メキシコのリゾート地、カンクン。2021年にデジタルノマドビザの発給を始めた同国では、隣国アメリカから高所得者が押し寄せ、家賃をはじめとする物価の高騰を招いている
メキシコのリゾート地、カンクン。2021年にデジタルノマドビザの発給を始めた同国では、隣国アメリカから高所得者が押し寄せ、家賃をはじめとする物価の高騰を招いている

ITを活用して場所に縛られず、国内外を旅しながら仕事する「デジタルノマド」と言われる人材を対象に、要件付きで新たな在留資格である「デジタルノマドビザ」の発給が開始された。このビザで入国する外国人には、日本に6か月間滞在できる「特定活動」の権利が与えられるが、その間の所得税は免税となる。

この点に、ネット世論では「外国人優遇」といった批判もあるが、政府の意図はどこにあるのか。元・国税調査官の松嶋洋氏に聞いた。

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■政府の狙いは高所得者誘致

アメリカの旅行情報会社「A Brother Abroad」が2022年に発表した調査によると、デジタルノマドは世界中に約3500万人おり、市場規模は117兆円に達するそうです。おそらく政府には、優秀な人材を日本に招くことによるIT技術の進歩や、単に観光費として日本にお金を落としてもらいたいなどという思惑があるのだと思います。

要件として、①日本滞在期間を含む年収が1000万円以上、?ビザ(査証)免除の対象で、日本と租税条約を締結する49か国・地域の国籍を持つ、?民間医療保険に加入、などが挙げられ、①からもデジタルノマド誘致による経済効果を期待していることが伺えるでしょう。

また、世界ではすでに10数か国が専用の「デジタルノマドビザ」を発行しており、日本は後れを取っていることも、開始が急ぎ足で行われようとしている背景にあるのだと思います。要件は国によって異なりますが、税の優遇措置があるところも多く、足並みを揃えたいという考えもあったのでしょう。

デジタルノマドの性質として短期滞在が大前提ですし、多少の免税措置を与えても、彼らの日本での消費によってそれを上回る経済効果があると判断したのだと思います。

■日本は世界と比べて税金が高い

現在、出張や会議などが目的の場合は「短期滞在」の在留資格で入国できますが、滞在期間は最長90日間が原則です。90日を超えて働く場合は就労ビザを取得する必要があるほか、日本に拠点のある企業などから報酬を得る必要があります。

また、日本の所得税は「居住地国」を中心に課税の判断をし、日本に住所がある居住者とそれ以外の非居住者で取扱いが異なります。この判定はさまざまな事実関係を基になされますが、1年以上日本に継続して仕事をするような場合には、住所があると判断されやすいです。

なお、非居住者の場合、日本で稼いだ一定の所得についてのみ課税され、税率は租税条約の定めなどにもよりますが、給与などの報酬については原則として20・42%とされます。

これに関し、近年問題になったのが日本でプレーをしているサッカーJリーグ所属の外国人選手による税金申告漏れです。著名なスポーツ選手となると高所得者も多く、日本の居住者になると累進課税で55%まで税金がかかります。これは先進国の中でも非常に高い税率になります。

従来、外国人選手に対しては単年契約が中心でしたが、その引き抜きを防止するため、複数年契約を結ぶ外国人も増えたようです。そうなると、先の通り1年以上日本に継続して仕事をする、ということになり、去る2023年においては居住者にあたるとして多額の課税がなされたといわれています。

■デジタルノマドが難しい日本人

一方で、日本人が海外で仕事をする場合はどうでしょう。

前述のように、海外ではデジタルノマドが滞在しやすくなる仕組みが広がりつつあります。例えばマルタでは、リモートワークビザでの地方所得税は完全免除。マレーシアでも海外企業からの雇用やフリーランスから得た収入は不課税としているようです。スペインでも非居住者向けの優遇所得税率を最大6年間にわたって適用するなど、さまざまな税の優遇措置が設けられています。

ただし、日本人がそうした国々でデジタルノマドとして働いたとしても免税とはならず、日本で「居住地国課税」が適用されてしまう可能性があります。単純化すると、日本に住所があれば日本の居住者になるため、拠点となる住居が日本にあれば、日本に住所があると判断され、納税義務が生じてしまう可能性が高いということです。

そのため、家を持たずにホテル暮らしで各国を転々とする「パーマネントトラベラー」というライフスタイルが話題となりました。こうした日本人が増えることは国庫的には問題ですが、ルール上は問題ありません。まあ、こんな暮らしができる人のほうが少ないとは思いますが......。

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さらに複雑なのが、日本にも海外にも住居を所持し、両方で生活している場合です。例えば、日本とシンガポールを行き来している人がいたとして、一年の半分をシンガポールの住居で、もう半分を日本の住居で過ごした場合は、どちらの国に住所があるとされるのか。

このような場合には、家族がどっちに住んでいるのか、メインの職業はどっちか、といった点なども踏まえ、総合的に検討して判断されることになります。なお、税務調査では、暦年の半分である183日、どちらで過ごしているか、ここを重視する傾向があります。

一例として、これで大きな問題となったのは、『ハリーポッター』の日本語訳者さんです。国税庁から35億円を超える巨額の申告漏れを指摘されるも、当人はスイスに居住していると主張して異議申し立てをし、最終的には日本課税で合意となりました。直観的には、『ハリーポッター』の日本語訳は日本人が買うのだから日本課税が当然なのではないかと思いますが、課税のルールはそうではありません。

これからデジタルノマドとして海外で働きたいという人は、住所がある国を中心に課税されるというルールを踏まえ、税率の高い日本に住所があるとされることはないか、そのリスクを踏まえて行動する必要があります。

構成/桜井カズキ 写真/photo-ac.com

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