2016年、42歳のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージⅡB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、私のがん治療ドキュメンタリーを連載でお届けしています。


 今回は、抗がん剤治療中にフラメンコの発表会に出るという目標を達成し、残りの抗がん剤治療に臨むエピソードです。


※医師や看護師の発言は筆者の病状等を踏まえてのものであり、すべての患者さんに当てはまるものではありません。また、薬の副作用には個人差があります。


◆超ビビりな私、副作用を調べては恐れおののく



※イメージです(以下同じ)



 乳がん宣告を受けたときから「フラメンコの発表会に出たい」と思い続け、ついにそれを達成したわたし。その達成感に浸る間もなく、抗がん剤治療は続きます。


 わたしが受けたのは「AC療法」と「パクリタキセル療法」という治療。初発乳がん治療ではよく使われる抗がん剤です。


「AC療法」は、3週間ごとに1回で1サイクル、計4回の点滴治療。それに続く「パクリタキセル療法」は、週1回×12回の治療です。どちらもそれぞれ3か月ほどかかるので、抗がん剤治療全体でみると約半年間の治療となります。


 フラメンコの発表会を終えたタイミングで1つめの「AC療法」を終え、これから2つめの抗がん剤パクリタキセル療法」に入ります。


 今度は気持ち悪いなどの副作用はあまりないようだけれど、打つたびにじわじわ「しびれ」が増す副作用があるとのこと。それはそれで怖い。調べないほうが良いと分かりつつも気になってしまいます。


 副作用を調べると、しびれが出るとなかなか治らず、治療が終わってもしびれが消えないという話や、手足のしびれで「ペットボトルの蓋が開けられない」なんて話も読んでしまい、打つ前に何度も担当医の先生に「しびれて生活できなくなったらどうしよう」と不安を訴えました。


 何ごとも超ビビリなわたし、ひとつひとつが大変です。担当の先生はわたしの不安に理解を示してくれ「抗がん剤に不安があるのは当たり前。心配なことはなんでも話してくれていいですよ」と言ってくれました。


 なんだかんだこわい怖いといいながら一回目投与。こんな恐怖と共に毎週点滴だなんて憂鬱だなぁと思いながら治療をスタートさせました。


◆がんを機に直面した“もう一つの問題”



抗がん剤治療中もウィッグを着けて趣味のフラメンコ踊っていた



 そして、フラメンコの発表会まで気を張っていた糸がプツンと切れたのか、気分が落ち込むことも増えてきました。


 実は当時、夫婦関係に悩んでおり、そのことにも正面から向き合うべき出来事がありました。


 わたしは割と社交的な性格ですが、もともと人の顔色をうかがってしまう性格で、結婚当初から無口な夫が何を考えているのかはかりかねることが多かったのです。


 家事が苦手なわたしの劣等感や子育てへの価値観の違いなど、結婚後からじわじわと溝ができていた夫婦関係。「きちんとしなければ」という気持ちがあるのにルーズな自分の性格を責めてしまい、罪悪感で息が詰まるような気持ちになることもありました。


 言いたいことを飲み込んでしまうことも多く、思い切って伝えれば伝えたでケンカになって平行線。口を開けばケンカになるので、ここ数年はお互いにあまりケンカに発展するようなことは話題に出さないようにしていました。


 なんとか夫婦関係を改善したいと、いろんな本を読んだり、自分のことについて勉強したり、心理学の本を読んでみたりと自分なりに努力していましたが、そこは相手のある話。さっぱりうまくいきませんでした。


 そしてまったく科学的根拠はありませんが、わたしの感覚の中で、そんな結婚生活のストレスも今回の病気につながったのではないかと考えるようになりました。


◆息が詰まりそうな今の家から「引っ越したい」と願うように



 今回の病気を機に、さまざまなことをリセットしたいという気持ちになっていたわたしは、ある日見たチラシをきっかけに「引っ越し」をしたいと願うようになりました。場を変えたいと思ったのです。


 当時住んでいたマンションは、もともと夫が住んでおり、結婚して一緒に住んでいました。当初は夫婦2人でしたが、子どもが生まれてモノが増えはじめると、無駄が多く使いにくい間取りだと感じるようになり、ただでさえ片付けベタなわたしが、どうやっても上手に使いこなせないことに限界を感じていました。


 何度も整理収納アドバイザーに相談してもうまくいかず、家具の移動は変化が嫌いな夫に却下され、できるだけ快適な空間をつくりたいと思っていたけれど、なかなかうまくいきませんでした。


 産後から気圧の変化に敏感になってしまったわたしは、住んでいたマンションの気密性が高く、ときに耳が痛くなりつらい状態が多かったこともなんとなく苦痛に感じていました。


 さらにわたしは閉鎖的な場所が苦手なのですが、夫が大きいテレビが欲しいと購入した際、よい設置場所がなく、結局リビングの大きな南面の窓を覆うように設置することになってしまいました。


 日当たりの良い南側の大きな窓が良さのマンションだったのですが、日中も大きなテレビが窓をさえぎって、大きなテレビによる圧迫感と閉塞感で息が詰まりそう……。わたしにとってはかなり苦しいのですが、夫に伝えても理解を得られず、なんとか気にしないように過ごしていました。


◆変化が嫌いな夫が内見をOKしてくれた
 子どもが大きくなるにつれて手狭になり、何度か同じマンション内で広い部屋に引っ越しをする話が出ましたが、いまひとつ決め手に欠けたことと、当時もやはり夫婦関係があまりよくなくじっくり話し合いができなかったこと、子どもが変化を嫌う性格で反対したことなどで流れてしまっていました。


 そんな折にたまたま目にしたチラシは、わが家が住んでいる家の一階だけ下の角部屋。友人が同じ間取りに住んでおり、以前から開放感があってよいなと思っていました。


 すごく広くなるわけではないですが、間取りが使いやすくてサッパリしそうだなと長年思っていた部屋でした。さらに大がかりな引っ越しをしなくても、すぐに移れる。息子も違和感なくいられるのではと、ずっとモヤモヤしていたことがこれで解消できると思いました。


 ある日、ダメもとで夫に部屋を見学に行きたいと頼んでみました。すると夫は、病気のわたしを気遣ってか、見るだけならとOK。部屋の内見に行くことにしました。その部屋に入った瞬間、わたしが窮屈に感じていたことがすべて解消されそうな間取りと雰囲気で「ここに住みたい!」と強く思ったのを覚えています。


◆内見後に夫がまさかの大激怒!



 内見を案内してくれた不動産屋さんはたまたま同じくらいの男の子を持つ女性で、家事の動線や部屋の使いやすさで思わず盛り上がってしまいました。しかし、その盛り上がりが夫を激怒させることになってしまったのです。


「見るだけ」のはずが、あまりの盛り上がりぶりに、話を進行せざるを得なくなってしまったと感じた夫。わたしは計算など何もなかったのですが、意図的に夫を引き下がれないように追い込んだと思われてしまったようです。


 家に帰ると夫は「話が違う!」と大激怒。今は病気の治療に専念すべきなのに、引っ越しなんて狂気の沙汰だと。見るだけのはずが、わたしが舞い上がってしまい、もう成約したかのように盛り上がっているのに「やっぱりやめます」と言えないじゃないかと怒鳴られました。


 わたしが久しぶりにウキウキした気分になってしまったことで、夫を怒らせたのかと一瞬で落ち込んでしまいました。そりゃあ夢が叶ったら嬉しいけれど、経済力がないわたしは、それ以上の決済権はありません。


 計算高く進めたつもりは毛頭ないけれど、今までずっと少しずつ積もっていた不快感やモヤモヤ、ストレスなどがあったことを伝え、だからできればタイミングがおかしいと思われても今日見たところに引っ越したいと訴えました。けれど夫は「もうお前には付き合っていられない!」と一言。わたしはとんでもないことをしてしまったのかと落ち込みました。


◆激怒しながら引っ越しの手配を進める夫。罪悪感でつらい…
 確かにそうかもしれません。病気の原因だって、ストレスかもしれないと思っているのはわたしだけ。いままでのモヤモヤの積み重ねも、わたしだけの問題で、なかなか理解してもらうのは難しいと分かっていました。


 ですがもう、息の詰まる環境で生活するにも限界を感じていました。以前何度か引っ越しの話題があがったこともあり、どうしてもこのタイミングで住む家を変えたいと懇願しました。


 夫は鬼の形相で「病気をカタに、引っ越しをしたいだなんてズルイ。こんなに自分勝手なやつは見たことがない」と完全にわたしに背を向けてしまいました。


 その話が進展するかは夫次第。自分はひどいことをしているのかもしれないという罪悪感と、どうしても移りたいという気持ちのはざまにいました。ですが夫自身も今の部屋が手狭に感じていたこともあるのか、なぜか不動産屋さんと引っ越しの話が進んでいきました。


 そんなに怒るなら却下してくれたらいいのにと思いつつも、夫は怒りながらも引き下がることなく不動産屋さんと交渉を進めます。なんだか怖くなって夫に本当にこれで良いのか尋ねようとしましたが「仕方ないだろ!」と一喝され、何が起こっているのか分からない状態。


 夫が何を考えていたのかいまだにわかりませんが、そうこうするうちに成約。なんと引っ越しが決まってしまいました。夫は機嫌が悪いまま引っ越しの手配をします。自分がとてもいけないことをしてしまったような気がして、自分の希望が通ったのにとてつもなく憂鬱な気分に襲われることが増えました。


◆心の不調があまりにつらく、精神腫瘍科へ
 思えば当時、抗がん剤の影響で生理が止まってしまい、ホルモンも大きく乱れていたのかなと思います。もともと心配性でしたが、必要以上に不安が大きくなり、飲み込まれてしまったのだと思います。


 自分がしたことは、改善しようとしていた夫婦関係にもトドメを刺してしまう行為だったのかと思うと食欲もなくなり、フラメンコ仲間にも心配されるほどみるみる痩せて行きました。


 いよいよ引っ越しとなり、その日はなんとか引っ越しを終えましたが、せっかくの新居でもふさぎ込むことが多くなりました。自分の願いが叶ったのに、気分は絶望的で、何もやる気が起こりません。毎週の抗がん剤も、足を引きずりながらなんとか通う状態でした。


 あまりに気分がつらくて医師に相談したところ、精神腫瘍科に相談してみてはどうかと提案を受けました。がんに罹患したことで気分が落ち込んでしまう人に向けメンタルサポートをしている科。


 わたしの悩みは夫婦関係でしたが、この気分の落ち込みは抗がん剤によるものもあるだろうということで、抗がん剤を点滴している時間を利用して、カウンセラーの先生と話をさせてもらうことになりました。


◆思えばこの頃が、一番つらかった…
 わたしが引き起こしたこと、といえばそれまでですが、わたしの中では今まで漠然として言葉にならなかったことを解決したくて必死でした。それが逆に夫との関係を悪化させたことがショックでたまりませんでした。これを機に、育児のことや夫婦関係など、心にしまっていた悩みが噴出し、一気に不調をきたすようになってしまいました。


 それと同時に抗がん剤のしびれもじわじわと増していきます。必要以上に恐怖心や不安を覚えるようになり、毎回ビクビクしながら抗がん剤の投与。しびれに恐怖心をいだきながら、なんとか食事を作って、あとは横になっているような日々が続きました。


 病気を機に、さまざまなことが噴出し、一気に闇の中に入ってしまったわたし。先の見えない不安に襲われていたこの時期が、一番つらかったなと思います。


 季節は秋。抗がん剤は、あと残すところ数回まで進んでいました。


<文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)>


【監修者:沢岻美奈子】
日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している


【塩辛いか乃】世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako