選手」ではなく「アメリカでも尊敬される社会のロールモデル」になってほしい。たとえば大谷が今後、ギャンブル依存症患者とその家族を支援するチャリティ活動でも始めたら、アメリカのメディアは絶賛するだろう。

 もちろん大谷の本業は野球であり、一番は野球で結果を残すことだ。また、もし大谷が会見で語った内容が真実なら、彼は大規模な詐欺の被害者だ。10年7億ドル(約1015億円)という超巨大契約の1年目が始まった直後、ただでさえプレッシャーのかかる時期に信頼する人間に裏切られ、さらに日米のメディアに追い回されている彼の心労は計り知れない。今はとてもチャリティ活動なんて考えられる状況ではないだろう。

 それでも今後、大谷がまずはフィールド上で活躍し、その上で自身の体験を活かした何らかの社会的な活動を始めることを、個人的には勝手に期待してしまう。アメリカの一流アスリートは、優れた競技者であるだけでなく社会のロールモデルであることを求められる。だから多くの選手は、貧困や教育、医療などの社会問題にそれぞれのやり方でコミットする。

 繰り返しになるが今、この状況で大谷に多くを求めるのは酷だ。まずは新しいシーズン、なるべく余計なストレスがない状態でプレーできることが第一だ。その上で今後、大谷が今回の一件をバネにしてこれまで以上に社会のロールモデルとなり得るという可能性は、せめてもの救いではないだろうか。10年契約の1年目がたった今、始まったばかりなのだ。

取材・文・撮影/内野宗治

【内野宗治】
’86年、東京都出身。国際基督教大学教養学部を卒業後、コンサルティング会社勤務を経て、フリーランスライターとして活動。『日刊SPA!』『月刊スラッガー』『MLB.JP(メジャーリーグ公式サイト日本語版)』など各種媒体に、MLBの取材記事などを寄稿。その後、『スポーティングニュース』日本語版の副編集長、時事通信社マレーシア支局の経済記者などを経て、現在はニールセン・スポーツ・ジャパン株式会社にてスポーツ・スポンサーシップの調査や効果測定に携わる。4月末初の著書『大谷翔平の社会学』(扶桑社新書)を上梓

3月20日、ソウルのスポーツバーで放映されたドジャース対パドレスの開幕戦。大谷の過去成績を表示する韓国の放送局(筆者撮影)