‘21年4月にSKE48から卒業し、現在はラジオや舞台を中心に活動している女優・高柳明音が、‘24年3月29日に芸能デビューから15周年の節目を迎えた。15年前のこの日、SKE48の第2期生オーディションに合格し、アイドル活動から芸能生活をスタートした高柳。憧れの世界に身を置いたが、これまでの月日は全てが順風満帆ではなかったという。
今回のインタビューでは今だから話せるSKE48時代の悩みや、アイドルを卒業するという決断に至った経緯、一人の女優として活動するようになってからの気づきなど、赤裸々に語ってもらった。

◆うちに秘めた“アイドル”への憧れ

――芸能デビュー15周年おめでとうございます。お会いするのは一年ぶりですが、何か変化はありましたか?

高柳明音(以下、高柳):何も変わっていないですよ。でも今年は15周年なので、むしろ何か変わればいいなって思っているぐらい。例えば仕事も昨年は一年の間で6本舞台に出演して、自分のレギュラーラジオをやりつつ、趣味のラーメンや鳥、カメラのお仕事をいただいています。ここ2、3年はその繰り返しなので、何が変わったと言われても本当にないです。年齢だけ重ねた(笑)。

――語弊があるかもですが、お変わりなくてよかったです。さて今年は15周年ということで、これまでの振り返りをしたいと思います。人生のほぼ半分を芸能活動で過ごされてきましたが、高柳さん自身はもともと芸能界に興味があったのでしょうか?

高柳:ずっと芸能界でのお仕事には興味がありました。小学生のときにモーニング娘。さんを好きになって、それから中学生になってもずっと好きでした。でも周りに言えない時期があって……。うろ覚えなんですけど、親戚の家で将来はアイドルになりたいみたいなことを家族に話したら、「何バカなこと言ってんのよ!」みたいな感じであしらわれて。それから誰にも言うことなく、実はアイドルが好きという学生時代を過ごしてきました。だから、まさか本当になれるとは家族は思ってなかったみたいです。

――SKE48AKB48の地方展開第一弾のグループですが、そオーディションの開催をどこで知りましたか?オーディション受けようと思ったきっかけは?

高柳: 当時、SKE48のレギュラー番組が名古屋で放送していて、その番組終わりに2期生募集の告知が出てました。SKE48のことは正直それまで知らなかったし、AKB48も“ヲタクの聖地”秋葉原という場所のアイドルみたいな、ふわっとした存在でしか知りませんでした。
でも、オーディションがあると知ったときに「(アイドルに)なれる!」と思ったんです。今までアイドルになれるきっかけがなかったので、雑誌とかでオーディション情報を追ったこともなかったですし。なので「最初で最後かも!」と思って応募を決めました!

◆進学か?アイドルか?

――地元にアイドルグループができるって、すごいチャンスですよね。

高柳:あの時代って、アイドルにもう一度火がつくタイミングのちょっと前だったので、周りにも「アイドルになりたい」とは全く言わなかったし、言えなかったですね。だから、唯一オーディションを受けるときの紙に親の名前が必要だったから、お母ちゃんには言わざるを得なくて。「受けたいから署名だけして」と言って。後で聞いたら、どうせ受からないと思っていたらしいです。私は絶対に受かると思って送りましたけど。で、実際に受かってしまったから、めっちゃ戸惑ってましたね(笑)。

――確か高柳さんがデビューしたのは高校生の頃でしたよね?

高柳:そうですね。高校2年生の冬がオーディションで、合格発表が高2の終り頃でしたね。

――ということは進路を考えるタイミングでアイドルの仕事が決まったんですね。

高柳:「決まったな!こっちだ!」ってなりましたね。親から行くなら大学はダメ、専門学校ならいいと言われていたんです。どうせ大学に行っても遊ぶだけだから、ちゃんと仕事に繋がりそうな専門学校という考えがあったみたいで。だったら、アイドルと同じくらい料理が好きだったので、料理の専門学校に行こうかなと言ったら「それだったらいいよ」って言われてました。でも、まだどこに行きたいとか全然決めてなくて。もし専門学校もダメだったら、私はもう手に職がなかったかもしれないから……。だから本当にちょうどいいタイミングにオーディションがあって、自分の進路も決まったのでよかったです。

◆憧れと現実

――実際に憧れのアイドルになれて当時はどんな心境でしたか?

高柳:そうですねー。芸能活動と言っても地元のイベントに出るぐらいで、まだCDデビューもしてなかったですし、テレビにも映ることもすぐにはなかったので、「芸能人になった」「アイドルになった」みたいな感覚は最初は全然なかったです。公演やコンサートが始まるまで1〜2ヶ月間あって、ずっと練習するだけの時間が続きました。習い事に通ってるみたいな感じでしたね。毎日学校が終わって、レッスン場に向かっての繰り返しだったので。でも、ちょっとずつお客さんと会う場所が増えたり、劇場公演が始まったり、選抜メンバーに選んでもらって歌番組に出るようになってから、本当にアイドルしているんだって実感できるようになりました。

――思い描いていた理想と現実とのギャップもありましたか?

高柳:ギャップはずっとありました。私が唯一見ていたアイドルがモーニング娘。さんで、幼い頃からテレビで見ていたので、アイドルってテレビで見るか、コンサートに行かないと会えないと思っていたんです。でも、いざなってみたら「ファンの人とめちゃくちゃ会うじゃん!」って。なんなら先輩がもうファンの人を名前で呼んでて、「今日、誰々さんが来てさ」とか「あの人ね……」みたいな会話をされてて、最初は衝撃的でした。48グループが「会いに行けるアイドル」というコンセプトで、距離の近さを売りにしてることを知らずに私は入ってきたので。本当にギャップだらけでしたね。

――知らずに飛び込んでみたら握手会?選抜?って驚きの連続だったんですね。

高柳:本当に何もかもが新鮮でした。握手会があって、ファンの人との距離が本当に近いということをいろんなメディアを通して今は知られているけど、あのときは全然知られてなくて。それに48グループといったらシングルの選抜メンバーがあるじゃないですか?
あのときは選抜総選挙があって、「そのメンバーをファン投票で決めるって何!?」ってなって。本当に知らないことの連続でした。でも、今思えばあの世界観が確立されていく時代を過ごしてたんですよね。

◆「もし生まれ変われるなら固定人数グループに入りたい」

――高柳さんの世代が作り上げてきたというところがすごくありますよね。その後、3期生、4期生と後輩も増えてくるわけですが、グループが大所帯になっていく中での悩みはありましたか?

高柳:もう悩みしかなかったです。SKE48もまだできて4年、5年なのに、どんどん新しい子が入ってきて、もう世代交代とか言われ始めて。「何をおっしゃいますか!こちらはまだ世代も何も来ていませんけど?」ってくらいの感じだったので、若い子がいろんなものに選ばれるようになったときはちょっと複雑でした。若い子が新しいことに挑戦するときに、先輩がサポートするって今見たら分かるんですけど、子供のときってそういうことを知らなくて。

アイドルが“アイドル”というものを楽しみたいのに、誰かのサポートをしたり、誰かが前に行くのを見守ってあげたり、そんなことをしたいと思って入っていないので。もちろん後輩は可愛いし仲良しだけど、仕事に対して自分がこれだけ誠心誠意に向き合っているのに報われないとなってくると、キツさはありましたね。選抜総選挙ではファンのみんなが頑張って順位を押し上げてくれたけど、SKE48に戻ってきたら、やっぱり後ろとか真ん中ぐらいにポジションに回されたりすることもあったし。そういうとき、固定人数グループだったらよかったなと何回も思いました。

――ももいろクローバーZやFRUITS ZIPPERのようなグループですね。

高柳:そうです!私が仲の良い若井友希ちゃんがいるi☆Risというグループは、みんなが同期で一緒に作り上げてきて、新メンバーはいなくて、自分の担当カラーも決まっていて、それぞれに役割もあって……。そういうのが本当に羨ましかったですね。ずっと羨ましいです。今でも固定人数グループだったらアイドルやりながらお芝居とか女優もやりたかったなと思うぐらいです。

◆自分の殻が破れた瞬間

――48グループはそういう意味では少し特殊ですよね。身内で何かの枠を奪い合っていた印象があります。

高柳:でも、あのグループにいたから“今の自分”がいるのも間違いなくて。選抜総選挙があったからみんなに知ってもらえて、切磋琢磨しあって出会えた仲間がいて、ファンの方がいてと思うと……。でも、自分がもし生まれ変われるなら固定人数グループに入りたい。何かの枠を取り合うのはもうイヤ。みんなと一緒に楽しみたいのにライバルという気持ちが抜けないのはなんか苦しい。みんなで一緒にチームを作っているから“誰か”がこのチームの顔になって、“誰か”が何かを作るには選抜に入るしかなくて。ずっとモヤモヤしたものはありましたね。

――チームのリーダーでもあったから、自分以外のことも余計に考えなきゃいけないとかありましたよね。

高柳:気持ち的には自分が前に出て、みんなに好きになってもらいたいけど、でも自分の根の部分がめちゃくちゃ真面目すぎて……。リーダーをやっていたときは、私が何かやったことに対してSKE48やチームKIIの評判が落ちるのは絶対イヤだから、ずっと意識していましたね。 だからリーダーの時期はあまり自分の殻を破れなかったです。ただ最初の組閣があったとき、チームがほぼ同い年ぐらいのメンバーだけになったんですよ。幻の『チームC』と呼ばれてるんですけど、私が最後にリーダーをやったのがこのチームでした。

あのとき初めて先輩後輩が入り乱れたんですけど、みんな私と同い年ぐらいか私よりちょっと下か上で、精神年齢がみんな高くて。みんながちゃんと仕事として楽しませよう、アイドルも楽しもうという意識がすごく強くて、あのとき初めて自分の殻を破れたんですよね。ステージで好きなようにやって、自分を好きなように見せていいと思ったのがチームCでした。あの短かった期間のチームが、「今」の自分を作ってくれたというのはすごくあります。

◆誰よりも遅い卒業発表。なぜ深夜に?

――組閣が高柳さんの気持ちに良い変化をもたらしていたんですね。それから事務所移籍やソロでのラジオに舞台活動などが始まり、SKE48はグループ結成10周年を迎えます。そして、伝説のミッドナイト卒業発表に続くわけですが……。

高柳:飛んだ(笑)!ホント「何やってんの?」という感じですよね。発表は劇場公演でもよかったんですけど、鈴蘭(山内鈴蘭)とか違うチームの子がいたり、あと真木子(斉藤真木子)や命(内山命)とか同期3人も揃っていたし、もうここだと。唯一、江籠裕奈ちゃんだけいなくて後で怒られました。「なんで私がいないところで!」って言われたんですけど、もうあの場で、この子たちの前で一番言いたかったというか、ここで言いたいと思って。普通に発表したくなかったというのもあって、じゃあ真夜中に発表できるミッドナイト公演でやろうという感じでした。本当にぶっ飛んでいますよね。

――あのとき、周りにすごく気遣いされていたのを感じて。11周年公演のタイミングに被ってしまうと良くないから、タイミングはここしかないと。

高柳:そうだそうだ!よく覚えていますね。

――卒業については前々から考えていたんですか?

高柳:そうですね。ずっと考えてはいたけど……。あとは、ちゃんと自分の卒業コンサートができるタイミングで卒業したいというのと、できれば最後に参加したシングルでソロの楽曲がもらえたら嬉しいと話をしていたので、その辺の兼ね合いでしたね。もともとSKE48の10周年までいようと思っていて、本当は10周年にどーんとお祭りをしたかったけど、いろいろなことがありすぎてできなかったじゃないですか。素直に10周年を喜ぶ雰囲気になれなくて……。それを自分の中で解消できたのが2期生の10周年公演だったんです。SKE48の10周年はある意味一番辛かった時期だったかもしれないですね。

◆「どうしたら幸せになれるんですか?」

――今だから言いますけど、10周年の劇場公演が終わった後、舞台袖で高柳さん……。

高柳:爆泣きしていたときですよね。正直“ナゴヤドーム”(現:バンテリンドームナゴヤ)が見えていたので、「いける!」って思っていたけど、10周年の劇場公演で何の発表もなくて。もうこの空気じゃ……となってしまって。あんな人前で泣いたのは数えるぐらいしかないですね。「もう私はどうしたら幸せになれるんですか?」とか言いながら泣いていましたよね。何をどう頑張れば、この気持ちを晴らすことができるのか……?何も考えられなくなってしまって……。
自分勝手かもしれないけど、あの時期は本当に一人でSKE48の悩みをドーンと抱えていたというか。ここまで守ってきたものが崩れていく音がしてしまって。今いるみんなも頑張ってSKE48を作ってくれているし、でも、どうやってSKE48を守っていいか分からなくなってしまって、自分の悩みとは違う苦しさがありました。自分が選抜にいても、世代交代だといって下げられたこともしんどかったし、毎年ある選抜総選挙もだんだん楽しみきれなくなったり、ファンの人とも上手く交流が噛み合わなくなったりして。そんな悩みがずっとあった中で、あれはどデカイ落とし穴みたいな絶望を感じましたね。今では大分あっさりな記憶になっていますけど、今教えてもらって、そうだったなーと思い出したら……。やっぱり苦しかったなと思います。そのとき話を聞いてくれたのが2期生の2人で、この2人と最後に2期生の10周年を迎えたいと思ったんです。で、ライブをしたら命が先に卒業発表して「お前が先かーい!」ってなりましたけどね(笑)。

――嫌な記憶がフラッシュバックしていたらすみません。

高柳:大丈夫です!ただあのときは本当にしんどくて、必死だっただけなので。

◆きっかけは同期との10周年公演

――とはいえ、そもそもアイドルは憧れの職業だったわけじゃないですか?それを“辞めよう”と思う背景にはそれなりの理由や決断があったかと思うのですが、その辺りはどうですか?

高柳:一緒にイチから頑張ってきた仲間がいなくなったことが大きいです。それこそ固定人数グループは、一緒に目標を立てて、そこへ向けて頑張ることで信頼関係が生まれたり、一緒にできることがたくさんあるじゃないですか。新しい子たちをもちろん受け入れるし、その子たちに教えていきたいというのもあるけど、全て教えることが正解ではないと思う時期があって。それは昔のやり方だろうみたいな感じになると、「そうだよな」と思うこともあるし。一緒にずっとやってきた松井玲奈ちゃんや、同期のみんなが卒業して、この気持ちをどうしていいか分からなくなったのもありました。

卒業を考えることはあのグループでは必然だし、絶対に辞めなくちゃいけないときが来るから……。だから、2期生のみんなで自分たちの10周年というのが最後のきっかけでしたね。ここまでやったし、これ以上自分が教えられることにも限界があるというか。全て教えても、それがその子たちのためになるか分からない時代になってしまったし。それに、自分が得られるものがもうないなと思ったんです。それはSKE48にいた半分ぐらいが教えることの方が多くて。いろんなことを学んで、知らないものをもっと見たいのに、与えるだけが全てになると、自分がすり減るんですよね。そうなると卒業なのかなと思って決めました。

――高柳さんと同じ境遇でAKB48柏木由紀さんもいますが、先日卒業コンサートを開催し、4月末の卒業公演を控えていますね。

高柳:柏木(由紀)さんはすごいなって思います。AKB48にいながら何年もソロの活動もされているじゃないですか。アイドルをやり続けるというのを決めるって勇気がいることだし、私はSKE48時代にソロでアイドル活動をやることがなかったので無理だと思ってたんです。今はそういう子も増えてきて、江籠ちゃんとか卒業してもソロアイドルとしてやっていくと言ってますし。48グループが何かになるためのきっかけではなく、さらにアイドルを極めるためのきっかけになれる場所になっていたら素敵だなと思います。

◆一人になって知ったご飯のありがたみ

――いざ48グループという殻を破ってソロでの活動が始まって、一人になったことで気づいたことや、自分の可能性はまだまだこんなもんじゃないぞと思ったことはありますか?

高柳SKE48をやりながら舞台もやっていたので、知らない世界にいきなり来たわけではないから正直そこは良かったです。SKE48のときは団体行動で、どこに何時に集合して、移動もみんな同じ車に乗ることが当たり前でしたけど、今は現地集合が多いです。SKE48でそういう体験をしていたから、当たり前が当たり前じゃないって、ちょっとした変化にも気づくようになりました。SKE48のときは仕事があったらお昼ご飯は出たけど、舞台稽古のときはお昼ご飯が出ないとか。SKE48ってすごく恵まれているなと思いましたね、だって、ご飯は当たり前に出ると11歳からその環境にいたらそう思うし、「なんで今日ご飯が出ないんですか?」と言ってしまうだろうし。でも今はご飯を出していただけることって本当にありがたいことだなって。そういう感謝から始まるかもしれないです。SKE48にちゃんと守ってもらっていたんだと思います。今は全部の荷が下りて割と自由に生きています。でも、やっぱり自分の性格上守りたいタイプですね。今は本当にSNSが更新できないことが悩みです。

――SNSの更新が悩みなんですか!?

高柳:どうでもいいって訳じゃないけど、あれこれ考えてしまって全然更新できないです。気づけば告知ばかりになっていて、自分のSNSがつまらない。何か勿体ないと思いながらも、どうでもいいことを書いて、勘違いされたら嫌だなと思って投稿を消したりして、その繰り返しです。そんなことを考えていると、自分は根っからの保守的な人間なんだと1人になって改めて思いました。なんならSKE48にいたときの方がSNSは更新していました。SNSって仕事で基準にされますよね? 注目度とか、何がバズったとか、フォロワーの数とか。それが重荷で……。でも、それってファンの方を楽しませてないよなと思いつつも、SNSってそもそもそういう場所か?、って分からなくなってきちゃって結局上手く運営できていません。その辺は一人になってどうしようかなと思っているところです。

◆自分が素直になれる場所

――とはいえ、高柳さんが今何しているとか、ファンの方は気になっていると思いますよ。

高柳:だから昨日、久々にどうでもいいことをつぶやいてみたんです。「ポケモンスリープの結果どうでしたか?」みたいなやつ。意外とみんな反応してくれるし、できれば更新したいけど、Instagramも写真どれにしようとか、画角が……とか考え始めたら投稿できなくて。次、何を投稿しようと思ってもできていないことがめちゃくちゃあって本当にダメですね。

――ちょっとしたリアクションがファンの人たちは普通に嬉しいと思うから、あまり考え込まなくても。

高柳:そうですよね。やらなくちゃ!何か書かなきゃ!と思っているのが重荷で書けないという感じになってしまって。Instagramのストーリーズは更新します。あれが1番気軽にどうでもいいことも書けるので。すぐ消えますし。あと自分のラジオが1番“素”です。 ラジオは1番喋れます。この前スノーボードに行って、ファンのみなさんのお便りをただ叫ぶだけの収録をしてみたり。グループのときにやっていたときはもちろん楽しかったんですけど、仕事が忙しくて何を喋るにしてもSKE48の話になってしまって、自分のプライベートがなかったのであまり話せなかったんですけど。これに関しては一人になってからのラジオが楽しいです。飾らずに、自分が自分で喋れる唯一無二の場所にラジオはなっていますね。ディレクターさんも『うまかた』(『高柳明音の生まれてこの方』)が始まってからずっとやってくれている方なので、そこの信頼関係もあってなんでも喋っちゃう。「これ言っていいのかな?」ってしょっちゅう話してる気がします。それもラジオだからできるというか、顔を見ないから喋れることもあるというか。ラジオはすごく楽しいのでこれからもやっていきたいです。

◆「アイドルとファン」から「人と人の関係」へ

――アイドル時代からファンとの関係性をすごく大切にされてきましたよね。

高柳SKE48にいたときからファンミーティングをやっていたのは多分私だけだったと思う。ずっと好きでいてほしいし、味方でいてほしいなと思います。私も味方でいるし、それはアイドルとファンという関係ではなくて、人と人の関係になっていければいいな。

――今でも応援してくれているということは、ファンの方は高柳さんの人間性が本当に好きだからだと思います。

高柳:アイドルのファンは超えているけど、 だからといって友達とか家族とか、そういうジャンルではない関係性。唯一無二ですね。友達みたいに喋れるけどリスペクトもあります。例えば仕事の悩みとか、友達に相談して解決できないことってファンの方の言葉で解決できたりするんです。「どうしようかな?」「私ってこうなのかな?」と思ったとき、みんなの言葉が正解だったりする。お互いに支え合っている感じがします。自意識過剰じゃなければ。私もみんなからのコメントを見て元気をもらってます。実は、去年参加した舞台が大変で、メンタルがズタボロの忙しい時期にバスツアーを開催したんです。先に決まってはいたんですけどね。ファンの人と過ごしたバスツアーの一日で、めっちゃメンタルが回復したんです。めちゃくちゃ楽しかったです。そうそう、またバスツアー決まりましたよ!

――今年も開催するんですね!?今回はどちらまで?

高柳:5月に開催します。行き先は修学旅行と題して京都に。意外と今まで行ったことがなくて、ベタベタなところになりました(笑)。泊まりで参加できる枠と日帰りで参加できる枠を設けてます。日帰りでもいいですよ。

――京都ですか。じゃあ清水寺とか行かれたりするんですか?

高柳:あえてそこは王道すぎるので、芸能神社で有名だと言われている車折神社に行って、みんなで写真を撮ったり、明音ちゃんがもっと活躍するようにってみんなにお願いしてもらって(笑)。あと、京都って食べ物もおいしいし、いろいろな手作り体験もできるので、ほんと修学旅行みたいにみんなで思い出を作りたいな。

◆念願のソロコンサートは東京で11月24日に開催決定!『明音コール』も解禁

――ファンのみなさんと15周年にやりたいことはありますか?

高柳:絶対にソロライブがしたいと去年から言っていましたが、ずっと言い続けて、みんなも見たいと言ってくれたおかげで遂にソロライブが決定しました!これを叶えられる喜びをみんなと感じ合えたらいいなと。お互いの目標がソロライブだったので、それが一つ叶ったと考えると、他はなんだろう?舞台も好きだけどドラマとか映画とか、もっと嬉しいお知らせができるようになりたいですね。活動がどうしても東京に偏ってしまうので、名古屋在住で仕事の関係で簡単に来られなかったり、コロナを経験して人混みにあまり行けなくなった方もいれば、いろんな理由で日本に行けない状態という海外ファンの方がいたり。震災で大変な思いをして、地元の状況について教えていただいたことも最近ありました……。

そういう方たちに会いに行くこともしたいし、気軽に見られる場所にいたいですね。その中には自分の家族も含まれています。私、親戚に『あっちゃん』と呼ばれているんですけど、「あっちゃんテレビに出ていたね」とすごく嬉しそうに言ってくれるから、もっと名古屋の番組にも出たいし、全国区のドラマに出ていろんな人に「明音ちゃん元気にやっているんだね。これからも応援しているよ」って喜んでもらえるようになりたい自分がいます。自分の理想にはまだなれてないので、そこは引き続き頑張って、その目標を叶えられるように目指していけたらいいなと思っています。

――ありがとうございます。今回のインタビュー1万字を超えそうな勢いですが、最後にファンの方へ一言メッセージをお願いします。

高柳:今年オーディションに合格して、劇場公演のデビューも含めて15年になりますが、ここまでやってこられたのは綺麗ごとなしに、みんながいてくれたからです。15年経った今、ソロライブができることは当たり前じゃないと思うし、みんながいてくれるからやろうと言ってくれる人がいてライブを実行することができるので。みんながいてくれたから15年間頑張れたし、これからも頑張っていける。15年経った今の自分を見てほしいから、ソロライブには今応援してくれているファンの方は絶対に来ていただいて(笑)、途中で離脱した方や推し変した方もいるかもしれないし、もしかしたら本当に最初の推しですとか、結構いらっしゃるんですよね。不思議ですけど、「アイドルにハマったきっかけが明音さんでした。今は別の方が推しですけど、でもやっぱり特別です」みたいな。今は追いかけてはいないけど気にかけてくださる方は一定数いるので、そういう方々も今回は来てほしいです!いつものみんなと、やっとできたね!というソロライブにしたいし、久しぶりの方には久々に会えたねって。明音ちゃん、こんな風になったんだね、私も今そうやって楽しんでいるんだねって。それも含めての今だと思うので。みんなが気軽に足を運んで「なんか懐かしいね」「でもなんか新しいね」と言えるようなライブにしたいです。懐かしい歌も歌うだろうし、今の私だから歌える曲も歌いたいなと思うし。みんなに楽しんでもらいつつ、『明音コール』ができる楽曲も絶対に入れたいな。あの頃をちゃんと思い出せる感じにしたいと思ってますので、ぜひ遊びに来てもらえたら。ちょうど自分の誕生日月でもあるので、誕生日も含めてのソロライブになると思うので、「おめでとう」を言いに来てくれたら嬉しいな。今回は東京での開催が決まっていますけど、名古屋でもやりたいですね。この一回が成功すれば第2弾と続くかもしれないから、まずはこのソロライブをみんなで最高に楽しめたらいいなと思っているので、ぜひ遊びに来てください。11月24日、待っています。誕生日の5日前ですね。

――個人的にも本当に楽しみです。3年前にやり残した『明音コール』を遂にここで!ですね?

高柳:ホントですよ!だって卒コンはもともと横浜アリーナだったんですからね。日本ガイシホールになって人数も入れなくて。泣いてくれた方がめっちゃいたんです。あとコロナになっちゃった方も。横浜アリーナだったら当たってたという方も多かったし。そういう方たちにも来てほしいなって思ってます!みんな来てね!!

<取材・文・撮影/安藤龍之介>