平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。

 今回登場するのは渋谷のギャルサークルアンジェリーク」の元副代表・きょんさん(37歳)。約19年前、超有名ギャルサーの一員としてメディア出演やステージに立つことも多く、渋谷のギャルたちから注目を集める存在だった。アンジェリーク卒業後は、どのような人生を歩んできたのだろうか。離婚、出産、選択的シングルマザー……。彼女に待ち受けていたものとは?

◆伝説のギャルサー「アンジェリーク」は青春そのものだった

 きょんさんがギャルに目覚めたのは小学生。世間は空前のアムラーブームだった。私も安室ちゃんみたいになりたい!と、コギャルだった姉たちの洋服を借りることもしょっちゅうだったそう。その後、東京の私立中学に入ったきょんさんは、渋谷に通い始めるようになり、本格的に性格も見た目も“ギャル”になっていく。

 そんなきょんさんがアンジェリークに加入するきっかけとなったのは16歳の頃。渋谷109の近くにあるショップでアルバイトをしていたところサークルメンバーに声をかけられた。

アンジェリークの人たちはよくお店に立ち寄ってくださっていたんです。その度にアンジェに入りなよ~!って勧誘されていました。でも当時から有名だったアンジェに自分が入るなんて恐れ多いし、年齢的にも大学生ばかりだったので想像もつかなかったです。

 その後も2年ほどずーっと誘い続けてくれたんですよ。それでちょっと気持ちが揺らいでたときに、私と同い年の子が1人入ったって話を聞いて、じゃあ入ってみようかなと」

 サークル活動は思った以上に大変だった。サークルではパーティーが盛んに行われており、その度に企画書作り、パーティー券の手売り、イベントで配るためのパンフレットの作成、タイムスケジュールの管理などを考えなければならない。時間に追われ漫画喫茶で徹夜で作業していたこともあったそう。

 さらにサークルにはこんな決まりがあった。

「ルールがあるんですよ。どこの誰よりも強めギャルでいるとか、人に媚びを売らないとか、他のサークルに友達を作ってはいけないとか、日サロに週5で通うとか(笑)。今思うとなんだそりゃって感じでもあるんですけど、私はそれを忠実に守ってましたね」

 山積みの業務と厳しいルール。まるでビジネスマンのようである。しかし一方で、きょんさんはイベントや仲間と過ごす日々に充実感を覚えていた。

「楽しかったですね。社会に出るための勉強にもなったし、学校みたいな場所でもあって。私にとっては青春そのものでした」

◆実家の焼肉屋が経営難に直面、家計を支える日々…

 実は私立高校を自主退学しているきょんさん。当時母親が切り盛りしていた焼肉屋が、狂牛病問題で厳しい状況に追いやられ家計が逼迫していたのだ。貿易会社の社長だったという父親はきょんさんが小学校6年生の頃に他界し、女手ひとつで私立校に通う5人の子供の育児、家事、そして経営をしている状況のなかで、追い打ちをかけるような出来事だった。

 焼肉屋を手伝いながら、掛け持ちでバイトをする日々。アンジェリークに誘われたタイミングはまさにそうした時期だったのだ。

 きょんさんたちは焼肉屋をどうにか存続させようと励んだ。しかし経営を回復させることは難しく、しばらくして店じまいを余儀なくされたそう。きょんさんがアンジェリークへの加入を決めたのはそのあとだった。

 やるとなったらやりきろう。そう決めたきょんさんがサークルに出向くと、そこにはギャルであること、サークルの一員であることに誇りを持つ同世代の女性たちがたくさんいた。しかも周りは年上ばかり。すぐに彼女たちの熱気と刺激に魅了された。

 気づいたらサークルに夢中だった。きょんさんにとって、アンジェリークは心の拠り所となっていく。

 その後、真面目な姿勢が認められた彼女は副代表に就任。メンバーのサポートや育成などにも関わるようになる。“超有名ギャルサーの副代表”として渋谷のギャルたちからも一目置かれていた。

「握手を求められたり、プリクラを一緒に撮って欲しいと頼まれたりして、すごかったですね。アンジェリークのメンバーということで歌も出させてもらえて、しかもそれがカラオケにも入ってて。モデルでもなんでもないのに、遠征に行かせてもらったりとか、109のステージで歌ったこともあったんですよ。今思うと人生で一番輝いていた時期だったなと思います」

 きょんさんは20歳でアンジェリークを卒業。同時にヤマンバスタイルもやめたという。もうギャルの見た目にならなくても社会でやっていける。アンジェリークで輝いた分、もうこれからはひっそり暮らそうと思い、しばらく一般企業で働いていたそうだ。

◆妊娠するも籍は入れず。きょんさんが選んだシングルマザーの道

 それから17年。現在きょんさんは2人の子どもを育てるシングルマザーだ。

 1人目の夫との間に長女が誕生し、離婚後に交際していた男性との間に長男が生まれた。1度目の結婚生活を経て、“自分は誰かと暮らすことに向いてない”と気づき、自ら進んでシングルマザーになることを望んだという。

「結婚はしたくない。でも子どもが大好きなのでもう1人欲しいと思っていたんです。娘も『お父さんは一緒にいなくても、兄弟が欲しい』とずっと言っていました。それで里親制度などを調べていたときに、当時付き合ってた彼も“結婚願望はないけど子供が欲しい”という考えを持っていたんです。そんな彼や娘と話していくなかで子どもを作ることに決めました」

 多様な生活スタイルが認められている時代でよかったと語る。偏見の目を向けられることも少なく、むしろSNSでは離婚を悩んでいる女性から相談されることが多いという。結婚という形を維持し続けることが必ずしも幸せとは限らない、そこから解放されて得られる幸せだってある。きょんさんはそう考えている。

「選択的シングルマザーだって人生を楽しめるということを伝えていきたいです。私自身、何年も結婚生活に悩んでいて、離婚してから前向きな気持ちになれたので。あの頃の私みたいな人に、一歩踏み出しても大丈夫だということを届けられたらいいなと思っているんです」

◆あの頃のようにもう一度輝きたい!そんな矢先に発覚した子宮筋腫 

 きょんさんは会社員を辞めてフリーランスとしてライブ配信を中心とした活動をしている。InstagramやTikTokではシングルマザーとしての思いや子どもとの生活風景が投稿され、同じくシングルマザーになることを選択した女性からの反響も大きい。

 2人目を妊娠した際には子宮筋腫があることが発覚。出血が止まらず貧血が続くうえに、つわりも重なり寝たきり状態だった。そのときの心境についても、きょんさんはInstagramに丁寧に綴る。当時の投稿には妊娠と子宮筋腫が発覚した際の状況のほか、“心友”への感謝、結婚せず子どもを産むことを母に告げる緊張、弱っている時にそばにいてくれた愛娘の存在についても語られている。

「命は奇跡です。
この奇跡を大切に、本当に大切にしていく。
私はとても幸せです。」

「結婚?しないよ笑
これからもはいぱーしんぐるまざーは
愛いっぱいで生きていきます
幸せだよ」

 出産の大変さ、固定観念に縛られない選択をしたいという思い、理解を示してくれる周囲への感謝。そんなメッセージが伝わる本投稿は、彼女がシングルマザーとしての発信を始めた理由が見えてくるようでもある。コメント欄にはきょんさんへの祝福と応援の声で溢れた。

「子どもたちがいてくれるおかげで、何だってできるという気持ちです。今は、自分の人生なんだから自分も楽しまないとダメだなと思ってます。もう一度、アンジェリーク時代のように表舞台に立って輝きたい。私の発信を通して、選択に迷っている女性たちが一歩踏み出すきっかけになってくれたら嬉しいですね」

 そう語るきょんさんの表情は、穏やかながら凛々しくもある。そこからは言葉以上の意志の強さがあるように感じた。彼女のような存在がいてくれることで、励まされる女性はどれだけいることだろう。そんなことを考えて、女である筆者は少し嬉しくなった。

<取材・文/奈都樹、撮影/藤井厚年>

【奈都樹】
1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。

―[“ギャル”のその後]―


渋谷のギャルサークル「アンジェリーク」の元副代表・きょんさん(37歳)