第2次世界大戦の記憶を刻む場所をホロコーストを軸に訪ねてきた連載の最後は、戦争終結の舞台、ポツダム会談が行われたツェツィーリエンホーフ宮殿。ベルリン中心部から電車で約1時間、ポツダム中央駅からさらにバスで10分ほど行ったところにある、20世紀初頭の皇太子妃宮殿で、今はユネスコ世界遺産に登録されている。

 静かな場所に建つ別荘風の建物で、およそ政治の舞台、ましてや戦後処理を話し合う場所という印象からは程遠いが、当時のベルリンはすでに爆撃や市街戦で広範囲に破壊されており、各国首脳が集まり宿泊できる場所として、ここが選ばれたという。写真などでなじみのある会議場は建物の中心部。テーブルを木製の椅子が囲んでいるが、英米ソ首脳、チャーチル、トルーマンスターリンが座った椅子3つだけは肘掛け椅子。それぞれの左側に通訳、右側に外務大臣が座ったという。どこが誰の席だったかが分かるように、テーブル中央には国旗が置かれている。

 各国代表団の控室も見学できる。会談の準備をした旧ソ連の陸軍中将の話を読みながら巡ると面白い。米英はインテリアにもさまざまな注文を出したようで、「部屋の壁に色彩のあるシルクを用いて上張りを施したり」したという。だがスターリンの部屋については「控えめな調度品であればあるほど良い」と指示され、平凡なものが選ばれたと説明されている。確かにスターリンの部屋は、ほか二つの控室に比べると質実剛健な雰囲気だ。

 この場所でポツダム宣言が表明され、日本の終戦への道ができたのだと、歴史の教科書など思い出しながら足が止まるのは、アジアでの戦争終結と原爆についての展示の部屋。欧州での戦争が決着してここで会議が行われていた頃、日本はまだ戦争終結に至っておらず、1945年7月26日ポツダム宣言が発せられ無条件降伏を勧告されてもなお、日本は戦争を続け、その結果として原爆が投下される。熱風で変形したガラスぴんなど複数の展示の中には、被爆者の言葉もある。「とても、とても熱かった。私の皮膚は、触っただけでむけ落ちた」と。

 アメリカは当時、原爆実験の成功を背景にポツダムで旧ソ連との話し合いにのぞんでいたし、旧ソ連もここからさらに核兵器開発に力を入れるようになるわけで、第2次大戦の終結とクロスするように、冷戦はこのポツダムですでに始まっていたのだと実感できる場所でもある。

(text by coco.g)

ツェツェーリンホフ宮殿