ルフィ」などと名乗り、フィリピンから広域強盗事件を指示した疑いがある渡邉優樹被告(39歳)ら特殊詐欺グープの「かけ子」で、23年1月に東京・足立区で起きた強盗未遂事件で起訴された山田李沙被告(27歳)の判決公判が3月5日、東京地裁で開かれた。山田被告は「かけ子」として被害者の情報を指示役に提供したとして、強盗予備、住居侵入などの罪に問われ、懲役1年2月を言い渡された。

 判決理由として「組織的かつ計画的で悪質」と指摘する一方で、「事実を認めるとともに指示役らについてもつまびらかに話している」として懲役1年6月の求刑に対して1年2月を言い渡した。

 同被告は23年8月に窃盗罪で懲役3年の実刑判決を受け現在服役中だ。2月22日に行われた公判では起訴内容について「間違いありません」と認め、今後予定される指示役とみられるの渡辺被告らの裁判に「呼ばれることがあれば全面的に協力したい」と述べ、全容解明にひと役かっている。

 実は、そんな山田被告とともに”幹部”と呼ばれるも、「ルフィ」ら渡邉たちの大規模特殊詐欺グループを、事実上壊滅に追い込んだ女がいるーー。

 被害総額60億円。大規模特殊詐欺、強盗、殺人。通称「ルフィ」事件にかかわった、実行犯12人の容疑者(被告)の素顔を描いた、『「ルフィ」の子どもたち』(扶桑社)から、山田被告ともうひとりの女の素顔に迫る。

(以下、『「ルフィ」の子どもたち』より一部編集の上抜粋)

(おことわり)被疑者、被告人については現在も捜査や裁判が続いているため司法の公正な判断が待たれる。本稿においては報道上、社会的意義のあるものとして彼らについて取り上げる。なお、本文中の敬称等は略し、年齢、肩書などは原則的に事件当時のものを掲載する。

◆異国で恋に落ちた男

2019年3月16日。マニラのニノイ・アキノ国際空港に柴田千晶(当時27歳)はひとりで降り立った。
 
 初めてのフィリピンだった。柴田を笑顔で出迎えたのは、ルフィグループの幹部、渡邉優樹だった。焼けた肌に爽やかな笑顔。身長180cmはあろうか。がっしりとした体躯をブランドもののスーツで包んでいるが、そこはかとなく漂う「ある種のにおい」。夜の世界が長かった柴田の直感は的中する。決して真っ当ではない世界に片足を突っ込んでしまったことを――。
 
 ここで逃げ出すこともできただろう。しかし、妖しい雰囲気ながら優しい言葉をかけてくれ、今まで出会ってきた男とはどこか違っていた。柴田は渡邉に惹かれたのだ。2人はその日のうちに男女の仲になった。柴田が渡邉に傾倒していったのだ。渡邉は普段接するキャバクラの客や男性店員などと比べ、遥かに紳士的だった。

一緒に過ごした時間はわずかだったが、場末の客とは比べものにならないほどカネを持っていた。食事に連れてってもらった店も洗練されていた。渡邉といる時間はそれまでの人生で最も彩りに満ちていた。そして渡邉から何か頼まれると断ることはできなかった。むしろ渡邉に褒められたい、渡邉にもっと近づきたい、恋愛感情を隠せなくなっていた。

 柴田は渡邉と出会ったその日から渡邉の手下となり、「愛人」になったのだった。

 そんな柴田の“情”はすぐに行動に現れた。翌17日に帰国すると、渡邉に命じられるがまま、配下の特殊詐欺集団が集めたカネを日本からフィリピンに運ぶ準備を始めた。最初のフィリピン行きから間もない4月3日には、再びマニラに向かった。

 最初の渡航では小さく軽かったスーツケースが大きなものに変わっていた。日本国内の集金役が集めた現金、数千万円を忍ばせて。

◆リクルーター

 わずか2週間だったが、柴田にとっては長く感じられた。渡邉と念願の再会だった。スーツケースを無事に渡すと、渡邉はとびっきりの笑顔を見せ、柴田を褒めた。

 その姿がまたうれしい。褒められるのはもっとうれしい。何より今度は数日間一緒にいられるのだ。柴田にとっては至福の時間だったに違いない。

 それならば、現金の運び役としてだけでなく、もっと渡邉に貢献しよう。柴田からすればそれは当然の気持ちだった。

 今度は特殊詐欺のリクルーター役を買って出た。SNSを駆使し、特殊詐欺の受け子、出し子を募集。キャバクラで培った気配りが感じられるからか、女性リクルーターに応募者も警戒心が薄れたのか、可愛らしいトイプードルアイコンを使ったリクルート用のアカウントには多くの若者が殺到し、組織に引き入れることに成功した。

 そんな柴田は渡邉と出会ってわずか3か月ほどで周囲から“幹部”と呼ばれるようになった。一連の柴田の渡邉への献身は異常と言ってもいいものだった。いくら惚れた男のためとはいえ、ここまで犯罪の片棒を担げるものだろうか、筆者にはそれが疑問だった。その手がかりを摑もうと、柴田が多感な時期を過ごした場所に向かった。

◆不仲な家

 東京・多摩地域にある東大和市。南北を走る多摩都市モノレールの駅からほど近いところに柴田の実家が存在していた。しかし、そこは多感だった年ごろの柴田にとっては暗澹たる思い出を紡いだ場所だったようだ。近隣住民が明かす。

「そういえばそういう子いたな、という印象しかないです。少なくとももう10年は見かけていないです。実家もまだあるのか、誰が住んでいるのかすらわかりません……」

 最初は、けんもほろろな対応だったが、粘って話をつなげると、絞り出すかのように古い記憶をたどってくれた。
 
 柴田の家庭は近所では不仲で有名だったという。両親の怒鳴り合う声が聞こえることもしばしばだった。

「いつしかそれがなくなったと思ったので、離婚したんだろうな、と思ったんです。そして父親らしき人物を見ることもなくなりました」

 まだ柴田が幼少期の話だ。そうして母子家庭になったのだが、母親は生計を立てるのに精一杯だったのだろうか。柴田は母親に構ってもらえなくなっていったという。小学校4〜5年ごろには、何日も同じ服を着ていたようで、不潔な姿で学校に通う姿を住民は覚えていた。今で言うネグレクトに近い状態だった。

そうした姿で登校すれば、いじめに遭うのではと、筆者は思ったのだが、同級生のA子はそれを言下に否定した。同級生たちが柴田を白い目で見ていたのは事実だが、柴田はそんな同級生たちの視線を敏感に感じ取っていたのだ。

「千晶は決していじめられていたわけではないです。ただ親友と呼べるような友達はいなかったと思います。自分から心を開くタイプではないですから。同窓会をする段になっても、誰も連絡先を知らなかったですからね。それなら『まぁいいか』で終わっちゃうような存在です。ただ、なんというか……他人との壁は千晶自らが築いていたように思えます。他人に『これ以上私に構わないで』という空気を醸し出していた。それが彼女なりの処世術だったのかもしれないですけど……」

 柴田はクラスメイトともつかず離れずの距離を保つ子どもだったという。そこを離れても、傷つかない距離を本能的に見いだしていたのだろうか。それでもA子は、一度だけ柴田の本音を聞いたという。

「中学校時代、帰り道だったかな、その日たまたま千晶とふたりきりで帰っていて、お互い家が近づいて、バイバイしようとしたとき、千晶がふと『寂しいな』ってつぶやいたんです。いじめられてはなかったけど、友達の輪に入らないようにしている雰囲気があったし、普通の家庭じゃない、というのはみんな知ってたから。なんかその『寂しいな』というひと言に、いろんな意味があったように思えて……今でも覚えてるんですよ」

 そもそも本音を語り合うほど特別に仲がよかったわけではないが、柴田がなぜ自分にこんなことをつぶやいたかは理解できなかった。

 しかし、「寂しいな」という消え入りそうな声が今も耳に残っているという。

 筆者はそんなA子に単刀直入に聞いた。「どうして事件を起こしたと思いますか」と。

(次回に続く)

取材・文/週刊SPA!特殊詐欺取材班 写真/PIXTA

【週刊SPA!特殊詐欺取材班】
『週刊SPA!』誌上において、特殊詐欺取材に関して、継続的にネタを追いかける精鋭。約1年をかけて、「ルフィ」関係者延べ百数十人を取材した

―[「ルフィ」の子どもたち]―


ひとりでの海外は初めてだった